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愛媛の「媛」と「暖」って似てる(松山市、道後温泉旅行)(休職日記)

8月の振り返りでも書いたけど、活動的な休み方をしてリフレッシュできたらいいなと考えていた。
家にいてもずっと鬱屈した状態で、エネルギーが布団に吸われているみたいで、この街の空気を吸っても大きく気分が晴れることがない状態だった。

だからいっそ知らない土地へ行ってみようと旅行をすることにした。

昔からもっといろんな街をみたいという気持ちはあって、大学生の一人旅をきっかけに旅行は好きになっていた。
旅先を決めたり、いろんな予約には時間がかかった。
相変わらず意思決定に自信がない。自分の意欲、気持ちに従えばいいだけなんて思うけど、そもそも心の底から行きたいところ、やりたいところがはっきりしないのだ。
予約の手続きにも文章の理解力が低下しているみたいだった。

色々調べた結果、行き先は愛媛の松山にした。工事が終了した道後温泉が主な目的だ。

温泉は仕事の合間に行っていた時は極楽だったが、今の状況だとどう感じるんだろうか。
久しぶりの旅行で、旅中に自分のメンタルがどうなるかわからない不安もあり一泊二日とした。

当日は早朝からの活動だけど不思議と起きることができた。
朝駅までの道のりで、仰向けにぺちゃんとなった蛇の死骸をみつけた。この街は田舎だけど蛇は中々みるものじゃない。少なくともこれまでの通勤中にみかけたことはなかった。これまでは気づかないくらい盲目な状態だったのかもしれない。蛇ってところが何かの縁起を感じた。

飛行機で松山空港へ。機内で道後温泉が舞台となっている夏目漱石の坊ちゃんを読む。学生の時に国語の授業でやったはずだけど全然覚えてなかった。こんなに難しかったっけ? 中々読み進まないし、正直面白さがあんまりわからなかった。

空港に着いたらリムジンバスで松山市街へ。
車窓からみえるバスと並走する路面電車、奥に見える街を見守る城、背景には雲で朧がかった山。全てが私の街には無い景色。新しい街にきたという高揚感に包まれる。
天気も晴れていて青空がすっきりとしていた。

この街の私が知り得ない物語や、もしここに住んだらという妄想したり、これからの観光を想像したらわくわくしてきたことを感じ取れた。旅にきたんだという実感が湧いてくる。

観光名所の松山城に向かう前に近くのお店で鯛めしを食べ、観光物産館で蛇口をひねってみかんジュースを飲む。
エネルギーを補給して松山城へ。歩いて天守閣も目指せるようだけど、体力温存のためロープウェーに乗ることにした。リフトもあった。あまり乗ったことがなかったのでリフトにした。
乗ってすぐにちょっと後悔した。直射日光がとっても暑い。じりじり肌を焼かれる。こうなることを知っていたからみんなロープウェーだったのか。よく見なくても前後にリフトを乗っている人なんていなくて貸切みたいだった。隣を軽々追い抜くロープウェー勢の乗客を恨めしく思う。暑い。人混みじゃなくて済んだだけ良しとするか。。

天守への道のりも日照りが強くてしっかり汗をかいていた。平日だからすごく混んでいるわけではないが、外国人やツアー客はそこそこいた。
ジョギングや散歩している人もいた。日頃から城をコースに組み込んでいるようだ。私にとっては特別な時間・場所でもそれを日常としている人がいる。

城の中も風が通らずやはり暑かった。登るには不安になるほど急すぎる木の階段が城の中だと思わせてくれる。
道中前を行く落ち着いた外国人の夫婦かカップルが、体験用の銃や刀を恐る恐る手にして驚いていたり、甲冑のコスプレを試みたりしているところをみて心が和んだ。
天守最上階では街が一望できた。足元の堅牢な櫓から森みたいな公園、コンクリートの市街地を巡る橙の電車が映える。奥にはキラキラひかる海、島。振り返れば、車窓からみるより一層大きさがわかる山。

帰りロープウェイを待つ間に俳句ポストなるものを発見した。せっかくなので一句作ることにした。
以前読んだ俳句漫画「ほしとんで」での俳句知識を必死で思い起こしながらとりあえず形だけの一句を作った。ロープウェーは2回くらい見逃してた。一句読むつもりで城に行くのがいいかもしれない。

