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”空気”を支配した2024コンサドーレの「言葉の力」
J2降格が決まった北海道コンサドーレ札幌。前半戦の絶望的な大不振から残留争いまで巻き返した陰には「言葉の力」があった。シーズンが終わったからこそ書きたい、”空気”を支配した言葉の強さと空虚さについて。
本記事は「北海道コンサドーレ札幌 Advent Calendar 2024」に参加して書いたものだ。個性あふれる他の記事も是非ご覧ください。
1.コンサドーレをめぐる「言葉の力」
2024年、北海道コンサドーレ札幌のJ2降格が決まった。悔しい。本当に悔しい。その反面、前半戦の絶望的な大不振からよく巻き返したという気持ちも少しはある。
今季コンサドーレサポーターが実感したのは「言葉の力」ではないだろうか。コンサに関わる多くの人がクラブのピンチに対して様々な言葉を発信した。
私がコンサドーレを応援する理由は、「北海道で一番最初にうまれたプロスポーツチームであり、おらがまちの誇りだからです」。
リーグ戦残り16試合、私はJ1残留を諦める気なんてサラサラありません。
https://www.consadole-sapporo.jp/news/2024/07/10514/
これは、コンサドーレパートナー企業プレゼンツ「絶対J1残留!大応援」招待企画に向けて石屋製菓の石水創社長がクラブを通して出した声明である。
ほかにも2020年のコロナ禍でクラブが発信した「日本一諦めの悪いクラブ」というキャッチコピーが4年の時を経てSNSをかけめぐった。
言葉には人間を奮い立たせる、行動を起こさせる力がある。そう感じたコンササポも少なくなかったはずだ。
2.クラブの命運よりミシャの首
2024年5月29日、「北海道コンサドーレ札幌にかかわる全ての皆さまへ」と題したリリースがクラブから発表された。簡単に要点を記す。
・現状降格圏を脱することはできてないが、ミシャ監督で継続するのが最善の策
・今シーズンの最後までミシャ監督と戦う
・今シーズンをクラブとミシャの集大成とする
・サポーターも含めて同じ方向を向いて前に進みたい
このリリースを受けて「覚悟を決めた」とSNSに投稿するコンササポもちらほらいた。
クラブやミシャに対して言いたいこともあるが、そう決まったからには「やるしかない」という思いが、このリリースでコンササポの中に醸成されたといえるかもしれない。
クラブは、今シーズンの最後までミシャ監督と戦う決意をしました。
https://www.consadole-sapporo.jp/news/2024/05/10331/
ところで。どうしてクラブは5月の段階で「今シーズン最後まで」ミシャ監督と戦うと、自らに縛りを入れる表現を使ったのだろう。まだシーズン終了まで半年以上あるのに。
結果としてリリースを出したときより、シーズン終わりの方がチームを取り巻く状況は良くなった。J1残留はできなかったものの、結果論からいえばミシャと戦った決断は大外れではなかったのかもしれない。
しかしリリースを出した後に、もっともっとチーム状況が悪化した可能性もあったはずだ。ミシャの求心力が地に落ち、目も当てられないことになったかもしれない。
そういう惨劇も想定した上で「今シーズン最後まで」と明言したのだろうか。
この言葉の意味を字面通り解釈すると、どんな状況(健康状態や家族の事情は除く)におちいってもクラブはミシャ監督で戦うということになる。もっとみじめで悲惨な状況になってもだ。
このクラブにとってはクラブの命運よりもミシャの首の方がはるかに重いのか。そういう論理になってしまう。
当時の僕はミシャ継続に大反対だった。だからといってクラブがミシャ継続を打ち出したことに対してこのような疑問を抱いているわけではない。継続なら継続で仕方ない。
でも「今シーズン最後まで」とわざわざ書く必要があったのだろうか。「今後もミシャ監督と戦う」と状況によっては方針が変えられる余地を残した表現でもコンササポは充分に奮い立ったし覚悟を決めただろうに。
3.ルヴァンカップ優勝と同格になったJ1残留
