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記事一覧
実習先で祖父と Day9
2022/01/14 Fri.
祖母が祖父の着替えを持って病院に来た。
祖母は祖父から今日の朝、電話あったんやでと教えてくれた。祖父は
と嬉しそうに話していたらしい。
昨日行けなかったから、心配していたんだと。
昨日行かなかったのやっぱりよくなかったかな、と申し訳ない気持ちになっていると
祖母は
と言った。
私にとっては祖父から学ぶことが沢山ある。たとえ行けなくても、図書館か研究室
実習先で祖父と Day8
2022/01/13 Thu.
今日は祖父のところに行けなかった。
実習で病院にいるのに行けなかった、いや、行かなかったのは初めてだ。
やはり、冬休みは弱っていく祖父の姿が見えなくて不安の反面、ほっとしている部分があった。
冬休み明けから、祖父の変貌ぶりに見るのも辛くなってきた。
今日は夕方予定があったのもあるが、
いつ行こうと考えているうちになんとなく気が進まなくて時間が経ってしまった
実習先で祖父と Day7
2022/01/12 Wed.
今日から中止していた放射線療法を再開するらしい。
祖父のベッドサイドで話していると
看護師さんが「洗髪しよかー」と来てくださった。
洗髪台まで移動することを勧められると
と動くのを拒否した。
私が「いいリハビリなるから洗髪台まで一緒に行こよ」と言っても
と頑なに断られた。
少しでも動いて筋力低下を防いで欲しいのだが
全く動いてくれない。
動くと凄く
実習先で祖父と Day6
2022/01/11 Tue.
冬休み明け、初めて祖父のところへ行った。
冬休み前はなんとか自力で起き上がって物に掴まりながらだと歩けていたのに、
今日は自分で上半身を起こすことも、
歩くことも出来なくなっていた。
頭と手を少し動かすのみで話す姿が
あまりにも衰えていて、話の内容が頭に入ってこなかった。
体調悪化により冬休み中は放射線も化学療法も中止していたそうだ。
副作用がなくなった
実習先で祖父と 冬休み編
2021/12/25
私が実習している病院に祖父が入院していることがわかり、冬休み前の1週間、毎日祖父に会いに行った。
冬休みの初めは祖父が心配で少し落ち着かなかった。
1週間くらい寝正月を過ごすと、美味しいご飯を食べたり、アートの展示会に行ったり、楽しめるようになった。
思い返せば、祖父に会いに行く毎日は
水も飲めなくてガリガリの祖父を見て、
私まで食欲を失っていた。
やらないといけな
実習先で祖父と day5
2021/12/24 Fri.
今日は冬休み前、最終日。そして、クリスマスイブ。
昨日、祖母から預かったテレホンカードを渡しに行った。
私が
「冬休みの間、会えやんから、できるだけご飯食べて、リハビリして、元気でおってよ」
そう伝えると
「そやな」
と返ってきた。
12/25〜1/11まで2週間ほど会えないため
その間に祖父がまた小さくなってしまうんじゃないか
声が出なくなってい
実習先で祖父と day4
2021/12/23 Thu.
今日は祖母が祖父に電気毛布を届けるために大学病院へやってきた。
コロナで面会禁止のため、祖母は預けて帰るだけだが、
昨日祖母が来ることを聞いていたので、実習がおわってから、会う約束をしていた。
祖母に会う前に、祖父の病室にいくと、すでに看護師さんが電気毛布を持ってきてくれていた。
電気毛布を二重に敷くと
と電気コードの接続部分の位置が逆だと言われた。
実習先で祖父と day3
2021/12/22 Wed.
今日はまさかの寝坊。
同期からの電話で飛び起きた。
最近色々考えてしまって、ついつい不規則な生活になっている。
15分くらい遅れて大学に急いだ。
お昼休憩は懺悔のポリランチ。
実習班でお昼ご飯を食べたあと、祖父のところに向かった。
「今日、寝坊してしまった...」というと笑っていた。
今日はすこし目眩がましになったようで、自分から体を起こして座ること
実習先で祖父と day2
2021/12/21 Tue.
【気持ちの変化】
実習先の大学病院に祖父が、食道癌で入院してきた。
正確に言うと入院したのは1週間前だが、
私がそのことを知り、実習の合間に会いに行くようになったのは、昨日からだ。
今日は自分の気持ちに少し変化があった。
昨日、祖父の部屋に行った時は、病状の悪さから今後のことを想像してしまって終始、涙が溢れそうだった。
今日、また祖父に会いに行った時は
実習先で祖父と day0~1
day0 (2021/12/19)たまたま実家に帰ると、母から祖父が食道癌で私の通う大学病院に入院していると伝えられた。
母の話し方からして、病状はあまりよくないようだった。
コロナで面会禁止なので、家族は誰も会えないけれど、もし実習中、覗けるなら、顔出してあげて、と言われた。
孫の私が祖父のことを書くのは不謹慎だろうか。
しかし、残しておかなければと思った。
祖父は診断された時に、