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戦場のメリークリスマス

Merry Christmas Mr. Lawrence (1983)
公式サイト

 通称「戦メリ」、大島渚監督の戦争映画。「戦闘シーンのない戦争映画」と言われますが、収容所ものなので当前かと。どうせ言うなら「実弾射撃シーンのない戦争映画」ですね。出演はデビッド・ボウイ、坂本龍一、ビートたけし、トム・コンティほか。本作を劇場で見たのは公開当時が最初で最後、高校生の時でした。都市圏より遅れて上映されたルッジェロ・デオダート監督「食人族」の予告編が流されたのがすごく印象に残ってます。現在上映中の4K修復版を劇場で鑑賞しました。戦争映画ですから元の色彩がそんなにきれいな映画ではないですが、少なくともセリアズ(ボウイ)の回想シーンなんかは修復の甲斐があったと思います。字幕はおそらく公開版と同じ。約40年前の映画なんですよねえ。大島監督をはじめ、ボウイ、内田裕也、ジョニー大倉、室田日出男、戸浦六宏、金田龍之介がすでに鬼籍に…。

 「愛のコリーダ」以降の大島作品って、それまでとは打って変わって、刺激的だけれども判りやすい映画だと思うんですね。本作も公開当時は難解だと言われたみたいですが、高校生の私でも概ね内容を理解できましたし、今どきの「大事な部分をわざと語らない」映画よりもはるかに判りやすく親切だし、とてもハードルの低い映画だと思います。ATG時代(本作に出演している本業が俳優でない人、もしくは駆け出しの俳優はATG人脈みたいですね)以前の大島作品ですと、私は「絞死刑」が好きなのですが、その難度が10だとすれば、本作は2.5ぐらいじゃないですかねえ。

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 俳優が本業でない、でもその道ではとても人気のある人たちが主演級ですから、当時の私を含む若年層を中心にヒットしました。ボウイは「レッツ・ダンス」の年ですね。坂本教授はYMO散開の年で、たけしは漫才ブーム後の「オレたちひょうきん族」「オールナイトニッポン」で押しも押されもせぬ位置にありました。ただ、映画初出演だったのは教授とたけしぐらいで、たけしもTVドラマへの出演はしてたんですよね。「刑事ヨロシク」とか。

 ホモセクシャルを扱いながら露骨でなかったのも特徴の1つですね。公開当時、たけしがTVやラジオでさんざん面白おかしくエピソードを語っており、「んーオカマの映画だよ(カクカク)」とか言っていましたが、坂本教授演じるヨノイの、三島由紀夫を意識したビジュアルを見て「あ~」と思いました。で、デビッド・シルヴィアン(ジャパン)が歌うタイトル曲のボーカルバージョンの曲タイトルが「Forbidden Colours」。ボウイと教授のキスシーンも話題になりましたが、どちらかと言えば演者が高名なミュージシャンだったからですよね。両頬にチュッチュッてする程度ですから、同性愛と言うにはかなりライトで、むしろ普遍的な人間愛を示しているように高校生の私も感じていました。

 それにしてもこのシーン、めっちゃ心が動きますよね。機材のアクシデントの結果とされるストップモーションのような映像。ドラマティックな音楽の盛り上がり。自ら抑圧した感情をセリアズに暴かれて卒倒するヨノイ。「いや俺そのケはないけどさ、こうでもしないとお前収まらないじゃん」とでも言いたげな、地球に落ちて来た男ならぬ戦場に落ちて来た男セリアズ/ボウイの絶妙な表情。叫び声をあげてセリアズを殴りつける日本兵(三上博史)…。改めて見て、やっぱりこれは名場面だよなあと感服しました。見事すぎるぐらい見事な急展開です。離任するヨノイが、瀕死のセリアズの髪を形見に切り取るシーンも、日本人的でグッときます。

