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あの時の記憶・・・

只今低気圧が絶賛通過中の道内。今時期は寒い時期ですらあるのに
窓を叩きつける風とは反面、室内が異様に暑い変な状況。

そうあの時も今日の様に暑い日でした・・・

北海道胆振東部地震2018年9月6日3時7分59.3秒


あれから4年が経過。発生時刻はたまたま起きていて、大きな揺れの後家族全員が起きる羽目に。数回の余震のあと本震より30分後に突然の停電。
これが後に言う「ブラックアウト」
道内全域が一斉停電した夜だった。
日の出まで2時間余り、余震に怯えながら朝を待つのでした。

一変した街の景色

家族は職場に出勤するのを反対していた。
ただ、職場にいる入居者や夜勤の職員のことがあり、被災当日は出勤日につき、とりあえず車を走らせる。(幸い家族は皆無事であったので)

TVは停電より付かず、カーラジオを付けて自宅を出発。自宅周囲は目立った被害は目視出来ず。ただ信号機が止まっており、交通整理に警察官が誘導を開始していた。

更に進むといつもの街並みが変わっていた。走行している車は少なく信号機は何処も暗いまま。コンビニに目を向けると長蛇の列が。
私もこの後、商品が買えなくなると予想し入店する。
案の上、商品は瞬く間に品切れ状態。残っているものと言えば激辛のラーメンなどわずかな商品のみ。水を購入出来たのがラッキーだった。
あの光景は、妙にレジに並ぶ客にせよ店の従業員にせよ冷静だったのが思い出された。

その後のニュースで、阪神大震災、東日本大震災などでも起きなかった様に、パニックや店への略奪などは報じてない。そして、目視する中でもそのような状況は無かった。
(実際のところは分からないが)


いつもと違う空気

車を走らせ通勤路は心配していた道路の陥没・破損や浸水など無く交差点を注意して走行。いつもより時間は掛かったが職場には無事到着。
既に職員の何名かは出勤していた。
職場の外観・室内について、ひび割れ破損はしていない様子。ただ、停電と断水状態である。
そして、いつもより、静かな入居者の様子に一抹の不安を感じる。
(その時点ではけが人はなく、気の毒だったのが夜勤者。地震直後は一部の入居者の様子が明らかにおかしくなり、それらの対処が大変だったよう)

まずはいつも通りに接するだけ。
普段大勢の職員がいないホームなので、入居者も徐々に落ち着きを取り戻すが、なお一部の入居者の不穏状態が続く。
食事提供時、ホームの調理システムは電磁調理器のため使用不能。
鍋パーティー用のカセットコンロ使用。また冷食が一斉に溶け始め消費出来ないものは、職員が持ち帰るなど苦肉の対応となる。

時間経過と共に水道が使えない、電気が通らない現実が生活支援の施設において大変な事態に変わってゆく。


時間はいつもの様に流れてゆく

入居者・施設に被害がないのを確認すると、通常人数の職員配置に戻し、残りは戻る。暫くすると心配して訪れる家族や法人本部の職員などでホーム内はいつも以上に人の出入りが多かった。

出来ることが限られているため、これまた皮肉だがいつも以上に入居者と関れる時間が持てた。いつもよりのんびりと談話。レクリエーションも長く行い、歌を歌い不安を払拭するのであった。

時刻は16時を迎える頃、当日の夜勤者到着し始める。
交通手段が完全にストップ。タクシーを使った職員や、いつもより2時間早く自宅を出て徒歩で来た職員から街の様子の報告があった。

”やがて日没”

本日出勤した職員は明日に備え帰宅する。帰りは自家用車通勤者がバス、徒歩通勤者をそれぞれに送る。震災後幸いにして携帯電話、有線電話は使用可だったので、何かあれば駆けつける手はずとなる。
ホームを出ると静かであった。

今でも覚えているあの夕焼け
そして、徐々に暗くなっていく街並みを…

同僚を自宅に送る最中、通行止めの箇所や建物への被害があった場所が徐々に見えてくる。飲食店では冷蔵庫が使えないため、冷凍の食材を七輪などで焼いて、お客提供している店。コンビニは売れる商品が無くなり閉店している。スーパーも然り、ガソリンスタンドには長蛇の列。店じまいのスタンドもちらほら。

交通量はいつもと変わらない帰宅ラッシュ時。
大きな道路の交差点以外は警察も人が回せない様子。それらの光景を見ながら同僚の家まで言葉少なめに向かう。


あの夜の星空は忘れない

同僚を無事に自宅まで送り、私の自宅へ向かう。カーラジオから流れる情報が刻一刻と変わってゆく。
日が沈み見慣れた街並みが真っ暗になってゆき、ヘッドライトだけが流れる。

無事に自宅に到着。自宅は本震以降も断水は免れていたので、停電は続いていたが汗だくの体を冷水シャワーで洗い流した。
あの日は暑い日。もしこれが真冬ならどうなっていたのだろう?と今でも思い返す。

家族は変わりなく過ごしていた。住んでいる地区は大きな被害はないようだが、マンションなどでは断水状態。近くの公園に水汲みの人達が多かったとか、スーパーに行けど商品が買えなかったとか平時でない様子を教えてくれた。

ただ不思議と、暗い室内だけどローソクやランタンなどで照明は事足りて、非常時に暗いだけでこれだけ精神面のダメージがあるのかと改めて知る反面、まるでキャンプの様にローソクなどの灯が、どれほど心に安心感をもたらしているのかを感じる。

今日1日にそれぞれの視点で見聞きし感じた話を報告し合い、まるでキャンプの様な夕食(ガスコンロで鍋を食べる)を済ませそれぞれの部屋に戻る。

妻に帰宅時に見た街の景色を話していると、ふと「外見に行かないか」と妻に提案すると妻ものって外に。

"辺りは真っ暗"

私の住んでいる場所は住宅地であるが、近くのスーパーやら大型施設など多数ある地区。正直こんな暗くなるのは、まずありえないところ。

月が無かったが、見上げた星空に思わず息を飲んだ
「すげー綺麗だーー!!」
と思わず声が出てしまったが、妻も感嘆の叫びを挙げていた。

"星の瞬き"

まるで森の中などで見る光景がこんな場所で体験出来るなんて!!
こんな地震は出来れば願い下げだが、悪い中であっても自然は何ら変わりなくその姿を現していたのだ。
暫く妻と見とれていた・・・

その後

北海道全域が復旧したのは数カ月を要した。インフラの復旧にも地域差があり、広い土地ゆえ仕方ない。

あれから4年が経過した。
今日の日付を見て、あの時の記憶が蘇ってきた。
のど元過ぎればであるが、地震大国に住んでいる中、またいつ何時同じような体験をするかもしれない。

亡くなった人や被害に遭われた人も大勢いる。
失ったものは計り知れないが、生き残った我々は今を大切に生きてゆく。
それ以上でもそれ以下でもないのだと思うのです。

おしまい

最後まで読んで頂きありがとうございます
次の記事で会いましょう。



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よしぱら
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