哲学史講義_Nekeutsch204後半附論_フィヒテ

本体で時間が足らなくなったための追加録画、その二、です(講義とは別の収録です)。
カントは当時においてもむずかしく、その新しさ、その意図が十分に伝わっていたかというと、かなり絶望的、か(無理解とか批判なども相当あった)。とりわけ、カントの時代はフランス革命などの時代の大きな曲がり角だったわけですが。この時代にどのような新しい思想の枠組みが、それとともに、どのような新しい世界が待望されるのか、それにカント哲学が大いに寄与するのだ、とフィヒテはカント哲学の歴史的な意義を人々にわからせようとした、といえます。この点で、フィヒテはカントの思想の意味ないし意図を、時代に即してわかりやすく再説した代弁者のような位置にいます。
それとともに、カントを引き継ぐという自負のようなものもあり。フィヒテとしてはカントの思想をもう一段踏み込んで積極的に展開するような意図をもち、この自らの思想を「知識学 Wissenschaftslehre」という体裁で語るこになる〜、というような話です。
事柄としては「形而上学」「絶対者」「自我」「事行(事実性と行為との総合的統一)」が説明されるような…。 
一部(最後の方で)音声に副愛があります、すみません。

パワーポイントのファイルは付加することができないようなので割愛いたします。

いいなと思ったら応援しよう!

ネコイッチュ
ありがたしです。がんばりますですにゃ。