第9回 もう一つの「発達のなかの煌めき」(『みんなのねがい』連載解説)
2022年12月
白石正久・白石恵理子
第9回 「3次元の世界」を開く
〜「社会」のなかで自分をみつめる〜
はじめに
『みんなのねがい』の連載「発達のなかの煌めき」(以下では「連載」)は、第9回に入りました。テーマは、「『3次元の世界』を切り開く―仲間とともに『だんだん大きくなる』」です。
「もう一つの『発達のなかの煌めき』」(以下では「もう一つ」)では、田中昌人さんらの「可逆操作の高次化における階層‐段階理論」に依りながら、それぞれの発達の「階層」とそのなかにある3つの「段階」について解説してきました。
幼児期の発達の階層である「次元可逆操作の階層」の第3段階が「3次元の世界」です。そこでは「3次元可逆操作」を獲得していくのですが、「連載」第9回はその形成期となる「3次元形成期」について、以下のように解説しました。(『新版教育と保育のための発達診断 下』「Ⅱ‐第6章 5~6歳の発達と発達診断」も参照してください)
「3次元の世界」とは、「7歳の節」である「3次元可逆操作期」と、その準備期である「3次元形成期」(5歳後半~6歳)のことです。それまで「大きい‐小さい」などの対比、比較で世界を捉えていた子どもが、「だんだん大きくなる」に象徴されるように、「大きい」「小さい」だけではなく、「うんと大きい」「ちょっと小さい」さらには「中くらい」といった間(あいだ)をさまざまに捉えて、ものごとを細やかに、すじ道だてて理解するようになっていきます。だから、「きのう・きょう・あした」「遠いところ・中くらいに遠いところ・うんと近いところ」などと時間や空間を区別と連続(つながり)において捉え、ものごとを「好きなところもあるけれども、嫌いなところもある」というように多面性や客観性をもって理解をするようになるのです。この認識は、自分自身へも仲間へも向けられ、お互いが「だんだん大きくなる」ことが嬉しくなるのでした。
「2次元の世界」から「3次元の世界」への発達の変化は、外界にある関係をとらえる変数が「2つ」から「3つ」へと一つ増えるだけではありません。「3次元形成期」は、9歳での学童期の「階層」(「変換可逆操作の階層」)への飛躍のための力である「生後第3の新しい発達の力」が誕生するときです。
発達の道すじを振り返ると、乳児期後半の「連結可逆操作の階層」に飛躍するための「生後第1の新しい発達の力」は4か月頃、幼児期の「次元可逆操作の階層」に飛躍するための「生後第2の新しい発達の力」は10か月頃に誕生します。この第1と第2の「新しい発達の力」について、『新版 教育と保育のための発達診断 上』の「Ⅲ‐第1章 乳児期の発達診断と発達保障」の68~69ページで解説しています。そこでは、第1と第2の「新しい発達の力」の誕生に共通することを、以下のようにまとめました。
① 「新しい発達の力」の誕生のときは、次の発達の階層で主導的な役割を担うコミュニケーション手段(4か月頃は「人しり初めしほほえみ」など、10か月頃は「はじめてのことばや指さし」など)が芽生えるとともに、その手段を必要としそれが意味をもつ人間関係が形成される。
② その関係はおとなだけではなく、仲間(友だち)を意味ある存在として意識し、憧れや葛藤を経験しつつ、互いの結びつきを確かにしていく。
③ 新しい発達要求とそれを実現しようとするための矛盾が生まれ、子どもはその抵抗に立ち向かうために、自らの機能・能力を制御・調整しながら、活動の主人公に生まれ変わろうとする(4か月頃は対象への手指のリーチングなど、10か月頃は抵抗を乗り越えての目標への移動など)。
さて、「生後第3の新しい発達の力」の誕生する「3次元形成期」は、どんな特徴をもっているのでしょうか。
「3次元の世界」(3次元可逆操作の獲得)とは
「3次元の世界」の開き方について、「連載」ではシゲちゃんの発達によって解説しました(白石正久『発達とは矛盾をのりこえること』「集団のなかで子どもは育つ」162-170ページを題材としています)。「連載」は、読者の皆さんの集団での議論を通じて子どもやなかまの理解が深まることをねがい、あまり説明的にならないようにしています。とくに第9回では、「これは具体的にどういうことなのだろう」と、読者の皆さんが疑問に思われることが多かったと思います。その行間を解説していくことが、今回の「もう一つ」の役割です。
・過去や未来への時間軸ができはじめ、そこに自分を位置づける
「ラーメン大好き」なシゲちゃんが憧れをもち、未来へ開かれた時間のなかに社会との接点をみつけて、「ラーメン屋さん」になる自分をイメージしているのがよくわかりました(27ページ、2段目)。
