見出し画像

人はなんのために創作するのか

映画「八犬伝」を見ました。

昔こどものころに薬師丸ひろ子が出ていた里見八犬伝ではなくて、いま映画館でやっているやつです。

著者の滝沢馬琴と葛飾北斎、渡辺崋山、家族、などとのやりとりと、八犬伝のシーンが交互になっていました。

北斎と馬琴が親しかったのはしりませんでしたが、しらべてみたらいっときは同居するくらい一緒に作業していたようです。

作中で鶴屋南北や北斎、馬琴がなんのために創作するのかという議論をする下が何回かあり、考えさせられました。

お金のためなのか、名誉のためなのか、なんなのか。

私も明瞭に答えを出せませんが、一つは創作した作品の世界の中で読む人が居心地のよい「居場所」みたいなものを感じてもらえたらと思っています。

映画では八犬伝は正義は必ず勝つ、というような物語ということになっていました。

私の場合、正義と悪の話を書くつもりはありません。世界は正義と悪との二元論で捉えられないと思います。

先日の選挙の結果を見てファシズム的な発言をしている政党が議席を伸ばしていて、先行きに少し不安を感じましたが、自由とファシズムは大きなテーマです。

先日読んだ本では、私のように小さいころのトラウマで回避型になっている人は創作に向かうケースが多いと先日読んだ本にもありました。

絵を描いたり、文章を書いたりすることが本当の自分を取り戻すためにきっと必要なんでしょう。

映画を見たり本を読んだりすることは生きること(の一部)だというようなことを内田樹さんがいっていたように思いますが、私にとっては絵を描いたり、文章を書いたりすることはすなわち生きることなんだと思います。