
アキのエッセイNo.177-適応と改善、管理を軸にしない支援
こんにちは
アキです。
昨日のつぶやきで
「適応と改善」を手放したお陰で
自分を受け入れ
今を生きられていると
書きました。
私は
精神障害と
発達障害があります。
人生経験が浅い
子どもの頃から
20代前半あたりは
とにかく
「人並みにこなすこと」を目標に
色々頑張っていました。
自分が苦しいのは
人並みに理解できない
こなせないからだと信じて
ひたすら
努力していました。
でも
いくら頑張っても
上手くいかないことって
あるんですよね。
だから
ある時
「改善と適応」を手放したんです。
そうしたら
かなり楽になったんです。
自分の
至らない点しか見えてなかったのが
とたんに
視野が広がって
自分って
苦手なことや不得意があっても
意外とどうにかやれるって
気付いたんです。
また
周りの協力を得ながら頑張ることを知って
ひたすら
独力で頑張ることを捨て
ほどほどに頑張れるように
なったんです。
私は今
再び支援者を目指していますが
支援の肝って
「改善と適応」を促すことだと
思われがちかなと思います。
確かに
それは大事です。
しかし
改善と適応を促すのも
症状や特性、生活を
「管理」するにしても
それは
「手段(ツール)」として
扱うべきことだと思うのです。
適応と改善
管理を軸にしてしまうと
果てがありません。
また
何ために行い
どこまでを
目標としているのか?
そこを曖昧にしてしまうと
際限なく
努力を課してしまうことになります。
出来ない
苦手がある
不適応を
マイナスと捉えることで
自己否定をしているなら
適応と改善
管理は
軸にしない方が良いです。
私は
根底に
自己否定があったから
適応と改善が
苦しかったのです。
だからこそ
私は
適応と改善、管理を軸とせず
あくまでも手段として
捉えたいと考えています。
なら
何を軸にしたらいいか?
真っ先に浮かんだのが
良い悪い関係なく
「余計なフィルターを外して
相手を捉え
受け入れる」ことです。
これが出来ないから
ダメなんだとか
余計な観念、価値観など
そういったフィルターを外したお陰で
私は今の人生を
生きることが出来ています。
支援に必要なのは
単に
社会に溶け込むとか
仕事をするとか
そういう
生活や仕事をするのに必要なスキルを
身に付けることではなくて
まず
いかに
自分(利用者さん)を知り
いかに
自分(利用者さん)を受け入れることが出来るかが
根底にないといけないかなと思います。
そのために必要な作業が
余計なフィルター(自己否定等)外しだと私は考えています。
単に
生き方のスキルを身に付けさせる
支援ではなく
自分の受け入れ方を共に探し
見つけていく
そういう支援が出来たらなと思っています。
最後までお読み下さり
ありがとうございます♪