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野菜の国

腹いっぱい肉が食えるものだと思っていた。

僕はかなりの偏食で…いや、こう素直に言えるようになったのは最近のことなのだが、ともかく、いくらかの肉とパンがひとかけら、そこに少しワイン、或いは何切れかの果物ががあれば満足できる。裏を返せば、それ以外の食材にはあまり興味がないということだ。だから、朝はジューシーなグリルド・ソーセージに香ばしいコーヒー、昼はスパイシーなサラミとチーズたっぷりのピザに冷えた白ワイン、夜はオーブンでこんがり焼いたチキンかポークに渋いくらい濃厚な赤ワイン。こんな食事を夢想しながら、ホームステイ先に乗り込んでいった。

が、予想は裏切られた。

なかでも朝食には、盛大に裏切られた。このことは、いつか別のところに書くつもりでいる。ある日曜の朝だった。ぼそぼそしたビスコッターテ(小さな食パンのようなかたちをした、味のないラスクのようなもの)を、熱いカフェ・ラッテにひたしてもぐもぐやっていた。すると女主人がいった。この家は、彼女ひとりが住んでいる。彼女はいわゆるペンショナータ(年金生活者)で、生活資金の足しにするため、留学生にアパルトメントの一室を貸し出していた。

「今日は、ミサに連れていってあげる。それから、メルカートに行きましょう」

教会に行けるのか。小教区教会のはずだ。イタリアに住む一般的なカトリックのリアルに近づくことができる。素晴らしい機会だと思った。だから頷いて、それからなんと返事をしたらよいか考えたが、当時はまだ、何かまちがえたことを言ってしまうかもしれないという恐怖が勝ち、「教会はどこですか」とだけ言った。すぐ近く、いつもとちがうバス停から、何番のバスで10分くらい、といった…と思う。きちんと聞き取れていたならば。

その教会には若くして亡くなった彼女の夫君が眠っているらしい。ミサ自体は初めてではない。日本にいた頃、何度か顔を出したことはある。しかし受洗はしていないため、長年の友人と思しき女性たちに立ち混じっていく女主人を見送りながら、後方の末席にとどまった。照明は極限まで明るくされている。ほどなく司祭が、つかつかと現れた。ストラの模様がよくみえる。明るい。侍祭のそばに置かれた祭具もなべてテカテカに光っている。明るすぎるのではないか。

立ったり座ったり、イタリア語の説教を聞いたり、いくらか聖歌を歌ったりしながら、こっそり周りを見回してみる。バターケーキのような白塗りの壁も現代的なステンドグラスも正直味気なかったし、聖歌隊の面々がデニムにセーターという露骨な普段着だったのも少々残念だったが、教会のそもそもの機能――つまり「信徒の会堂」としてのそれを余すところなく果たしている様子に感銘は受けた。バロック、ルネサンス、ゴシック、ロマネスク、プレ・ロマネスク、バシリカ、そして、カタコンベ。時間を逆回しにして当時のミサを、そこに集った人々を想像しようと試みるも、まだ知識が足りなさ過ぎて、うまくいかない。

「あら、何をやっているの。もう話は終わったから、行きましょう」

気付けば、三々五々、人は散っていて、しばらく司祭のところで何か話していた女主人がそばにいた。ご主人の供養のことか何かを話していたのかと思ったが、これもまた、どう聞いて良いかわからない。だから、いい経験だった、ありがとう、いきましょう、と答えた。

メルカート。

そこからさらにバスに乗ること数分で、目的地に着く。つまりは市場だ。大きなプレハブの中にありとあらゆる専門店が軒を重ねていて、これは迷ったら一巻の終わりだと、女主人とはぐれないように必死でその丸い背中をついていった。もちろん肉屋も無数にある。ダイナミックに半身をさばく精肉屋、オブジェの如くありとあらゆるサラミをぶらさげた加工肉屋、こんがり焼いた鶏肉を見せつける総菜屋。そういうものが至るところにあって、嗅覚と視覚が休まる暇もない。

