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メンタル改善努力日記④ 〜心理的安全性の重要性〜

新人が次々と辞めていく職場。
「新しい人が入っても続かないんだよねー。」と思考停止してませんか?
もはや、続いてる人がエライみたいになってませんか?
えらくない。別にダメと言いたい訳では無いが。

「心理的安全性」という言葉を知ってるだろうか?
人の悪口が話題の大半。仕事の量の不均等。自己判断で動けない、もしくは、出来る仕事がほとんどない。ちょっとした失敗で叱責される。問題点を改善できない、共有できない。
なんなら、機材の方が人間より大事。
こういった職場は、心理的安全性が低い。

「心理的安全性(psychological safety)」とは、組織の中で自分の考えや気持ちを誰に対してでも安心して発言できる状態のこと。

こんなもの原始時代から存在しているであろう根深い問題なのに、一向に解決されない、むしろ過小評価されている。
会社という組織は、ビジネスによってより良い成果を得る事が第一目標なので、それに向かって邁進すればよい。
メンタルの問題と相反する様に聞こえるけれど、これが真理だと思う。
要するに言いたいことは、心理的安全性を考慮しない組織は、その第一目標の達成からズレているということである。なんなら、お馬鹿集団である。

なぜこうなってしまうのかという考察をすると、
①目標設定、達成過程が曖昧。共有できてない。
②機会損失、比較優位、多様性の考えが、組織全体に行き渡らない。
要約するなら、この2つで充分かと思う。


「目標設定、達成過程が曖昧。共有できてない。」
=「段取り」ができない。いや、できないんじゃなくて、めんどくさいだけである。
以前の職場で、明日の仕事内容をあえて伝えないという面白い慣習があったのですが、理由を聞いてみると、「辛そうな仕事内容だったら、バックレる可能性があるから。」だと。「逆では?」と。仕事内容が分からず、段取りもできないまま、辛い仕事をさせられるから辞めるのでは?これは、目隠しをされて、謎の現場に連行され、いつ終わるかも分からない労働をさせられる。奴隷じゃん。
目標もなければ、進捗状況も分からない。
極端な例だけど、こんなやり方で「心理的安全性」は無い。


「機会損失、比較優位、多様性の考えが、組織全体に行き渡らない。」

「みんなちがって、みんないい」
小学校で習った言葉が、比較優位の本質だ。
どうしても枠から外れてしまう人間はいるのは事実だけど、篩い落とす必要があるだろうか?
人事、採用担当の悩みを考えれば、すぐ分かる話だと思うのだが、人手不足が叫ばれる昨今の事情を考慮すれば、辞めないでくれることに越したことはないだろう。
仕事ができないから落ちこぼれとか、ヘイトの対象にする職場環境が腐ってる。
考えるべきは組織全体の目標達成であって、個々人の資質ではない。
得意、不得意は当たり前にある。
分担すべきであって、適材適所を考える必要がある。
「比較優位」という言葉に関しては説明は省くけれど、
自分がやらなければならなかった、めんどくさい作業を、誰かに託せれば、それがお互いの成果であるし、組織としての成長である。
パワハラ問題のひとつで、過剰に仕事を押し付けたり、仕事を与えなかったり、成長度合いを無視した仕事を任せる行為は、人事担当からすれば、余計なことしやがってとなってしまう。
もしかしたら、将来性のある人材を失う機会損失、そうでなくても、雑務をこなしてもらえる人材の喪失危機である。

新人が次々と辞めていく職場に必要なことは、社内教育、対話、透明化。
社員ひとりひとりが、機会損失、比較優位、多様性について考える時間が必要だと思う。
「私は忙しくて部下のことにいちいち時間はとれない?」
忙しくなる原因の本質はなんだろうか?
ちゃんと考えるべきでは?
そして、そんな状態のあなたの仕事を分担したい人はいるだろうか?

心理的安全性を無視した会社は、短期的な利益に固執し、長期的な視野を放棄してしまっている。そこで働く社員も同様な仕事をすることになる。さらに、指導規範やら、裁量権やら、いろんな事が曖昧に進めば、チームワークなんてない適当な組織がつくられ、単に椅子取りゲームをしているかの様相を呈してくる。理想は淡々とやる事だと思う。好き嫌いとか、派閥とか、そういうことじゃないし。
社員より機材が大事みたいな風潮もよくみられるけど、そんなことは絶対ないし、人間関係という1番めんどくさく苦労する問題に着手する方がどれだけ大切なことか。
重要なことは、ユルい職場でもなく、厳しい職場でもなく、つまらない仕事でもなく、やりがいのある仕事でもなく、心理的安全性。
それでも、人は辞める。さまざまな理由で。
離職率を上げない職場づくり。
いや職場だけじゃない、
自殺率が少ない社会づくり。


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