あれこれ … 工芸界のすみ分け 3/3
前々回までのあらまし
工芸界をその傾向から分け、案内図を作ってみようと思います。ただし、私の長年の見聞や知識が基なので漆芸が中心です。現場(当事者)からの見解というレベルです。
公募展や団体の傾向と連動し工芸界は四つほどに分かれていると、私には見えてきます。そして、以前に書いたのは、A、伝統工芸展 系(伝統技術重視)B、日展 系(美術重視)C、民藝 系(手仕事尊重)D、クラフト 系(北欧調尊重)についてです。
今回は最終回、α、番外(その他団体、無所属)です。その他では、団体ではないかもしれませんが、茶道という大きな勢力を取り上げてみます。
茶道の世界
お茶は伝統と格式ある世界ですが、その道具(工芸品)は用の務めを果たすものと考えられているようです。ですので、道具が伝統工芸系、日展系、民芸系、クラフト系の作品であれ、そのことが問題にはなりません。(現にこのような傾向の作家の作品も、お茶道具として使われます。)問題は他の道具との取り合わせで、豊かな意味を引き出せるかということのようです。
ただ、お茶には独特の世界観があるので、少しご紹介しましょう。
見 立 て
「見立て」とは利久の優れた美意識により生まれた発想だと、私は長くカン違いしておりました。調べてみれば、より深い歴史と広がりがありました。
例として、水筒であった瓢箪を花入れに見立て用いた、朝鮮の雑器であった高麗茶碗をわび茶のお茶碗として用いたなど。
基になったとされる文芸的な表現では、雪を花に、空を海に見立てるなどの和歌が登場します。また水石では、一個の石に深山の峰を、滝を、草原の景色をも見る事もできます。盆栽や庭園も同様です。身近な話では月見うどんなど、卵の黄身をお月様に見立てています。「見立て」は、私たちが知らないうちになじんできた遊び心に近いのかもしれません。
ですので、茶道具も様々な工芸品を見立てることにより、面白くて新鮮な使い方ができるようです。
近代数寄者
数寄者とは、数寄(≒風流の道に深く心を寄せる)から、お茶人という意味です。近代数寄者とは、明治期の政.官.財の有力者であるお茶人を指します。事業家が圧倒的に多く、そのコレクションから美術館を開設することもありました。
このような流れを、「近代日本における実業化(家)文化の変貌ー安田善次郎を中心にー」とした興味深い論文があります。(江戸時代までは、茶道や謡曲などは一部の上流階級のたしなみでした。)
明治になり流出する日本美術を護るため、財界人は美術品を収集していたという説があります。と同時に、近代数寄者にとっての茶道は、上記のような実利を伴う文化であったかもしれません。
茶 道 具
茶道具といえば、千家十職が良く知られています。
この仕組みは、伝統文化や技術を上手く継続させていくのでしょう。ただし、聞こえてくるお茶碗などの値段はそれなりに高価なようです。けれど、初めに書いたように、その道具(工芸品)は用の務めを果たすものであれば良いとする考え方もありです。
また、茶道具しか作らないという一般の工芸家は、少ないと思います。(茶道家元とのつながりの濃淡はあるでしょうが…)多くの工芸家は多様な作品を作っており、その中にはお茶道具が含まれる場合もあります。
お茶道具の捉え方は人それぞれかと思います。精神性こだわるのであれば、そのようなお道具を求めれば満足できるでしょう。また、気軽に楽しみたいのであれば、見立てで身近な器を活かす面白さを味わえるでしょう。このような柔軟さもお茶の魅力の一つだろうと思います。
なお、漆のお椀でお茶を点てるのは、避けていただきたいと思います。竹の固い茶筅でゴリゴリと漆器を引っかくのは、お勧めできません。(他の器で点て移しかえれば良いかもしれませんが、お作法的な是非は不明です。)
無 所 属
工芸は建築などと異なり、厳しい法的規制があるわけではありません。(人間国宝や伝統工芸士などの認定制度はありますが。)団体に所属しなければ仕事できないということはないので、無所属の作家は多いかと思います。初めからそれで通す作家もいれば、結果的にそうなる作家もいて私はその一人です。
公募展は新人発掘に有益な制度に思えますが、その傾向と対策により選ばれる傾向は否定できません。入選するためには、誰が審査員かまたどのような作品が好みかを、事前にチェックする目配りも大事になってきます。
けれど、立派な受賞歴や肩書がなくても、仕事がお客様に喜ばれそうなら、工芸ギャラリーで扱ってもらえます。有難いことです。そして、それなりに対価のある自由な環境で、私は漆器作りをしております。
む す び
きっかけは、私の思い付きです。工芸を傾向に分けそこから掘り下げる見方は色々あるのですが、横断的に見る試みはされてこなかったような気がしました。(知らないだけかもしれませんが…。)
面白そうと気楽に始めたら、我ながらビックリの大仕事になりました。けれど、確認する過程で知らない事が出てきて、新鮮な刺激でした。また、断片的な知識がつながり、長年のナゾが解消されたりもしました。
全体を通してみると、どのジャンルであれ先人たちの思いや頑張りには頭が下がります。けれど、それらは完成形ではなくそれぞれに課題を抱えているようにも見えます。が、それはより良い明日への道程でしょうから、私はエールを送りたいと思います。
このつたない文が、工芸への関心を少しでも高めることになれば幸いです。そして、工芸の仕事が活き活きした暮しに役立つことを願っています。
ご意見など
長い期間お付き合いいただき、心から感謝しています。
まずは事実ではないことを書かぬよう、私なりに注意しました。中立的で分かりやすい内容にしたかったのですが、どのような感想を持たれましたか?
ご意見やご質問が頂ければ、有難いです。