散歩びより … 三嶋大社
家から約3キロ、元気の良い人なら歩ける距離に三嶋大社はあります。初詣から子供の七五三、孫のお宮参りまでお世話になっています。長く親しんできた神社なので、少し紹介させてください。
創建時期は不明ですが、奈良や平安時代の古書にも記録が残っているそうです。大山祇命(おおやまつみのみこと)積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)の御二柱の神を総じて、三嶋大明神としてしています。
大山祇命は山林農産の守護神、事代主神は恵比須様とも称され商工.漁業者の厚い崇敬を受けます。一年を通じ様々なお祭りがあり、三島の賑わいの中心になっています。 三嶋大社 静岡県三島市大宮町2-1-5(三島駅から歩いて7、8分)
春の日差しの中、大鳥居をくぐり広い境内を歩きます。
厳 島(いつくしま) 神 社
鳥居に一礼し参道を歩けば、両側に神池(しんち)が広がっています。その左側の池に浮かぶ小島が、厳島神社です。北条政子が勧進したとされます。安産、裁縫や芸事の上達の信仰があるそうです。
まぁ、この池には鯉と亀がうじゃうじゃいるので、子供が喜びます。岩に乗り日向ぼっこをしている亀を見ると、大人もなんだかほっこりしてきます。
古地図を見ると、この池の右側あたりに塔が建っていました。確か三重の搭でしたが、今はありません。明治の神仏分離令により、取り壊されたようです。神仏習合の大らかさの方が日本の国柄にはふさわしいと、私には思われますが…(その頃 存亡の危機にあったお寺は少なくなかったようです。)
その塔のあった所の近くに、源頼朝の旗揚げの碑が建っています。
神 門(しんもん)
続いて総門を超えていくと、神門です。大鳥居から数えて三番目、最後の門です。ですのでここをくぐる前に、門の手前にある手水舎(てみずや)でひしゃくで水をすくい身を清めます。今は疫病対策ということで、パイプから水が流れてきて手と口をすすぐようになっています。
神門を超えれば神域なのでしょう。写真の門の向こうに見えている建物は舞殿(ぶでん)です。この向こうには三嶋大社の本殿があり、見目神社や若宮神社などの神様も祭られています。
本 殿
本殿は慶応2年(1886年)に建てられました。慶応2年は幕末で、最後の将軍になった徳川慶喜が就任した年です。本殿、幣殿、拝殿の3つの建物が連なる複合社殿で、国指定重要文化財です。
20年も前ですが、元旦に本殿の前で2時間ほど並びやっと参拝できました。ふと賽銭箱に目をやると、結構にお札が混じっていました。大社への信仰が厚いのか、あるいは三島近辺の人たちはリッチなのかと感心しました。
令和2年に「令和の大修理」が行われ、本殿や舞殿とも清々しいたたずまいです。確かに広い境内なので長い石垣には傷んだ所もあり、全体の修理は一大事業、浄財はこうして役立てられるのでしょう。
神鹿園(しんろくえん)へ
本殿へのお参りの帰り道、境内の長い通路を横切り神鹿園に向かいます。ここはひっそりした通りで、うっそうとした樹々に囲まれています。通路の先にはお掃除している人影などが小さく見えて、何故か言いようのない懐かしさを覚えます。
鹿は神様のお使いらしいですね。大正時代に奈良の春日大社から譲り受けたということです。この神鹿園の中には大きな鳩舎もあり、ニワトリも数羽遊んでいました。
気づいてみれば、大社境内には鯉.亀.鳩.鹿.鶏などの生き物が一杯、夏には蝉の声があたりを揺るがすほどの大音響です。
そして、杜の緑は多様で豊かです。時おり枯れかかった木々まであり驚きます。半分がらんどうの白茶けた幹の上方にはそれでも緑の葉がおい茂り、幹や枝には何個もの支柱がされています。人の手入れがいいのか、樹木の生命力が強いのか、たぶん両者のおかげだと思うのですが、ほぅ大したものだなぁと見入ってしまいます。
お土産には福太郎、草餅にあんこが乗ります。1月7日の田祭りの神事に登場する福太郎にちなんだお菓子です。美味しいのでいつも買って帰ります。(草餅が顔であんこはリーゼント状で可愛い、という声もあります。)
簡単でしたが、三嶋大社のそぞろ歩き気分を楽しんでもらえたら幸いです。
取り立てて信仰心はないつもりでしたが、こうして文章にしてみると、私は神社が好きなのかもしれません。
「神様がいるのなら、この疾病騒ぎ何とかしてくれないのかなぁ…」と、時には思います。けれど、人間の都合が全てでしょうか。人生に試練は付き物なのだから、どんな時もよく考え努力し明るい瞳で生きることを神様は望んでいらっしゃるのではないか、そんな気もします。