「4歳の節」(「2次元可逆操作期」)を越えていく頃、「ずっと前に、…したな」「きのう、…だったな」などと過去の経験に依拠して語り、「あしたは、…したい」「お休みの日は、…行きたい」などと未来への見通しのなかでねがいを語るようになります。まだ「3次元形成期」のように「きのう・きょう・あした」「きょねん・ことし・らいねん」「きょう・あした・あさって」などと、確かな3つの単位を内包した時間軸の形成には至りませんが、自分の経験の範囲内で過去と未来と現在の間を行き来しながら、自分のことを考えられるようになるのです。
とくに、未来に開かれた認識は、「期待」という感情と結びついたときに、ねがいや目標を実現するためにどうしたらよいのか、一人ではできないことを仲間にどう語り、どう力をあわせていくかを考えたり、語りあう力になります。だから「走り縄跳び」がじょうずになりたくて、夕闇迫るなかで練習したりします。発表会や運動会などの行事では、やりたいことを出しあい、自分たちでテーマや段取りを考えようとするのです。
シゲちゃんは、「3次元の世界」が開くとき、未来に開かれた時間のなかに自分を置き、自分なりの「社会」のなかで「ラーメン屋さん」という大好きなことを結びつけて、夢を抱き始めていたのでしょう。夢と希望、つまり未来ヘの志向性を育んでいくことも、教育や保育の大切な課題となります。
・「ちがう」と「おなじ」を一つの事物・事象のなかに見出す
相撲は本気で勝ちたいのですが、ときどきKくんを勝たせているような姿もありました。そんなとき「Kくん、強くなったなぁ」と優しい目で見つめているのでした。Kくんのねがいがわかり、それをいっしょに叶えたかったのです (27ページ、2~3段目)。
シゲちゃんのように「2次元可逆操作期」にある子どもの場合、外界や自分を対比的にとらえる認識によって「勝ち‐負け」がわかり、勝敗のある遊びを楽しむようになります。勝てばうれしいのですが、負けたことを受け入れられず、大泣きすることもあるでしょう。
シゲちゃんも、もちろん相撲は勝ちたかったのです。でも自分よりもからだの小さいKくんと相撲をしていると、Kくんも勝ちたいと思っているし、勝ったときには本当にうれしそうな顔になることを知りました。対比や比較という認識の特徴をもっている「2次元可逆操作期」は、「ちがい」を認識していくことが優位になるのですが、交流を通じて仲間にも自分と「おなじ」に、勝ちたい、勝つとうれしいという感情があることを知っていきます。そういった共感によって、「いっしょに頑張って機能訓練したから、だんだんこけへん(転ばない)ようになったな」とお互いのことを誇らしく感じられるようにもなっていきます。
物事に、「ちがい」と「おなじ」があることを理解することは、「りんご」と「みかん」は「ちがう」けれど「くだもの」として「おなじ」だというように、上位の概念を形成し言語の認識を豊かにしていく土台になります。そういった認識が個人のなかで可能になるだけではなく、自分と他者、自分と仲間の関係においても、ねがいや感情に「おなじ」があることを知っていくことによって、互いを大切にできる人格として発達することができます。「サトちゃんは、赤ちゃんが産まれるんでお母ちゃんが入院しはった。さびしいやろな。晩ご飯いっしょに食べてもいい?わたしもお母ちゃんが入院したときにさびしかった」などと思いやりをもって友だちのことを想像します。また、口げんかしている仲間を見つけると仲裁に入って互いの思いを聞き取り、心が「おなじ」になって仲直りできるように、折りあう手がかりを探すようにもなります。「連載」第10回(1月号)では、「ちがい」をくぐって「おなじ」に気づくことについて、解説する予定です。
さて、シゲちゃんにとって、Kくんは「小さい」ゆえに大切にしたい思いをもてる友だちでした。そういった「大切にしたい」思いをもてる友だちを求めるのも、「3次元の世界」を開きつつある心です。
・「書きことば」の土台は、すじ道立てて考え文脈を形成すること
その頃、シゲちゃんにはむずかしかった「小さな丸からだんだん大きくなるように丸をたくさん並べて描いてください」という「円系列課題」(『新版 教育と保育のための発達診断 下』、115ページ)で、途中で丸が小さくなってしまうことはあるのですが、気づいて書き直すようになっていきました。「だんだん大きく」などという活動の規準枠(テーマ)を忘れずに、活動をつなげていくことができるようになったのでしょう。「三次元の世界」を開きはじめたのです(28ページ、3段目)。
「だんだん大きく」を理解しながら、丸を描きつなげていくことができるのが「円系列課題」です。活動の規準枠(テーマ)とは、それを認識しながら活動をつなげたり、調整していくことです。集団活動の約束事、ルール、理解すべき状況も、この規準枠にあたるものです。