 ハラ(たけし)とロレンス(コンティ)の関係は、同性愛と言えるかどうかかなり微妙で、ヨノイとセリアズ以上に普遍的な人間愛で共鳴しているように思います。兵士としても認め合っている2人ですが、価値観は全然違う。生きて虜囚のうんたらのハラと、諦めるまでゲーム(戦争)は終わらないと考えるロレンス。「大脱走」にも、脱走は捕虜の義務だという台詞がありましたね。この価値観の違いは数字にも表れていて、太平洋戦争における捕虜数は、連合国約14万人に対し日本はわずか4万人。いっぽうで死を恐れぬと豪語する日本兵に対し、欧米諸国の兵士は死に大義を求め、犬死や欺瞞を極度に嫌う傾向があると、古今の外国戦争映画を見ても感じます。これは宗教観の違いなのかもしれません。死にたくないのではなく、名誉の伴わない死は死んでも受け入れられない。なので、セリアズを暗殺しようとした責任をとって自決したヨノイの従兵の葬式で、ロレンスが怒り狂うという理屈です。しかしいっぽう、不祥事を恥じて自刃した兵士を戦死扱いにするというヨノイとハラの温情も、少なくとも日本人なら理解できるでしょう。ロレンスが祭壇を破壊するシーンは、高校生の時は大島監督らしい偶像破壊なのかな、と思いましたが、改めて見るともっと深い位置にある文化 vs 文化、価値観 vs 価値観の埋めようのない溝を浮き彫りにしつつ、それを穏やかに(諦め半分で)俯瞰しているのかな、とも思いました。

 その溝をけっして埋めようとしないのがヒックスリー大佐(ジャック・トンプソン)。捕虜代表としての地位に固執(何かしら利得があるのでしょうが、劇中では語られません)し、ロレンスを露骨に馬鹿にする嫌な人物として描かれていますが、銃砲に詳しい捕虜のリストの提出を拒むなど、ある意味連合国軍・日本軍問わず最も軍人らしい軍人です。戦争って正義 vs 悪の建前のもと行われるものですが、少なくとも歴史はそんなに単純なものでないことを知っています。ゴボウを支給されて、木の根を食わされた、捕虜虐待だと騒ぐ手合いが彼なんでしょうけど、その投影がヨノイでもあるのかな、と今回ちょっと感じました。カネモト(大倉)の切腹を見せつけ、俺たち日本人を理解しろと迫るヨノイと、それに背を向けるヒックスリーは、似た者同士のように思います。ちょっと自信ないですが。

 ラスト、処刑前夜のハラをロレンスが訪ね、ロレンスとセリアズの命を助けた4年前のクリスマスの話をします。ハラがロレンスに「今度はお前がサンタクロースになって俺を助けてくれ」と言っている、という解釈があるそうなのですが、私は違うかなあと思います。それだと、締めの「メリー・クリスマス、ミスター・ロレンス」の意味がなくなっちゃう。やっぱりここは、「ロレンス、俺を忘れないでくれよな」で苦みなくすっきり終わらせたい。あんまり生臭い解釈はしたくないもので。

 映画初出演の教授とたけしの演技はひいき目に見ても酷いですが、少なくとも雰囲気、存在感は大いにあります。そうじゃなかったら、ミュージシャンと漫才師が出演した単なるネタ映画としてしか存在できなかったはずです。本人たちがどれだけ真剣に演技していたかは判りませんが、彼らに限らず、本作で見せたい演技を俳優から引き出した大島監督の手腕ですね。関係者に「たけしがいいんだよ~」と監督自身が言っていたそうですが、きっとそれ、たけしを褒めている体の自画自賛だったと思うんですよね。そして、その自画自賛は全然許される。むしろ大いに自画自賛すべき、何なら自画自賛しなきゃいけない映画だったと思います。

 映画「ワンチャンス」でその波乱の半生が描かれた遅咲きのオペラ歌手:ポール・ポッツによる「Forbidden Colours」。

(文中敬称略)

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