2024年7月13日、ホームのヴィッセル神戸戦後にコンサドーレの公式Xがある投稿をした。応援席にあいさつに来た選手に声援を送るサポーターの映像と思いをつづった文である。
この投稿を見て胸を熱くしたコンササポもいたのではないだろうか。コンサドーレのX投稿内容は、今季から非常に大きく変わったように思う。サポの琴線に触れる内容は何かを今までより練り上げている印象だ。
この状況から残留できたら、それはクラブ史において「#新しい景色」かもしれません。
https://x.com/consaofficial/status/1812038237072032178
「新しい景色」、それはまさにコンサドーレとミシャの体制を象徴するような言葉だ。
見たことのない新しい景色を見よう。そうやってコンサドーレはJ1 4位という過去最高順位に登った。ルヴァンカップ決勝の舞台にたどり着きタイトルまであと一歩のところまで迫った。
「新しい景色」とは自分たちのがんばりや積み上げで、今までコンサドーレが到達したことのない場所に行くことだ。それが順位だったりタイトルである。僕はそう理解していた。
公式Xが言うには、この状況から今季J1残留を果たせばそれも「新しい景色」だそうだ。自分たちのがんばりや積み上げで大逆転残留。うん、新しい景色だ。
いや、ちょっと待ってほしい。J1 4位もルヴァンカップ決勝進出もコンサドーレのがんばりの積み上げでたどり着いた。プラスの積み上げだ。これは分かる。
だが今季は違う。クラブが大逆転残留を目指すことになったのは、決して理不尽な状況に追い込まれたせいではない。冤罪で勝ち点をはく奪されたり、自然災害や謎の伝染病で北海道が窮地におちいったわけでもない。
今季の不振はクラブに足りないところがあり結果を出せなかったからである。自分たちの失態を後からがんばって己で己の尻ぬぐいをした成果を「新しい景色」だと本気で言っているのだろうか。
だったら毎年コツコツがんばってJ1に残り続けていることも「新しい景色」だともっともっと毎年連呼すればいいではないか。
自分たちのやらかしのカバーをルヴァンカップ決勝進出やクラブ過去最高順位とまったく同じ言葉で表すのは、それらがさも同格のものだと表明しているのに等しい。
ルヴァンカップ決勝進出(そして優勝)と、2024年のJ1残留(果たせていたら)を「新しい景色」として同じ価値と考えている人が果たしてどれだけいるだろう。
確かに「奇跡の残留」を果たせばコンサドーレの歴史には残るだろうし、何かクラブの流れを変えるきっかけにはなったかもしれない。それは同意する。
なら違う表現を考えればいいじゃないか。「日本一諦めの悪いクラブ」なんて素晴らしいフレーズを編み出したクラブだ。「新しい景色」という言葉に無理やり頼らなくても、サポーターが奮い立つ表現を出せたのではないか。
4.届けたかったのは”空気”だ
言葉とは、意味を持つものである。だからどんな意味として受け取られるかをじっくり考えた上で言葉は発されなければならない。
先にあげた二例は、気持ちだけが先行して一部の意味が置いてかれている。意味がその辺に置いてかれた言葉は、果たして言葉といえるのだろうか。
重視されたのはおそらくインパクトだ。コンササポに映える、エモいものを届けたい。コンサドーレが届けたかったのは意味のある言葉なんてものじゃない。「絶対にJ1残留するんだ」という”空気”である。
山本七平『空気の研究』によると、日本における”空気”とは、非常に強固でほぼ絶対的な支配力を持つ「判断の基準」である。
今季のコンサドーレの発信は「現体制でサポも含めて一丸となってJ1残留を勝ち取るしかない」という絶対的な判断基準、すなわち”空気”を作り上げることに成功した。
この”空気”に「体制を変更して」や「やり方を変えて」、「チームを批判して」という選択肢は存在しない。そのように抵抗する者は「今それ言うか?せっかく一丸になっているのに」と抗空気罪に問われて異端視される。それが山本七平のいう”空気”だ。
5.だがそれでいい
しかし、実はそれでいいのだ。
