【東海道】岡崎二十七曲りを歩く⑭(完)八帖町~矢作町 寄り道~勝蓮寺、矢作神社
はじめに
2023年11月に歩き始め、12月中旬には完走していた「東海道・岡崎城下二十七曲り」。
今回の記事でようやく二十七曲りの記事もようやく完走できる。
昨年(2023年)中に完走予定だったが凡そ3か月遅れ。
それでもこれをもって完走できる。
もう一記事。東海道・岡崎城下二十七曲りの旅にお付き合いをいただければ幸いだ。
今回の旅の概要
前回までの旅路は以下の記事を参照いただけると幸いだ。
今回の旅を以下のとおりにお示しする。
<旧東海道位置関係(仮)>※注:旧)矢作橋は現存しません
現代の道では国道1号線に沿って矢作川を渡らなければならない。そのため、矢作川を越えて東海道を歩む際は下記を参照いただければ幸いだ。
今回の旅は「左・江戸、右・西京」から
「左・江戸、西・西京」の碑を後にし、道なりに北上(国道1号線に向かう)する。
国道1号線に近づく度に傾斜が少々出てくる。
来た道を振り返る。
国道1号線に合流すると東京・日本橋からのキロポストが在る。
矢作川・矢作橋
この矢作橋の案内板とスマホ等を見比べて迷っている方も何人か見かけた。
付近には古の矢作橋の説明看板は残念ながら一切ない。
そのまま川を渡ることをお勧めする。
▼現在の矢作川の水量が分かるようだ(国土交通省中部地方整備局 豊橋河川事務所)
橋を渡り終える間近の風景。
橋を渡り終え、古の矢作橋の痕跡がないものかーーと探してみる。
あくまで私感だが、上記の画像よりもう少し先(数十m程度か)向かって右側(河口側)に古の矢作橋が架かっていたと思われる。
東海道を西に進む
現在は矢作橋を渡って直ぐに国道1号線を横断できないため、高架下を進む。
高架下を進み、しばらく歩むと左手で東海道に合流する。
この地点から600mほど進むと名古屋鉄道本線・矢作橋駅が左手(国道1号線を渡った先)に在る。「東海道・岡崎城下二十七曲り」の別の始点/終点には良いと思う。
~寄り道~
岡崎信康公と縁が深い真宗大谷派 「勝蓮寺」
この日。2023年12月だったが、最高気温が20度近くあった。季節外れの暑さに少々息切れしていたが、どうしても気になってしまったため足を延ばした「勝蓮寺」。
柳の木とのご縁から瓦紋を「柳」としてあるのかーー。
岡崎城主から寄進があった「矢作神社」
勝蓮寺を後にし、終着点に行こうと思ったのも束の間。森を発見。一部分のみ現代の風景から切り離されたかのような自然が残る處は神社であることが多い。
スマホでも確認し足を運ぶ。
やはり神社であった。(岡崎ではかなり有名な神社のようだ)
まだ紅葉が残っていた。
御由緒。
「矢作神社」は初めて訪れたため憶測になる。
そのため、詳細は「矢作神社」wikipediaや氏子さん方が運営されるFBを閲覧いただければ幸いだ。
https://www.facebook.com/yahagijinja/?locale=ja_JP
「東海道・岡崎城下二十七曲り」の(個人的な)終着点へ
「矢作神社」を後にし、東海道との分岐点まで戻る。
しばし歩むと国道1号線の対岸に辿り着く。
この二つの碑がある場所のベンチでしばし休憩し、ようやく達成感を覚えた。
ここも「東海道・岡崎城下二十七曲り」の始点・終着点ではないかと思う(私感)。
まとめ(旅の総括)
実際に自分の足で歩き、寄り道をし、いかに自分が生まれ育った都市の歴史や史跡・神社仏閣を知らずにいたかを痛感した。
今回の「東海道・岡崎城下二十七曲り」だけに留まらず、西三河の歴史や先祖がかつて住んでいた土地(熊野など)も歩いてみたいと強く思った。
その度に新たな発見に触れ、心躍ることだろう。
補足ーこの旅の総歩行数・距離
計4回に分けて完走
(画像データが消えた場所の補完などを含むと計6回)
9,008歩 5.6km
6,750歩 4.2km
2,068歩 1.3km
11,112歩 6.8km
10,475歩 6.6km
12,164歩 7.4km
総歩行数 51,577歩
総歩行距離 31.9km
よく頑張ったと思う。
追加で、1月は諸般の事情で何もできずにいたので確定申告も期限内に提出できやっと荷が下りた。