思い出に残っている食べ物 そしてこれからの食卓を考える
12月17日
今朝は晴れ渡った空、昨夜降った雪で一面キラキラ輝いています。
朝からのゴミ出しでちょっと現実に戻りますが、このような景色は
毎度見慣れてはいるのですが、きれいなものです。
さて今回の記事は
”思い出に残っている食べ物そしてこれからの食卓を考える”
について書いてみたいと思います。
食事… かけがえのない思い出
皆さんにもこれを食べるとあの頃の記憶が蘇る食べ物有るのではないでしょうか?
春 山や川辺などで摘んだ山菜
夏 海辺で食べたお弁当、焼き肉(北海道らしい😁)
秋 七輪で焼いた魚、取れたての新米
冬 家族みんな揃って食べた、クリスマス、正月料理
などなど、地域や季節、時代や場所、一緒に食べた人達の思い出はそれぞれにあるのかと思います。
食事は日々生活で基礎となり、また健康面でも大切。
また、食事は楽しいものでもあり、記念日、お祝い、お別れなどの人生の節目にもある大切なものです。
50年生きていると、それなりに思い出は有ります。
いいもの、悪いもの、嬉しかったもの、悲しかったもの、楽しかった時
辛かった時…。
その時誰と過ごしたか、今は全てが懐かしく、愛おしくさえ思えます。
初めての記憶
そうですね、それは親と一緒に食べた記憶でしょうか。
何を食べたかまでは覚えてはいませんが、家族団らん、月並みな表現ですが、きっとこれだと思います。
母が食事を作り、父、私、弟と囲む食卓。
そこには日々の日常が有りました。
今でこそある程度は食べれるようになりましたが、子供の頃は好き嫌いが多く、よく親に「野菜食べなさい!魚食べなさい!」などと叱られたものです。
年を重ね、人生のステージが変わるにつれ、食べられるものが増えていくと
あれだけ嫌いだった野菜や魚が
「ああ!これこんなにおいしかったんだ…」となり、それまで食べられなかった(正確には食べれたのに食べなかった)ことは、人生の楽しみをなくしていたのかと思います。
きっとこのことは私だけではなく、皆さんにも多かれ少なかれ有るのではと思います。
(そんなことお前だけだよと突っ込まれるかも😅)
思い出の味
沢山あります。そんな中思い返してみると、あれは母が作ったおやつ。
私が中学生だった頃の思い出の味です。
当時母は自分の体形など健康面で気になっていた時期だったのかと思います。食べ盛りの私は弟といつもおなかを減らしていました。
多分母はTVかラジオの料理番組でそれの作り方を覚えたのでしょう。
レシピ(分量は分かりません)
・玄米
・砂糖
・油
・小麦粉
・塩
・水
多分これだけだったのかと思います。
作り方
①玄米を良く洗い、洗い終わったらざるに上げて水切り
②水切りが終わった玄米を軽くフライパンで炒る
③炒り終わった玄米を冷ましてから、水溶き小麦粉
(やや粉が残るくらいの硬さ)に玄米を投入し砂糖、塩を少々入れ
かき混ぜる
④お玉などでタネ(玄米の)をすくい、フライパンはあらかじめ油多め
に入れ熱しておいた状態の中に、小さなおにぎりくらいの大きさの成形
で入れていく
⑤あとは揚げ焼きで一つずつ両面を焼く
⑥出来上がった玄米焼きにお好みで砂糖まぶしたら完成
多分こんな感じだったと思います。
見た目にも”うーん”って思えるものでしたが、出来立てはとてもおいしかったことを記憶しています。
素材がシンプルなので健康面を配慮したおやつでした。
砂糖をまぶす代わりに、ケチャップ、マヨネーズ、ソースなども掛けて味変していました。
ポテチ、チョコやジャンクフード全盛だったあの頃、今でも残る母の味。
シンプルなおやつでしたが、まだとても元気であった40代の母を思い出します。
食事を食べるまでの工程
手作りの食事。日々当たり前に口にしているかと思いますが、作り手は食べるの人のことを思い調理します。
改めて考えると以下のような工程があるのかと思います。
献立を考える(今日は何を食べるか?頭が痛いところ🤔)
食材を考え、決める😲
買い物(少しでも安く、良い食材選び、行きつけのお店へ出掛ける🤑)
準備(食材の処理)
調理(焼いたり、揚げたり、蒸したり、炒めたり)
盛り付け(食器選び、見た目に美味しそうに)
食事(やっと食べられる😊)
後片づけ(これ一番大変😅)
これを毎日休まず行う。これって正直大変なルーチン。
だけど、誰しも行っている訳です。
そして、今は仕事でも調理をすることが有るので、これら大変なことを毎日していただいている、妻には本当に感謝しております。
(いつも美味しいごはんありがとう!!😆)
食事 それは奥が深いこと…
現在の世界の人口は約75億9469万人。国や人種、文化などの違いは様々。
毎日食べられる人、そうでない人今後人類の人口は増えていくと国連等で予測が有ります。
食品ロスがないよう、常に考えていかなければと思います。
さて、幸いにして私達は、飢餓にあえいでいる人達から見て本当に幸せだと思います。しかし、昨今日本における失業問題、貧困問題から見える食事の在り方。
フードロスが有る一方で、その日の食事が食べられないでいる人達が増えていることも、現実問題として有ります。
NPO団体などによる、子ども食堂開設、貧困家庭への食材提供、また路上生活者への炊き出しなど、コロナ禍においても尽力している人達がいることも忘れてはならないです。
日々の食卓から、旅先での食事、仕事場や学校、施設、病院など数多くのドラマがそこには有ります。
そして、また世代を超えた継承の味も…。
行きつけの食堂 ラーメン屋 レストランなど、これまた皆さんにも1軒や2軒は有るのではないでしょうか?
代々続く味、途切れる味、新たに継承される味様々です。
最近街を歩くと
「あ!ここにあったお店無くなっている」
と言うことが多くなっています。
コロナによるものか、それ以外の理由からか?いずれにしても各店の都合です。
それまで行き慣れていたお店。
マスター、大将、シェフ、おかみさん
呼び名は違えども、彼らが提供する食事を目的に、そこに介していた様々な客との何気ない会話もまたその店の味になっていました。
今飲食業は本当に大変な時期です。
私達が出来ることで、それら街の灯を一つでも消さないようにしてきたいです。デリバリーやテイクアウト様々なサービスや工夫がなされ、これからの飲食業において、コロナ禍が終息後には今までと違った新たな業態などが生まれていくのかと思います。
今回は”思い出に残っている食べ物そしてこれからの食卓を考える”
について書いてみました。
食べることの大切さ、言うまでも有りませんが、そこには単に空腹を満たすだけではなく、食事そのものが持つ意味合いや記憶はとても尊くそれぞれに沢山あるのかと思います。
幼い頃の食の記憶。やがてそれはその人にとって骨に血になり、生かされる時間に違いが有れど、人生を振り返る時に
”掛けがえの無いもの”になると思います。
皆さんにも味な記憶は有るでしょうか?
そして、これからの時代の食事についてのことも考えてみるのも、いいのではと思います。
今回はこれまでです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
それでは次の記事でお会いしましょう。