アートボード_1

自分を必要としてくれる人・場所ってあるのか

誰にも必要とされてないとか、誰かに必要とされたいとか、自分は全然だめとか、そういう諸々


ある時、友だちのしごと相談を受けました。
今の業界に疲れているからもう辞めたい。とはいえ自分が何がしたいのかわからなかったそう。ぽつんと「私を必要としてくれる場所は無いかなあ」と彼女が言いました。

呑呑とや満足な日々みたいに中々うまくいかないなあ。自分は何が出来るんだろう。どこか自分を求めて(必要として)くれてる場所って無いのかしら。誰かがあなたが必要だと言ってくれないかしら。そういうニュアンスでした。

私は冷たい人なのかもしれません。
「んん、そういうの多分無いと思う。」
と言いました。でも本気でそう思っているので続けました。
「○○ちゃんに良いところが無いという意味じゃなくて。私達は例えどんなに素敵な人だったとしても、みんな誰かや何処かに必要となんてされてないんだと思う。適職とか天職とか性に合うとかそういうニュアンスはあると思うけど。居場所は自分で作るんだみたいな意味で、求めてもらえるから居ようじゃなくて、自分が好きだからやそこに居たいからいる。じゃあそういうままでいるためにどんなスキルや状況が必要かって考えて自ら身につけていく。同じことをするにしても、すがる意味じゃなくて能動的に、自分もみんなも心地よく過ごすためどうしたいかな、どうしようかな、という気持ちと目線に注目するほうが楽しくて幸せな気がする」
みたいな事を言ったかと思います。
「…なので、何が好きかとか、これ得意だったな、とかから考えていこう。深く考えなくて良いので思いついた所から教えて。普段のトークの感じ。そういえばさ○○の限定コフレみた?可愛くない?ずるくない?あのブランド好きでつい買っちゃうんだよーみたいな、そういう所から見つけよう」
と言うふうに続けて、もう少し話しました。

ああ私達、勝手にそこにいるんだなと最初に思ったのは大学院のときです。
私は大学院に親の反対を押し切って勝手に進んだのだけど、挫折とモラトリアムと病気が重なって休学しまして、そのとき休学届をだしてはじめてそういう事を思って、ショックを受けました。「募集要項」とかね「進学」とかなんかね、どこかで両思いと思ってるみたいな、居てねって思ってもらえてるみたいな気持ちでした。勝手に来たいから来たのにね。ブラック企業にいると私がいなくちゃと思うのもこういう感覚なのかしら、と思いました。
上手く言えてるか分からないのだけれども。


人間同士の場合は、他人の考えや気持ちに振り回されているうちは幸せになれないのかもなと思いました。
好意がある事と分けるというか。顔色をうかがう気持ちがあると「どうして」とか「なぜ」にとらわれてしまう。
そうじゃなくて。
自分はどうであるか。それを尊重されているか。自分も相手を尊重しているか。そういうボーダーを超えて、振り回されたり相手の考えに踏み込んで「どうして」を求めだすと、どうやらへんになる。
自分も気をつける、勝手に踏み込まずに交渉しよう。
突き詰めていくと平行線はどうするんですかとか中々全部に当てはまれないとかあると思うけれど。

そんなふうに思うし、そんなふうでいたいです。

甘えるなとかじゃなくて、居なくていいんじゃなくてどこに居ても良い。
自分は何も出来ないとかじゃなくて、まだ自分に向いてるものやかちりとハマる道やスタイルを見つられていないだけ。
勝手に絶望したときほど発想の転換や良いこと浮かばないよね、みたいな…。

私自身調子に波があるから、こんなこと思ってるんだというくせして調子が悪いときは全然書いてる風に思えなくなったりするんですけれどね…。それも含めてそんなものなのだと。

お気持ちありがとうございます。頂いたお気持ちは勉強に使ったり皆様にシェアしたい内容のため使ったり、大切に受けとめてゆきます。