フランスW杯における日本共産党の隠れたアシストについて
Q:「隠れサッカー本」とは?
A:サッカー本には該当しないが、サッカーに関する記述が少しでもある本のこと。
詳しくは以下のnote記事を参照ください。
隠れサッカー本の紹介記事は、マガジン「隠れサッカー本をさがそう」に追加していきます。気になる方は、是非フォローをして頂けると嬉しいです。
前回は、『隣家全焼』(ナンシー関、町山広美)を紹介しました。
本日の隠れサッカー本
『野党協力の深層』(平野貞夫)
平野貞夫は、小沢一郎(衆議院議員・自由党代表)の側近でした。当時衆議院の議院運営委員長だった小沢を、衆議院事務局の職員としてサポートしたことから二人の関わりが始まりました。それが縁で、小沢から政治家に誘われ行動を共にするようになります。
この本は、大きく2つの構成で作られています。
・政権交代の戦略と、小沢一郎の政治理念に関する、平野と小沢による対談。
・衆議院事務局時代、議員時代から現在に至るまで、平野と日本共産党との関わりを回顧したもの。
それでは、サッカーについてどのような記述があるか見ていきます。
※引用部分の太字は、僕が独自に付けました。
フランスW杯出場をアシストした日本共産党
1998年のフランスW杯は、日本にとって初めてのサッカーW杯でした。また、その4年後の2002年W杯は、日本と韓国の共同開催が決定しています
そのためフランスには多くの日本人が、W杯の視察や日本の応援に訪れる予定でした。
ところが同じ時期に「全日空国際線パイロット労組」のストライキが長期化しており、W杯開幕直前になっても解決のめどが立ちません。
全日空の経営陣が、スト解決を小沢に相談したため、平野にもこの相談が持ち込まれました。しかし、小沢にも平野にも解決の手立てがありません。
ストを起こしていた「全日空国際線パイロット労組」は、日本共産党系の組合でした。
そこで、平野は、親しい付き合いをしていた共産党の橋本敦・参議院議員(当時)に世間話としてこんな話をします。
全日空から「なんとかしてくれ」と言ってくる中、法務委員会の開会中、世間話として、全日空の窮状を話し、「せっかくの民族資本で軌道に乗った『全日空』これでは駄目になるでしょう」と、スト問題で私に手のないことを説明した。(p193)
平野がこの話をした後、事態が動きます。
一週間ぐらいして、全日空の社長室の担当者が見え、「実は、共産党から国民が楽しみにしていることが、不調になってはいけない。労使で誠実に話し合うことに共産党も協力すると申し出があり決着した」との報告であった。(p193)
そして、平野が解決のお礼を橋本にしたところ、彼はこんな言葉を残します。
「共産党は国民の楽しみを大事にします」と笑って握手してくれた。(p193)
今年はラグビーのW杯が、来年はオリンピックが日本で開催されます。また、日本は2023年女子サッカーW杯の開催国に立候補しています。
現代において、これらのイベントが果たして「国民の楽しみ」となるのかは、意見が分かれるところかもしれません。今の共産党の議員は、一体どんな反応を示すのでしょうか。
日本の国会議員とサッカーの関わりについて
サッカーと深い関わりを持つ日本の政治家には、どのような方がいるでしょうか。ここでは、国会議員に絞って見ていきます。
今、一番有名な方は、自民党の河野太郎・外務大臣でしょう。
2000年から2005年までに、地元の湘南ベルマーレの取締役会長を務めました。
父の洋平(自民党総裁、衆院議長経験者)と太郎自身は、神奈川県平塚市の出身です。また、祖父の一郎(副首相、自民党幹事長経験者)と大叔父の謙三(参院議長経験者)は、神奈川県小田原市の出身です。どちらの街もベルマーレのホームタウンになっています。
会長を離れた今も、Twitterのプロフィールには「湘南ベルマーレ元代表取締役」の文字が輝いています。
湘南が試合に勝つ度に、「圧勝」という「河野談話」を発表することでも話題ですね。
地元のサッカークラブの会長をしていたという経歴は、各国の要人との外交の場でも話のタネになっているのかもしれません。
サッカー好きであることを最も活発に発信している政治家は、自民党の逢沢一郎・衆議院議員です。
Twitterのプロフィールには、「趣味はサッカー」「国会サッカーチームキャプテン」の文字があります。
「国会サッカーチーム」なるものがあることに驚きました。こちらの記事を読むと定期的に何らかの活動をされているようです。
逢沢は、岡山県出身です。Twitterでもときどき、地元のファジアーノ岡山についてのつぶやいています。
かつて国会議員だった方の中には、サッカー選手だった人もいました。参議院議員だった元愛媛FCの友近聡朗、元サッカー日本代表の釜本邦茂です。
サッカーにゆかりのある政治家の変わり種としては、高橋是清がいます。
大日本帝国憲法の時代の首相・大蔵大臣です。特に、大蔵大臣としての手腕は、今でも高い評価を受けています。詳しくは、「高橋財政」や「リフレ政策」で調べてみてください。
是清の孫に、高橋豊二という人物がいます。
彼は、なんとサッカー日本代表として1936年のベルリン五輪に出場しました。チームメイトからは「マゴ」というニックネームで呼ばれていたそうです。
豊二は、東京帝国大学(現・東京大学)のサッカー部(ア式蹴球部)に所属していました。ウィキペディアで軽く確認したところ、東大サッカー部出身の国会議員は過去に何人かいたようです。他の大学のサッカー部OBを調べると、サッカー経験者の政治家がもっと出てくるかもしれません。
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