「書きことば」は、「伝えたいこと」をテーマとして意識して、文字とことばを選びながらそれをつないで構成されるコミュニケーション手段です。「読み書き」能力が、それだけで「書きことば」になるのではなく、実は「話しことば」で「お話」をつくることの豊かさ、確かさが基盤にあると言えるでしょう。
「お話」には、「伝えたいこと」が認識されて、その伝えたいことをテーマとして言葉を探し、つないでいくという過程があります。5歳児が、「あのね、えーとね」「ほんでな、あんな」を多用して「お話」をしてくれるときには、そのトツトツとした展開に、おとなはしびれをきらして、急かしたり遮ってしまうこともあるでしょう。「あのね、えーとね」は、言葉を探す子どもの一歩一歩の頑張りの表現です。私たちも子ども時代のことを思い出してみると、伝えたいことを自分の言葉で表現でき、聴いてもらえたことが、どんなにうれしかったことか。
また、その「お話」をする喜びが、ときに現実を越えた作り話になってしまうこともあります。「あんな、散歩でな、大きなトラックがビュンビュン来たねん。風がビューと吹いて、子どもはみんな魔女みたいにな、飛ばされたねん」。「うそ」を言っているのではなく、お話ししたい思いが余り、言葉をつなげられることもうれしくて、調子のよい「お話」を作ってしまうのでしょう。きっと文脈を形成していくための準備運動をしているのです。
また、シゲちゃんの「マラソンしたこと」の作文のように、テーマから離れて「ミシン縫い」になったり、気づいて元のテーマに戻ったり、でも本当に伝えたいことは「ミシン縫い」だったので、それで話を一気に結ぶという脱線の繰り返しは、よくあることです。「伝えたいこと」があるからこそ、その思いの丈が文脈を作る牽引車になっていくのです。
10か月頃、「話しことば」の獲得期である「1歳半の節」を乗り越えていくための「生後第2の新しい発達の力」が誕生すると、「何ごとも不思議と思う心」によって、見つけたものを指さしで教えてくれます。そのとき、おとなや仲間はそれを同じ目の高さで共感・共有する存在でした。同じように、「書きことば」の獲得期である「9歳の節」を乗り越えていくための「生後第3の新しい発達の力」が誕生すると、子どもの「社会」のなかでの伝えたい生活の事実を我がことのように受けとめてくれる存在が、3次元のつながりと広がりをもった文脈の形成を支えることになるのです。そこでは、子どもたちが力いっぱい主客を転倒させて、コミュニケーションの主人公になっていきます。
・仲間・社会とつながって、「書きことば」は人格の発達へとむすびついていく
「ぼく、へたやから」の日々があったから、「うれしくてうれしくて」は真実の言葉になりました。「こん度もがんばります」には新しい発達のエンジンが備わったことが暗示されていました(28ペーシ、1段目)。
「ぼく、へたやから」という言葉には、シゲちゃんの自分の現実と向きあう苦しい心が表現されていますが、ただ立ちどまっているのではなく、なんとかその現実を乗り越えていきたいという思いが隠れているようでした。子どもには、いつも「よくなろう、よくなろう」という言葉にならない思いがあります。自暴自棄に聞こえる言葉も、他者へのいら立ちの言葉も、その背後の本当のねがいを受けとめてもらったときに、発達の矛盾を乗り越えて「うれしくてうれしくて」にいたることができるのです。シゲちゃんは、その矛盾を乗り越えたことが自分への信頼につながり、ちょっとむずかしいことにも挑戦しようとする「新しい発達のエンジン」を始動させることができました。そしてそのことを、「こん度もがんばります」と表現しました。シゲちゃんにとって、この「新しいエンジン」は、「生後第3の新しい発達の力」の誕生だったのでしょう。
「うれしくてうれしくて」は、シゲちゃんの「ミシン縫い」を励まし、その雑巾を喜んで受け取ってくれた仲間へのメッセージでもあります。「書きことば」で表現された「伝えたいこと」には、それを伝えたくなる他者がいます。とくに、「話しことば」で伝えられない目前にいない他者や、複数の他者に対して、その思いを伝える役割を担ってくれるのです。そこには、読み手の側に視座を移して、相手の心情を想像する力が求められます。
