お手伝いさんを連れて、お嫁に。
NegiPAN(@negipan55)です。
今月は「書けて、描ける」クリエイター(KAKEクリ)がキャッチコピーなので、noteの記事を書く頻度もあげていこうと思います。
(ついでに、画像もしっかり自分のイラストを使って、描けるアピールも怠りません!笑)
今日は、家族について。
「お手伝いさんを連れて、お嫁に」
なんて、奇抜な?タイトルですが、私の祖母に関する実話です。笑
ふと思い出したので、書き残しておきます。
ちょっと心がほっこりしたり、皆さんが自分の家族を想うきっかけになれば幸いです。
◆祖母は江戸っ子のお嬢様
祖母が亡くなったのは、10年前。
そう言えば、長女の妊娠が分かる少し前でした。
最期まで穏やかでいつもにこやか。
「ありがとう」を欠かさない、とても可愛らしい人でした。
その可愛らしさから、多くの人に愛されるおばあちゃん、でした。
でも、母から伝え聞く祖母の姿はもう少し奇抜です。
・お手伝いさんを連れてお嫁に
・家事はほぼできない
・買い物はデパートや百貨店
・食事は出前やデパ地下のお総菜がメイン
・洗濯物はクリーニングメイン
今であっても、なかなかない家庭環境だと思いますが、専業主婦が当たり前だった母の子供時代となると、かなり他の家とは異なる環境だったんだろうなぁと思います。
(その分、うちの母も少し常識が世間とズレているところがあります)
祖母の実家は浅草で、お墓も浅草にあります。
元々は商人家系だったらしく、お嬢様として育ち、お手伝いさんを連れてお嫁に。
「浅草で商人」なんて聞くと、勝手にバリバリの江戸っ子イメージがありますが、祖母はおっとりして訛りもなく、あまり江戸っ子感はありませんでした。
ちなみに、祖父とはお見合い結婚だったそうですが、若い頃の祖母は女優さん並みに綺麗だったため、祖父は晩年よく「自分の一目惚れで、恋愛結婚だった」と言い張っていたようです。(真面目だった祖父の、かわいいエピソード)
◆おばあちゃんではなく「グランマ」
小さい頃から、母方の祖父母のことは「グランパ」「グランマ」となんの疑いもなく呼んでいました。
(小さい頃は、父方と母方の祖父母は呼び方が違うんだと思っていた)
祖父母のどちらかが、おじいちゃん、おばあちゃんとは呼ばれたくなかったようで、孫全員が「グランパ」「グランマ」と当たり前のように呼ぶ状態でした。
確か、小学生になる頃には、「あれ?みんなと呼び方が違う??」となった気がします。
ちなみに母も「おばあちゃん」とは呼ばれたくないようで、孫たちに自分のことを名前+ちゃん付けで呼ぶように仕向けています。(笑)
(どうやら、グランマは引き継がないようですw)
◆GODIVA(ゴディバ)と言えば・・・
遊びに行くと、いつもお土産として買っておいてくれるチョコレート。
祖母と言えば、「GODIVAのチョコレート」と言っても過言ではありません。
ゴールドに輝く小さな箱に入ったチョコレートでした。
鮮やかな赤が好きだった祖母。
赤い服に、ゴールドのGODIVAのパッケージがよく似合っていました。
お正月やお墓参りなど、孫たちが集まるときは必ず人数分、用意してくれており、今でもGODIVAを見ると、祖母のことを思い出します。
なんとなく親しみがあるため、私もよく、GODIVAのチョコを誰かにあげたりします。(笑)
ここは祖母から引き継いでいけたらいいのかもしれません。
ちなみに、祖母は赤が好きでしたが、母は黄、私は緑が好きです。
そんな風に好きな色を思い出していたら・・・母子3世代で見事に信号機の完成!と思いました。
そして、妹は赤が好きなので、祖母の後をしっかり引き継いでくれているようです。
◆まとめ
祖母は浅草で商人をしていた家系のお嬢様として育ち、お手伝いさんを連れてお嫁に。
ちょっと一般常識とズレたところもあった模様。
赤が好きで、GODIVAのチョコレートをよくくれたのが記憶に残っている。
いつも穏やかで、笑顔を絶やさない愛されキャラ。
「ありがとう」の感謝の言葉を忘れない、可愛らしい女性だった!
できれば、そんな祖母のような素敵な年の重ねかたをしていきたいと思う、今日この頃のNegiPANなのでした。
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貴重なお時間を使って最後までお読み頂き、ありがとうございました。
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