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人生考 Vol.1
シャワーを浴びてふと考えていました。
今利き手が突然使えなくなったらどうするか?
単純に考えれば、もう一つの手を使うしかない。
これは誰しもが考えることでしょう。
そこで発想の転換!
①使えなくなった手をリハビリして使えるようにする。
②誰かに手伝って貰う。
③手以外で補う(口、足使えるものは何でも)
人の体を考えると、実に面白いです。
二つ有るもの。一つしかないもの。
二つ有るものは、片方が使えなくなっても代用が利く。そして現代の医学ならば、一つしかないものでも、移植や代替で救うことが出来る器官や臓器を産み出している。
これは体の話ですが、ことこのようなことを考えていると、何やら不思議な感覚に陥り、今回の記事にしています。
一つ、二つ...
替えが利くもの、そうでないもの有ります。
それはなんだろう?
先程話した体のこと。
自分は誰にも代えられないし、また他人のことも代えられない。沢山の人がこの世にはいます。全人口は70億人を越えており、その殆どの人と一生の内に会うことなく、やがて私も消えていきます。
歴史に名を残す人は、人並み外れた行動力や思考力、研究だったり文学、音楽など芸術に秀でている。また政治家や哲学者など一握りの天才でしょうか。
天才に会ったことがないので、良く分かりませんがきっと凡人にはない、オーラや佇まいがあるのでしょうね。
ちょっと話は脇道にそれます。
世界は広いです。先程中国のシルクロードを旅する番組を観ていました。もっぱら今までは世界地図を大雑把に眺めていましたが、その詳細が今は撮影技術の進化から、撮影方法もバラエティーになり、一昔の空撮では飛行機やヘリコプターを使っていまいたが、現代はそれ以外にドローンを使っての撮影が支流になっており、今まで観たことのない映像を体験出来るようになっています。
テクノロジーの進歩は、これまでとは違う世界を私達に示しています。仮想現実についてこれまでは、まるでSFの話でしたが、もう既に当たり前に訪れています。そこで改めて考えるとその世界では、個人、ひいては自分という世界が大切になると思います。
つまり、代替できないもの、それは自分であるということです。
何を今さらと思われますが、没個性、同調圧力、村八分、長いものに巻かれろ的な風潮は今なお日本では強いです。その中で生きていると、本当に毎日がしんどいです。
「お前の代わりはいくらでもいる!」
と言う人がいます。
”そういうお前に代わる奴も一杯いる…”
パワハラ、セクハラ、モラハラなどとにかく他者に対してマウンティングしてくる輩は、悲しいかな至るところに居る訳で、自我を保つこと、もとい自分らしく生きることを許さない風潮が蔓延しています。
何故だろ?他者に対してこのような言動をとる人達は立場上、仕事上やらなければならない?コミュニティーや友達関係の中でさえ、力関係は生じます。これはもはや立場、相性云々なんかよりも人としての悲しい性(さが)でしょうね。遺伝子レベルに組み込まれている負の感情。
キリスト教の中に7つの大罪と言う教えが有ります。紐解くと以下のことが書かれてありました。
七つの大罪(ななつのたいざい、ラテン語: septem peccata mortalia、英: seven deadly sins)は、キリスト教の西方教会、おもにカトリック教会における用語。ラテン語や英語での意味は「七つの死に至る罪」だが、罪そのものというより、人間を罪に導く可能性があると見做されてきた欲望や感情のことを指すもの。
ウキぺデアより
このような教えは昔から脈々と続いており、驚くことに人は時代が変わっても本質は変わっていないのかと。
次元上昇(Ascension)なる言葉が有ります、スピ系の言葉でお馴染みになりましたが、そのように変わりたいものです。
代わりはいない 代われない
人は他人に対して、いつしか知らず間に羨望、嫉妬などの感情を抱くことが有ります。きっと自分と比較して、敵わない、敗けを認めると感じた時点で、素直に称賛や祝福の気持ちを出せば良いのに、素直じゃなく嘆きや怒りなどから、負の感情に発展していくのでしょう。
しかし、これは最初から圧倒的に力や設定に差が有れば起こり得ないと思います。”金持ち喧嘩せず”的なあれでしょうか。”隣の芝生は青い”的考えもまた仕方ないです。
自分しかいない。自分は自分。かけがえのない自分。自分軸で生きる。
まとめ
シャワーから出たら、利き手の痛みが強くなり、髪を乾かす手は利き手じゃない手で行いました。
普段使わない分、勝手も違い不自由さこの上ない状態です。
その中で今回のこと考えていました。
代わりになるなら、何でも使え。だけど、他に対して感謝は忘れるな。それが自分の体で有っても。
何故なら、それすら出来なくなったらそこで可能性の目を摘むことになるから。
かの有名なヘレンケラー(ヘレン・アダムス・ケラー 本名は分かりませんでした😅)はアン・サリヴァン先生に出会い、彼女の人生は大きく変わっていきました。彼女の人生は平坦ではなく、彼女を支えたサリヴァン先生もその半生は平坦ではなかったようです。ただ、この二人が出会ったことで障害福祉の分野で様々な功績を残していくのでした。
人生はどちらかです。
勇気をもって挑むか、棒にふるか。
ヘレンの言葉です。
失くなった、若しくは初めから無いものを悔やんでも仕方ない。人生詰んだと嘆くよりも、
”もがいて、あがいた方”がきっと後悔が少ないのだと言うことを。
そして、感謝の気持ちが有ればきっと素晴らしい世界が拓けて来るのかと考えました。
今回はここまでです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
それでは、次の記事で会いましょう。
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