年を重ねたからこそゆれる感情と価値観と違和感―千早茜『マリエ』
1.それは「不格好な大人たち」の物語
面白いだろうと読む前から思っていた。読んでみたら案の定面白い。千早さんは「不格好な大人たち」を書くのが本当に上手な作家だ。
主人公は7年半寄り添った森崎と40歳を前にして離婚したまりえ。元々の知り合いとの交流や新たな出会いを通して、結婚や恋愛、生き方を改めて考えることになり人生が思わぬ方向に動きだしていく。特に物語の柱となるのが結婚相談所での様々な出会いと、偶然知り合った年下男性の由井くんとの関係だ。彼らがまりえの価値観や感情を大きく揺さぶってくる。
2.年上の違和感、年下の違和感
この物語は「違和感」に対するまりえの心の声が詳しく書かれている。その声は、主に自分と関わる他者や社会に向けられている。また、ときには他者との交流で変容する自分にも向けられる。
僕が気になったのは、まりえが年下の登場人物と対したときの感情だ。相手との物事や人生に対する感覚や意識の違いを非常に強く感じているように見える。特に由井くんとのシーンではいっそう顕著になる。明確に示されていないが、まりえと由井くんは推定5~10歳差はある。まりえが好意を抱いていたり物語中で恋人になるため、まりえの感情が揺れやすい立ち位置に由井くんが存在していることも顕著になる理由だろう。
僕は由井くんと同世代だからか、まりえの感情に対して「そこまで違いを強調してナーバスになるものなのか」と感じることもあった。でも逆に由井くんの世代が年上と比較してナーバスになる点が、まりえの世代からすると「そこは別にいいんじゃない?」と思うのかもしれない。
人付き合いにおいて僕は年上・年下の感覚が一般より薄い。3歳差ぐらいなら同い年ぐらいに思っちゃうし、年上にも年下にも接し方があまり変化がないような気もする。その姿勢がプラスの働きをすることもあれば、「年上をなめてる」といわれたり、年下からすると圧迫感ある対応に見えることもある。おそらく僕の交友関係は同い年と年上で主に構成されている。だから年下と接するときのまりえの感情があまりピンとこない。経験が少なすぎるからだ。
年上の立場でいるときは、年上であることに鈍感だ。年下の立場でいるときは、相手が年上だからとい甘えがありつつ、相手の年上としての感情に鈍感である。年上・年下というものがどうでもいいと内心思っている点は否定しないが。
『マリエ』は僕にとって「年の差における感情のギャップ」というものを、より強く意識するきっかけになった。差にあまり縛られるのも僕は好ましくないと思うが、他者との関係で自分の立ち位置を想像する補助線になり得る本だ。
3.地続きにある『男ともだち』と『マリエ』
僕がこの作品に強くひかれたのは、千早さんが以前書いた『男ともだち』との関連性を感じたからだ。
29歳のイラストレーターの葵には、同棲してる恋人と年上の愛人がいる。そんな中、大学の先輩であり「男ともだち」だったハセオと数年ぶりに再会する。これを機に葵の人間関係や仕事など人生が大きく動いていく。
僕が最も大好きな小説を選ぶとしたら『男ともだち』だ。放たれる言葉が心を突き刺しては奮い立たせる。誰とも友達になりたいとは思えないが愛おしくなる登場人物ばかり。そんな素敵な本だ。ぜひ松岡茉優さん主演で映画化してほしいと願っている。
『男ともだち』の葵は、千早さん自身の姿がかなり投影されていると考えられている。葵も千早さんもフリーランスで表現する仕事という共通点があるのだ。千早さんはこの作品を30代前半で発表しており、葵が歩んだ人生の長さを少し経過した上で物語を書いていることは間違いない。『マリエ』は40代前半で発表している。まりえ自身が39歳なので、これもまりえが歩んだ時の長さを千早さんが経験した上で物語を書いている。
主人公の人物設定を考えると『マリエ』は『男ともだち』ほど千早さん自身を投影しているようには思えない。しかし自身の人生経験で感じた違和感や憤りが、主人公の手を借りて吐露されていることに変わりないと僕は考えている。
両作品には物語上で独特の存在感を示し、主人公にとって耳の痛いことをしっかり言ってくれる年上女性が登場する。『男ともだち』の露月さん、『マリエ』のマキさんである。2人とも終盤で主人公に対して鋭い言葉を放つ。露月さんは葵をファザコンであると、マキさんはまりえに家族の幻想を捨てられてないと看破する。それがあなたの人間関係の築き方に繋がっていると。その上で彼女たちは過去の恋愛における大きな心の傷を匂わせる。でもその内容は2人とも明かすわけでもなく、明かすつもりもない。
このように『男ともだち』と『マリエ』には、大きな枠組みで関連しているところがある。もちろん29歳と39歳の主人公では、周りの人間関係も悩みも変わる。だから話の展開が同じだったり、読んで感じることが同じであることはない。僕にとって『マリエ』は、さらにアップデートされた39歳版『男ともだち』のようにも思えてくる。2つの作品は地続きにあるのだ。
『男ともだち』から『マリエ』までに9年の歳月が流れた。この間に社会の価値観が大きく変わった部分も多い。現に『マリエ』はコロナ禍を盛り込んだ内容になっている。そして千早さん自身の表現力もどんどん進化を遂げている。『マリエ』単体でも当然楽しむことができる。それだけでも突出した面白さだ。だが僕は、是非『男ともだち』と並べて読んで楽しむことをおすすめしたい。