名もなき料理
子どもの頃、夜ご飯で「名もなき料理」が出てくるとガッカリした。
母が「今日の夜ご飯は『豚肉を炒めて焼き肉のタレをかけたやつ』でーす」と言いながら並べる、あの料理だ。
それらは、材料+調理法+調味料の組み合わせで呼ばれる。
「豚肉を味噌で炒めたやつ」「鶏肉を煮て胡麻ダレをかけたやつ」などバリエーションがあったが、一つの材料と一つの味なので、いつも三口で飽きた。
なんなら、食べる前から食べ飽きていた。
名前を聞いた瞬間から「ああ、あれか」と頭に浮かぶ。予想通りの味が、コピー&ペーストを繰り返すかのように一口目から最後まで続く。
手早く熱を通された豚肉はいつも白っぽくて、柔らかくモソモソとした食感も同じで嫌だった。
「こういうのじゃなくてさぁ、ちゃんと名前がある料理にしてよ」
ハンバーグがいい。餃子がいい。
ちゃっかり箸はつけながら、よく弟と文句をたれた。
大人になった今、お望み通りほぼ毎日「名前のある料理」を食べる生活を送っている。
タンドリーチキンも、鯵の南蛮漬けも、検索すれば作り方がわかる時代。実家では聞いたことも無い料理をたくさん作れるようになった。
しかし、どれだけレシピサイトを見ても実家の味は再現できない。
母はトマトが苦手なわたしのために、ときどきコンソメ味のロールキャベツを作った。あのロールキャベツの作り方は、いまだにわからない。
「ロールキャベツ コンソメ」とスマホに打ち込めはレシピはいくらでも見つかるが、材料や分量はすべて違う。
コショウやパセリなんて入っていたっけ? 玉ねぎはどれくらいだっけ? 炒めてあったっけ?
その時々で目についたレシピを試すうちに、実家の味は分からなくなってしまった。
ほぼ完璧に実家の味を再現できるのは、あれだけ文句を言っていた「名もなき料理」だけだ。
熱したごま油にもやしを丸々一袋入れる。軽く炒めたら、くたくたになる前に火を止めて白だしをかける。それだけだ。
レシピを見ずに作れるのは、その料理が「もやしを炒めて白だしをかけたやつ」とそのまんまの名前で呼ばれていたからである。
もやしを入れた瞬間、ジャッ!という音と共にごま油の香りが広がる。これと白だしの相性が、とても良い。
味はご想像の通りだけれど、シャキシャキとした食感に誘われるように二人で一袋分をぺろりと食べられる。
「はい、『もやしを炒めて白だしをかけたやつ』です」
もやしだけで作った真っ白な山。
見た目通りの、実家と同じ味だ。
「うん、おいしい」
週に数回パートに出ていた母が、6時近くに帰宅して作ってくれた料理だった。
あのときもこうやって、ただ「おいしい」と言えばよかった。