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使える交渉術! 第19話 『杉下課長の判断』


(この物語では、武井青(メーカー勤務 27歳)が、仕事を通じて『交渉戦略』を学んでいきます。)

前回まで

技術部が平静を取り戻す中、武井青の同期・三淵健太が久々に相談に訪れる。担当部品の不具合が納品先でトラブルとなり、原因が特定できず困惑しているという。

武井は情報収集とデータ分析の重要性を指摘し、新入社員の香田信二を提案。香田の数値解析能力を活かし、三人で原因究明に取り組むことに。

第19話:杉下課長の判断

翌朝、三淵健太は、やや緊張した面持ちで杉下課長のデスクに向かった。
昨晩、武井と香田の助けを借りて整理した報告書を手に、杉下に現状を説明するためだ。

杉下課長は、パソコンの画面を見つめながらコーヒーを飲んでいた。40代半ばの杉下は、長年の経験を持つものの、積極的にリーダーシップを発揮するタイプではなかった。三淵が姿を現すと、彼はちらりと目を上げた。

「お、三淵君。どうした?」

いつもの親しげな感じの笑みで三淵に声をかけた。

三淵は一礼して報告書を差し出した。

「課長、昨日の納品先での不具合についての件です。現状の進捗と、初期対応案をまとめてきました。」

杉下は報告書を受け取り、ざっと目を通す。

「ふむ、なるほど。不具合の原因はまだ特定できてないってことか。」

「はい。ただ、仮説としていくつかの要因を挙げています。これから詳細な分析を進める予定です。」

杉下は報告書をデスクに置き、腕を組んだ。

「うーん、困ったね。納品先にはなんて説明したのかな?」

「現時点では、調査中であることと、緊急対応として一部製品の交換を提案しました。納品先の担当者は理解を示してくれていますが、早急な解決を求められています。」

杉下は眉をひそめた。

「交換対応ね。この件、あまり大事になると困るな、上まで話が行ったら、うちの課としてマズイ。」

三淵は、いつものこと、と冷静に話を聞いていた。

「課長、原因究明と対策を急がないといけません。特別に人を割いていただけないでしょうか。 技術部内と、あと実験部からの協力も…」

杉下は手を振って制した。

「分かってる、分かってるよ。でも、今はとにかく三淵君の方で対応してくれ。俺も他の件で手が離せないんだ。」

三淵は一瞬言葉を飲み込んだが、思い切って言葉を続けた。

「課長、難しいのは理解していますが、調整いただけますと助かります。 このままでは弊社の信用も…」

杉下は少しばつが悪そうに笑った。

「いや、君の信頼だろ。頑張ってもらわないと」

「それとね、部長会が近いんだよ。本部長に提出する資料を作らなきゃいけなくてさ。うちの課の業績をしっかりアピールする資料にしないとさ、大事だろ?」

三淵は反応できなかった。

「… 課長、なんともなりませんか?」

杉下は、もう話は終わったとばかりに空中に視線を移し、コーヒーを一口飲んだ。

「まあ、顧客対応は君に任せるしかない。頼むよ、問題は速やかに解決してくれ。」

杉下のいつもの態度とはいえ、さすがに三淵も今回は、かなりの苛立ちを覚えた。

「分かりました。引き続き、原因究明を進めます。」

杉下は人懐っこい笑顔に戻り、PC画面に目を戻した。

「頼むよ。」



デスクへ戻った三淵は、課長の態度に対する不満を抱えつつも、この状況を乗り越えるしかないと覚悟を決めた。

その日の午後、武井と香田に杉下課長とのやり取りを共有すると、武井は苦笑いを浮かべながら言った。「まあ、典型的だよな。でも、俺たちでできることをやるしかないな。」

香田も小さく頷いた。「課長の意向は分かりましたが、僕たちの手で原因を突き止めて、確実に対策を立てましょう。」

「いや、昨日の件はいいが。今後、この件は千田さんに報告しないとだな。本山自動車の例の件は方向性が見えて少し時間が出来たのはあるが、そんなに首突っ込めないぞ。」

武井はあえて釘を刺した。

「悪いが現実問題だ、三淵」

「ああ、わかってる」三淵は頷いた。

「勝手に手伝っていることがバレたら杉下さんもいい顔しないでしょう。千田さんに迷惑がかかるかも」
香田が大人びた視点を示した。
千田はまだ課長ではないが、石田紗希子技術部長の直属で昇進は間近。杉下より大分年下だが、実質は同格だ。

「そうだな」武井が同調する。

「そうだ。でも、部長にバレなきゃ、むしろ有難いんじゃないの、あの人」
三淵の言葉に、3人は笑みを浮かべた。

「千田さんは告げ口するような人じゃないから、出来ることは手伝うよ。いずれにしても話ておく」

「助かるよ、武井」

3人の間に明るい雰囲気が戻ってきた。
さらなる問題解決に、期待と不安が入り混じっていた。



三淵が杉下課長に対して行った対応を、交渉戦略の視点から評価すると、良い点と改善が必要な点が見られます。


良い点

  1. 事前準備

    • 三淵は、整理した報告書を持参し、現状の進捗と対応案を提示しました。これは課長に具体的な状況を伝え、交渉の土台を築く適切なアプローチです。

  2. 状況の共有

    • 問題の深刻さを説明し、緊急性を強調しました。顧客からの早急な対応要求を伝えた点は、課題の重要性を理解してもらう上で重要です。

  3. 明確なリクエスト

    • 「人員の追加」という具体的な支援を課長に要請しました。交渉の場では、解決のために必要なリソースを具体的に求めることは効果的です。

  4. 冷静さを維持

    • 杉下の消極的な態度にも冷静に対応し、感情的になることを避けました。これはビジネス交渉において重要なスキルです。


改善が必要な点

  1. 説得力のある理由付けの欠如

    • 人員追加のリクエストに対して、課長に「なぜそれが必要不可欠なのか」を説得力のあるデータや根拠で補強できませんでした。例えば、「追加リソースがなければ解決が遅れ、顧客からの信頼を損なうリスクがある」といった具体的なリスク提示が不足しています。

  2. 課長の関心事を活用できていない

    • 杉下課長が「部長会の資料作成」を優先している点を把握しているにもかかわらず、それを交渉に活かせていません。「今回の問題を早急に解決することで、課の業績を良く見せる」といった課長の関心事に結びつける戦略が必要でした。

  3. 対話のコントロール不足

    • 杉下課長の話を受け身で聞く場面が多く、交渉の主導権を渡してしまいました。例えば、「具体的な期限」や「小規模なサポートでも実現可能な方法」を提案するなど、代替案を示して交渉を続けるべきでした。

  4. フォローアップの意思表示が弱い

    • 最後に「分かりました」と引き下がった点で、課長に行動を促すチャンスを失っています。たとえば、「引き続き進めますが、具体的なリソース調整について後ほど再確認させてください」と次のアクションを提案するべきでした。


総評

三淵の対応は、誠実さや問題解決への姿勢を見せる点では良かったものの、課長を動かすための説得力や交渉の主導権に欠けていました。杉下課長の優先事項や心理をより深く理解し、それを交渉の武器として活用できれば、より効果的な結果を引き出せたかもしれません。


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