二例どちらもその発信で多くのコンササポが奮い立たなかっただろうか。「今シーズン最後まで」と言われ「最後の年は笑顔で終わろう」と、「新しい景色」と言われ「ここでその言葉を引用するなんて……一緒に見に行こう」と盛り上がらなかっただろうか。
「今後も」よりも「今シーズン最後まで」の方が強く聞こえる。新しい言葉よりも、歴史が積み重なった「新しい景色」の方がこれまた強く聞こえる。
そもそもサポーターという生き物はクラブに本当の意味で「論理」を求めているのだろうか。それよりも大事なのは自分が奮い立つようなエモさやインパクトの供給ではないか。
だからクラブが自らの行動を無理に縛る表現をしても、自分たちが繰り返し使ってきた「新しい景色」の価値が変容しても多くのサポは別に気にしない。問題ない。なぜならそこに意味なんぞ求められていないからだ。
勝利。サポーターにはそれがあればいい。ついでにインパクトと、映える何か、エモさがあればいうことなしだ。
今季のコンサドーレはサポを”空気”で支配し、自発的に動いてもらうための発信に成功した。これは見事というほかない。
6.そして言葉に復讐される
2024年8月16日、ホームでサガン鳥栖に勝利した後の監督会見でミシャは先制ゴールを決めたスパチョークについて次のように述べた。
次の試合までスパチョークの起用を待っていたら、そのときには私は監督ではなくなっているかもしれない。スパチョークは短い時間でも具体的な仕事ができる選手だ。そういう思いもあってメンバーに入れた。
https://www.jleague.jp/match/j1/2024/081601/live#coach
ミシャはときどき自分の進退に関する話を会見で言及する。当初、僕はそれをクラブ側をゆさぶるミシャのマインドゲームだと思っていた。でもどうやら違うようだ。
彼はおそらく本気で「自分が監督ではなくなっているかもしれない」と考えている。あくまで自分は雇われる側だ。雇い主であるクラブの意向には契約書に書かれている限り従う。それがミシャの流儀だ。
だが我々は知っている。鳥栖戦の数か月前にクラブが「今シーズン最後までミシャでいく」と既に明言していることを。
「今シーズン最後まで雇う」とサポーターに宣言したクラブに雇われた監督による「私は監督ではなくなっているかもしれない」発言。なんだか興ざめである。茶番を見せられているのだろうか。どうせ解任されることはないのだから。
これほど不幸なことはないと思う。インパクトを重視したクラブの声明によって、監督の本気の発言が薄っぺらいものになっているのだ。
どうせクビにならないのに「クビになるかも」と言う監督。彼の言葉の何が信じられるのだろうか。それくらいの話だと僕は思っている。これはクラブが発した表現が引き起こしたことだ。
言葉を軽く扱えば、きっといつか言葉に復讐される。
あまりにも意味を置き去りにしてしまうと、もしも今後本当に論理立てて意味をもった言葉を伝えたいとき、その信ぴょう性や言葉の強さは薄れてしまうだろう。
僕はコンサドーレというクラブは「サポーターに訴え、説明しようとする意志を持ったクラブ」だと思っている。サポから見てそれは素晴らしいことだし、それを心意気に感じるサポもいるはずだ。
僕はこの姿勢をコンサドーレが持つ「美徳」だと信じている。
だからこそ本当の意味で「言葉の力」が必要になったとき、その力を最大限出せるような発信を目指してほしいと切に願っている。
そして矢印は僕も含めたサポーターにも向けられている。空虚な言葉をどう受け止めるか。自分が発する言葉の意味は何か。その問いかけを忘れてはいけないのである。
7.参考資料
◎北海道コンサドーレ札幌から皆様へ
2020年4月25日のリリース。おそらく初めて「日本一諦めの悪いクラブ」というフレーズが公式から発信されたのではないか。間違いであれば教えてください。
◎山本七平『空気の研究』
今季のコンサドーレを取り巻く雰囲気をみて真っ先に思い浮かんだ本。
◎Creepy Nuts『だがそれでいい』
今回の記事は、この曲名からインスピレーションを得た。
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