しかし彼女はそれにはあまり関心がないらしく、馴染みらしき八百屋めがけて突き進んでいく。買い物は当然、店番兼品出し兼会計を一手に引き受ける地元民とのやりとりから始めなければならず、ローマに来て一か月にもならないアジア人にとってはおそろしくハードルが高かった。実際、女主人は僕に話すときの何倍ものスピードで話し(おそらくあいさつ代わりの近況報告を)、棚からはみでるほどに盛られた野菜の何種類かを指差し、笑い、話し(おそらく何がほしいかを)、話し(おそらく値段に関する何らかのことを)、会計し、話し(これは確実、さようならの挨拶を)、そして、野菜がどっさり入った青いビニールの手提げを僕に押し付けた。満面の笑みとともに。

覚えている限り、他に買ったものは大きなパン――ローマではカサレッジョと呼ぶ、気泡の多い、ちょっとぱさついたやつだ――くらいだったと思う。彼女はアパルトメントのキッチンにたどりつくまで香ばしい匂いのするパンの袋を押し頂き、それからテーブルの上にならんだ(というよりは最後の力をふりしぼって僕がならべた)ビニール袋を、なにやら楽し気に独白しながら、うきうきとひろげていく。そしてその中のひときわ大きく、これまでに見たことも触れたこともないやつを見せびらかすようにして、ゆっくりと話しかけてきた。

これは、ぶろっころ。
これは、かるちょーふぃ。
わかる?

いいえ、初めてみた。(内心ガメラと呼びつづけることになるブロッコリー的なやつを指さして)似た野菜は日本にある。これは、わからない(鎧のようだ、食えるところがあるのか?)。

Bene, いいでしょう。
イタリアの野菜は、とてもおいしい。
しかし、カルチョーフィ(あとでアーティチョークというのだと知った)は、(何かが…ききとれない)難しい。
お水をやりましょう。

そうして、慣れた手つきで、野菜を大胆にキッチンカウンターに置き、また、活けた。活けた…!ああ、なんて美しいのだろう。しかしいまだに、このとき感じた美しさを、どういう種類の美であるのか、なぜこんなにも心が動くのか、説明できる言葉がない。ただ僕ができることは、女主人が午睡に身をゆだねていた間、こっそりとキッチンの野菜をファインダーにおさめることだけだった。

やがてブロッコロはほどよく茹でてソテーされ、ロースト肉の付け合わせにはもったいないくらいの甘みと歯ごたえを提供してくれた。カルチョーフィは鎧を脱がされあくを抜かれてしなだれた薄緑色の果肉を、見事なフリット(フライ)に仕立て上げられて、食卓のいちばん良い位置にどっかりと座を占めた。なるほど、女主人が八百屋に急ぐのも無理はない。イタリアは、野菜の国。太陽と水と風のめぐみを極限まで凝縮した旨さがそこにある。

いつか、いや、できるだけすぐに、あのことも、

そう、いま、びっくりするくらい欲張りにイタリア語に向き合っているあのことも、

ほとんど驚異ともいえるほどの野菜のおいしさを分かち合いたい。彼女はいまでも最高のパートナーだけど、そうしたら絶対のパートナーになれるんじゃないかと信じてる。最後にイタリアに行ったのは2018年。あれからずいぶん自分がおかれている環境も考え方も変わったし、世界そのものも変わることを強いられる過酷な時間を過ごしてきた。けれども、イタリアは変わらない。頑固なまでに変わらない。おいしさも、うつくしさも、しょーもなさも、なにもかも、変わらずに僕たちを待っていてくれるだろう。

だからまずは、ろろちゃんは、単数形と複数形、それから、定冠詞の使い分けを、マスターしないとね。Forza!

僕のパートナー、ろろちゃんのイタリア語猛勉強録はこちらです。
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