こういった「書きことば」の獲得を、個人のなかの「閉じた」文脈の耕し方ではなく、他者と心でつながった「開いた」文脈の耕し方として指導していくことの大切さを、『新版 教育と保育のための発達診断 上』「Ⅲ‐第4章 7歳の発達の質的転換期と発達保障」で川地亜弥子さんが論じています。そこでは、障害児保育の開拓者であった大津市の「つくし保育園」の70年代前半の保育実践が、田中昌人さんの『復刻 講座発達保障への道 第1巻』での論評とともに紹介されています。育ちあった友だちの入院生活への激励を込めて、そして卒園旅行でお世話になった民宿の「おばさん」への感謝を込めて、みんなで力をあわせて文字を拾い、文脈を作ろうとする「共同の事業」としての「書きことば」の獲得が描かれています。「読み書き」がうまくできるかどうかではなく、仲間・社会と結合して、手をつなぎあって発達していこうとするヨコへの広がりを内にもった言葉が「書きことば」なのです。
この田中昌人さんの『復刻 講座発達保障への道 第1巻』は、「3次元の世界」の開き方を学ぶための格好のテキストとなるでしょう。
・「二分的評価」を乗り越えた自己形成のねがい
二分的評価にとらわれていたシゲちゃんの自分へのイメージが、できないこと、へたなことはあるけれど、友だちと思いやねがいを共有して頑張り、その頑張りをみんなに受けとめてもらえる、新しい次元の自分へと変化していったのです(29ページ、1段目)。
シゲちゃんが、養護学校(当時)中学部の体験入学で目にしたのは、自分と向きあい「ぼく、へたやから」と言わざるをえない自分とはちがい、思いを共有して、そのために活動している集団の姿だったのです。仲間とともに新しい価値を「生産」している、つまり「おしごと」している姿だったのでしょう。
「二分的評価」やいわゆる劣等感は、簡単に消えてなくなるわけではありません。「3次元の世界」では、苦手意識や自分の不器用さへの思いはもちつつも、自分と向きあうだけではない、それを越えて、仲間との小さな「社会」のなかに自分を位置づけていこうとするのです。そしてその「社会」のなかで、自分の受容感や存在の意味の実感をもてるようになっていくことが、「3次元の世界」の「新しい次元」の自己認識なのです。それは「できる‐できない」「じょうず‐へた」という自分への「二分的評価」を乗り越えながら、「社会」にあって「こうありたい」という自己形成(自分づくり)へと視野を広げていくことです。
「4歳の節」にある子どもは、対比や比較によって、特別支援学校や学級に通う自分のことを否定的に感じがちです。さらに「3次元の世界」が開くと、視座を自分から「社会」の側に移して、客観的に自分のことを認識するようになっていきます。他者から「特別支援学校は、頑張っている子どもたちの学校です」と言ってもらっても、この認識は簡単には塗りかえられません。子どもたちが求めているのは、この学校、学級が、どんな素敵なところなのかを、自分の実践を通じて文字通り実感していくことです。その実感は、シゲちゃんの「うれしくてうれしくて」に込められているように、仲間と互いを認めあい「だんだん大きく」なってきた自分たちへの誇りによるのだと思います。
子どもやなかまは、属する集団のありようによって輝きます。そのキラキラ輝く集団では、教師も、保育者も、作業所の指導員も、ともに輝いていることでしょう。その実感がもてないときには、職場の仲間と語りあい学びあって、おとなの側のしんどさの理由を考えましょう。自分たちの輝きを取り戻していこうとする知恵と意志が集まれば、苦しいことも乗り越えていけると思います。
今回の学習参考文献
・田中昌人(原著1974、復刻2006)『復刻 講座発達保障への道 全3巻』全障研出版部
私たちは学生時代に何度も、新書版であった『講座発達保障への道 全3巻』をサークルや研究室の仲間とともに学びあいました。田中昌人さんが1970年創刊の『みんなのねがい』に連載していた「発達保障への道を力強くすすもう」を単行本化したものです。
「書きことば」獲得期にある5歳児(第1巻、32-70ページ)
「笑顔」の獲得期にある3,4か月児(第2巻、176-194ページ)
「話しことば」獲得期にある1歳児(第3巻、142-200ページ)
以上の発達要求についての解説は、単なる発達論ではなく、発達の原動力を子どものなかに探求しない非科学、実践における個人主義を批判し、民主的な集団のなかでこそ子どももおとなも育つことが語られています。この部分は、平易な記述になっています。
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・白石正久・白石恵理子編(2022)『新版 教育と保育のための発達診断 上』全障研出版部
・白石正久・白石恵理子編(2020)『新版 教育と保育のための発達診断 下』 全障研出版部
・白石正久(1999)『発達とは矛盾をのりこえること』全障研出版部
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