拝啓 マキシマムザ亮君殿
最近のわたしには、「現実的な経済基盤を持て」という言葉と、「大いに夢を語れ、理念こそが一番大事」という言葉が交互に聞こえてきます。
心境としては、夢や理想を持ちたいし形にもなってきていてこれから!というところで、「そんなことでやっていけるの?」「だって、現実的にお金いるでしょ?」という声に引っ張られている感じ。何とも気持ちが悪いです。
どうして、ただ気持ちがワクワクする方へ向かわせてくれない?
まず、リスクを潰して不安を無くさない限り、すきなこともやっちゃいけない世の中なんだろうか。せっかくいいこと思いついてるのに…
やろうとしていることがまさに、すきなことを大いにやれる世の中にするための第一歩なのに…
そんな気持ちでモヤモヤとしていたところ、こんな記事を目にしました。
マキシマムザ亮君に学ぶ、「モノが売れない時代」に必要なマーケティング・センス|ライフハッカー[日本版]
この記事で思い出したのは、昨年11月に発売されたマキシマム ザ ホルモンの新譜(漫画が同袍される形なので新刊でもある)『 これからの麺カタコッテリの話をしよう』に掲載されていた元電通のコピーライター、田中泰延さんの解説中の言葉でした。
いまこの本を手に取る人たちよ。自分がおもしろいと思うことだけをやれ。遠くのどこかで、まだ知らない誰かが、自分と同じ熱い心を持っていると信じろ。いつか必ず、その誰かとあなたは、ともに拳を振り上げるだろう。自分が好きで創った何かを、なんとしてでも人に伝えたい、それがクリエイティブをディレクションすることだ。それに挑むとき、亮君がそうであるように、あなたもCDになるのだ。
発売時は、マキシマム ザ ホルモンメンバーによる新作手渡し会で購入し、興奮の中この言葉に出会ってちょっと泣いたりもしたのに、最近ではすっかり忘れてしまっていたのです。
この解説を書かれた田中泰延さん自身、自分がおもしろいと思うことだけをやるために、長年勤めた広告代理店を辞めてしまった、亮君との出会いのせいだと吐露しています。
こんなことがあり、人はちゃんと必要な時に必要な情報をキャッチするのだなと思いました。そして、人は大事なことも強い決意も深く感動したこともすぐに忘れてしまうのだなぁとも。もう忘れません。
わたしが「すきだなあ~」と思うのは、どうやら複数分野において並々ならぬ才能を発揮している人物のようです。
個人名を挙げさせていただくなら、糸井重里さんとマキシマムザ亮君。
奇しくも『 これからの麺カタコッテリの話をしよう』のコピーを糸井重里さんが書いている。それがこちら。
やはり、卓越したセンスで世の中をあっと言わせるような人物はお互い共鳴し合うのだろうか。
このおふたりにはいつかお会いしたい!
…と、言い続ければ叶うんじゃないかということを信じて、これから度々口にしていきたいと思います。
さて、この度やっぱり『 マキシマム ザ ホルモン』がすきだと改めて思ったその丈を綴っていきます。こうして、外に出さないと内部で爆発しそうに膨れ上がるのです。このバンドへの何とも言えぬエモーショナル・パッションが。
『 マキシマム ザ ホルモン』最大の魅力は、やはりマキシマムザ亮君の類まれなるディレクションセンスといえる。
バンドが自らのバンドを売り込む。それも、“ 一般的”とは思えぬ斬新な方法で。そして何より特筆すべきは、マキシマムザ亮君自身がそのプロモーションを思いっきり面白がって仕掛けている点。まず、メンバーをドキドキさせ、驚かせ、時には呆れさせ、姉にデスボイスさせ、最後には笑わせる。そこには感動すらある。
マキシマムザ亮君のディレクションに感動がついてくるのは、その想いがまるで子どものように無邪気でまっすぐなものだからに違いない。
これまで、マキシマムザ亮君は「自分を解れ!」とばかりにあらゆる方法で自らを表現してきた。
楽曲に込めるのはもちろん、時には漫画のキャラクターとして、グッズのデザイナーとして、奇抜なライブイベントのプロデューサーとして。
その姿はまるで駄々をこねる子どもである。
マキシマムザ亮君には「ま、分かる人に分かってもらえればいいんだよね」というような大人の部分は存在しない。いやもちろん、それは分かってはいるのだけれど「それじゃ嫌なもんは嫌なの!!」「俺が“ アツい!”と思うとこでおんなじように“ アツく”なってほしいの!!」という想いを我慢しきれない子どもさがあるのだ。
そして、まさにその部分がマキシマムザ亮君最大の魅力と、わたしは思っている。
大人の誰もが忘れつつあり、「もう大人なんだから」と諦めてきたもの。子どもの頃、友だちと共有したあのエモい時間。あの、“ 胸アツ”部分が重なり合った時のシンパシーとその時沸き起こる感情―というような簡単には掴めぬ何かを、マキシマムザ亮君はずっと追い求めているように思えてならない。
この、大人と子どもの見え隠れ、そして、心の動きまでもが楽曲に表れている点で、わたしたちはその音に魅了されるのかもしれない。
(『ロッキンポ殺し』から『ぶっ生き返す』そして『予襲復襲』へ、と追うことでマキシマムザ亮君の心の動きを感じることができる。ここを解説していくとキリがないので割愛させていただきます。)
マキシマムザ亮君のマーケティングには、そんな大人と子どもの内在が絶妙に生かされている。
まず、人脈・組織・資金はふんだんに使う。頭脳を使い、“大人”使いする。しかし、自分がすきな人間・会いたいと思う人間と組み、面白いことをやるチームで企画し、採算度外視で作品を創るという点は、子どもそのものなのだ。公園に気の合う友だちと集まり、自分の考えた最高に面白い遊びで、ただただ自分たちが「面白い!!」と思い、夕暮れまで夢中で遊ぶ小学生と変わりない。そしてそこに、「俺はすごい!!認めろ!!」という自己顕示欲を隠し切れない甘酸っぱさ、未だSNSにあがる“顔のない声”に反応する自意識、ただの遊びと見せつつ「この世に影響してやる!」というような何か痛くて黒い中二的感情を微量に感じられることが、またマキシマム ザ ホルモンの魅力となっている。
どこまでも面白い、まったく飽きさせないバンドだ。
糸井重里さんの書いたもうひとつのコピーがある。
マキシマムザ亮君。
世界征服の予定があるなら、
2、3日前に、メールしてくれ。
糸井重里
自分を最大限発揮し、世の中を理想の形に変えたい。そこに誰一人も取りこぼさず連れていきたい。だって、それが「最高に面白い」と思えているから。
わたしは、マキシマムザ亮君の中にそんな共通意識を見ている。
それが、マキシマムザ亮君の手にかかれば「世界征服」なのだ。
わたしはその日が来るのを心待ちにしている。できればわたしにもメールしてほしい。LINEでもいい。