『食器洗い』が僕を支えてくれている
うつ病は、円環的な日常が壊される病だ。この間まで当たり前の様に通っていた会社に行くことが怖くなり、パソコンを開くことすらままならない。
当たり前にこなしていた仕事や、読書、掃除などもできなくなり、ベッドで横になる時間が増え、日常が非日常化していく。
ありきたりの表現だが、音を立てて当たり前の日常が壊れていくのだ。
うつ病になったら『しっかりと休む』ことが大事だと言われているが、ここ最近までどういう意味なのか、よく分からなかった。そもそも『休む』ってなんだろうか。
僕らは、売上達成にしても、スキル獲得にしても、理念実現にしても、生きていくことは(生きていくためには)『前に進むこと、進んでいること』が前提であり、当たり前だといつからか刷り込まれてきた。
僕だって、常に新しいことを吸収して、スキルを獲得し、日々成長、日々前進の考え方で生きてきた。
『停滞』は悪である。『停滞』は弱さである。
そんな中で『休む』ことが求められるのだ。しかも『しっかりと休む』ことを。
しかし、以前この本を読んで、ようやく『しっかりと休む』の意味がわかった気がしている。
人は、なにかを『する』ことで居場所を獲得し、直線的な時間を過ごしていく。新しいスキルを獲得したり、勉強し、日々に刺激と変化を与え、前進していく。
一方で、なにもせずに『いる』ことは、円環的で、当たり前の日常を過ごしていくことだ。何の変化もなく、ただ時を過ごす。
仕事においても、ある程度の仕事のやり方やワークフローが整ってしまえば、円環的な日常と化し、新しいプロジェクトが始まれば、また『する』ことで直線的な時間を進める。
この直線的な時間と、円環的な時間を交互に織り交ぜながら、僕らは生きているのだ。
しかし、うつ病になると『する』ことができなくなり、『いる』ことがどんどん辛くなってくる。居場所でいる会社が脅かされ、ついには『家庭』までもが脅かされる。
終いには、僕はこの世に『いる』べき存在じゃないのかもしれないと、希死念慮まで発生する事態に陥ってしまうのだ。
僕は運良くこの本に巡り合った。故に、希死念慮が発生する事態に陥っても、まずは『洗濯物を干して、次は食器を洗って』など壊れた日常を取り戻すための『する』を行うことにしている。
SNSなどを見ると、仲間の活躍が嫌にでも目に入り、SNSに『いるつら』状態になるし、何もしなければネガティブな妄想ばかりに気を取られ、落ち込んでしまうから、食器を洗うのだ。
僕は『食器洗い』に支えられ、日常を取り戻しつつある。『食器洗いが』困難な状況下に置かれた自分を支えてくれるなんて思いもしなかった。
だから、皆も、食器洗いや掃除といった『当たり前の行為』が自分を安心させ、新しい挑戦や刺激に耐えうるのだ、ということを忘れないで欲しい。
もし、落ち込んだり、困難に負けそうになったときは、まず食器を洗ってみよう。
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