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長野県初❗️岡谷市で視覚障害者ボウリング講習会開催❣️

 11月16日土曜日に、
岡谷市のイルフアミューズメント2階のボウリング場🎳
スポルト岡谷店で全国で二回目の、
視覚障害者ボウリング指導者・支援者講習会2024 in 長野が開催されました🎳

 20年以上の歴史がある協会さんで、
養成講習会は今年が初めて❗️
そして、この長野県が全国で宮城県気仙沼市に続いて2箇所目の開催地となりました‼️

 スタートは14:00より、岡谷市のイルフ生涯学習館の研修室を借りて、プロジェクターを使った講義を1時間。
 参加者は、長野県ボウリング連盟の野村会長と両角理事長もご参加くださり6名でスタートしました。
 長野県ボウリング連盟は、長野国体の競技団体として、令和5年(2023)より競技力向上委員の増員を図るなどをされてきていました。
 野村会長は長野国スポ準備委員会の委員も務められており、両角理事長も協会の理事長として国スポ準備に奔走されています。

 青松会長から海外の大会へも参加している活動状況なども報告されました。

 戸川選手と石川選手から、選手として弱視者のボウリングの状況や現状などのお話しをお聞きしました。

背が高くてモデルみたいな戸川選手。
石川選手も背が高く、気のいいお兄ちゃんタイプでした。

 また、アイマスクを利用して、参加者が二人一組となっての館内を一周する歩行体験をおこないました。

全盲の選手が使う、ガイドバーの組み立てなども体験させて頂き、正直忙し過ぎるほどの濃密さでした。

 その後、イルフプラザ3階の生涯学習館の3階から2階へ降りて、渡り廊下で県道16号線を越えて渡り、
https://maps.app.goo.gl/PaN139z1TL7VuyYEA?g_st=com.google.maps.preview.copy
イルフアミューズメント館2階の、
ボウリング場、スポルト岡谷へと移動しました。
移動時間は三分ほどでした。
https://maps.app.goo.gl/RB8YopqiHv3TwZkU7?g_st=com.google.maps.preview.copy

 さて、いよいよ実技講習のスタートです。
利用料は後払いの貸し出し用の靴を借りて、レーンへ向かいます。
 まずは先ほど練習したガイドレールの設置の本番です。
床を傷つけないように気を配りながら組み立ててゆきます。
 ここからはとにかくチャレンジなのですが、会場の音が大きくてもうほとんど話しができませんでした。

 実は、ブラインド(目隠し)が、どれほど難しいか😓❓
長野県ボウリング連盟の野村会長と両角理事長さんもご参加くださいました。
 最初、私は写真を撮ってあたふたしていて偶然にも見かけたのですが、
理事長さんの一球目、隣のレーンに飛び込んでしまい、理事長さんもこんな事は初めてだと愕然として何度もその言葉を繰り返してました。
 これがどれほど難しいのか…
動画を撮ってなかったのは失敗だったと残念に思ったのですが、こうしてブログを書いて画像を確認していると…
 ナ・ン・ト❗️
野村会長さんの初投球動画がありました…🎥
動画を貼れないのが残念ですが、隣のレーンに飛び込んでしまってました🫨
 おそらく50年以上も嗜まれていらっしゃるお二方ですが、目をつぶって投げるのは「体」ができているからできるでしょうけど、
目が失われてしまう事とまったく意味が違うことを私も横にいてまぢ間近と実感させていただきました。

レーンの真ん中の所に落ちて、そのまま右のレーンに飛び込んでしまいました。

 全盲のアイマスク体験のみならず、

 白内障や、緑内障などの視野欠損の体験メガネを掛けての体験もしました👓

青松会長のフォーム
戸川選手のフォーム
石川選手のフォーム
青松会長の奥さんの きのちゃんのリリースの瞬間。

 最後の〆の挨拶で、
野村会長も両角理事長もニコニコ笑顔でご挨拶くださいました☺️

 それから、私たちにとっては、
本当のサプライズな参加者がいました😳
私も詳細と前後関係がよく分からずにいたのですがご本人から直接聞いて、時系列も分かるようになりました。
 日野さんという方が、日野先生だとようやく理解できました。
 土曜日に来た女性が日野さんという方で、
研修室に入って挨拶して、席についてもらったら青松先生とよく来たね といった話をしていました。
 私は青松会長の知り合いなら、テッキリ東京から来られた方かと思うと、東京からこっち(長野)に帰ってきたんです…という話で・・・しばらくしてほんの少し話すタイミングがあり話しかけられたら、
 音色くらぶさんですよね、知ってます。
私も卓球大会にいました🏓 と言う⁉️
かなり頭が混乱してました…
 今は美須々ヶ丘高校で教師をしてます、とのこと…
矢野口校長…などという言葉が連発しています…
 要するに、もともと矢野口校長先生時代に松本盲学校にいて、先日のパリパラリンピックの視覚障害者サッカー(ブラインドフットボール)に参加した平林太一君が美須々ヶ丘に進学するにあたり、日野先生も美須々ヶ丘高校についてゆくことになったそう。
 それでそのために、日野先生は東京にある筑波大学附属視覚特別支援学校へ3年間の出向として専門の勉強をされたそう。
ソコで教師をしていて教えてくれたのが青松会長だったとのことで、それで今回は師匠より直接声がかかっての参加となったそうです。

でも、翌日の日曜日に聞いたところ、
3年間も一緒にいたのに、ボウリングのサポートは今回が初めてとのことでした🎳



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