城を後にして、商店街の方へ散歩する。
散策の中で書店へ。記念に1冊買う。レジのやり取りの中で店主さんからもうすぐ美術館で本とアートのフェアがあるらしかった。気づくのが遅かった。行きたかった。少し雑談して退店。別れ際「良い1日を」と素敵な挨拶をいただく。

雰囲気の良さそうなカフェにも入る。正直カフェって入るのがすごい敷居が高い。おしゃれなところなんかは特に。私なんかは入ってはいけない身分な気がするのだ。ちなみにいまだにスタバには入れない。でもみかけたカフェは不思議と入ろうと思えた。街の散策は続けたかったのでテイクアウトにする。おしゃれなお兄さんが注文のやりとりの中で話しかけてくれる。旅行と伝える。別れ際「楽しんで」と素敵な挨拶をいただく。

接客の一部だろうけれど、単純だろうけれど、それでも心が満たされたし、旅行が楽しくなる。街が好きになる自分がいた。

路面電車で道後温泉へ。
昔の洋風建築になっている駅舎とスタバがおしゃれに出迎えてくれる。
商店街を抜けて道後温泉本館へ。各地に昔ながらの建物は存在するけれど、ここまで立派なのは初めて見た。古の雰囲気がすごい。外観もそうだけど建物の裏手にある「全国に唯一の皇室専用浴場」の立て札を見て、すごいところにきたという実感が湧いた。

中も作りが複雑で、トイレまで歩いているだけで探検気分でちょっと楽しかった。接客も丁寧で上客になったような誇らしさが芽生えた。

お風呂は今の時期まだ熱かったけど、その熱が身体を目覚めさせるようだった。透明感あって肌に優しめで爽やかな湯だった。再開後だからか結構混んでいて人との距離が近めだった。浴場に「坊ちゃん泳ぐべからず」の札があり、粋だと感じたし、この意味を理解できただけでも坊ちゃん読んでおいてよかった。
お風呂上がりに浴衣で火照った身体を竹のうちわで扇ぎながら、コーヒー牛乳を飲む・・・心地よさを感じる時間だった。憂鬱や不安とは違う感情。ちゃんと心が動いてるのを感じた。

宿にチェックイン後に再度散策。日が傾いていて松山市街の方がみかん色になっていた。日没後に気づいたけど道後温泉を見守っていそうな伊佐爾波神社から見ると絶景だったと思う。どことなく関東より夕日の時間が長いと思った。

夕飯はラーメン屋に行った。おいしくて食べやすくてスープも全部飲み干してしまった。ひとりとあってか店主が話しかけてくれる。観光の事情や街の変化とか色々教えてくれた。瀬戸内海の海は本当に綺麗らしい。特に日の入りはキラキラしているそうだ。そういえばまだちゃんとみたことがなかった。別れ際「良い旅を。おやすみなさい」と素敵な挨拶をいただく。

椿の湯へ。ここは比較的地元民の割合が多いのだろうか浴場で挨拶をする人がちらほら。これが本当の裸の付き合いというものか。

ふと、例えば商店街とかのコミュニティに入りながらその縁を大事にして仕事をしている人たちとか、地域で挨拶付き合いができるような生活はどうなんだろうと、想像してみる。
もちろん干渉しあったり色んなしがらみや苦労があるんだろうけど。
会社での生活において人間関係はかなり希薄だった。職場で会う人は仕事のために関わる人ということで特段親密になろうという気がなかった。同期で仲良くなりプライベートで遊ぶようになった人もいるが、頻繁に連絡をとるわけでもないし、一緒に仕事をするわけでもない。それこそ温かい挨拶をするような人はいない。
ほとんど孤独な状態である今だから余計に、そういう生活に憧れたりする。

すっかり夜も深まっていたけれどまだ眠るには早く、歩きたい夜空だったので、地元ならではっぽいスーパーまで歩いた。お菓子売り場にカールがあって関西にきた実感が湧く。寿司とご当地っぽいホームアップというジュースを買う。トップバリュ商品を見てほんのちょっぴりモヤモヤする。イオンは悪く無いけど。
ホテルで夜食としてスーパーで買ったものを食べ就寝。

翌日は飛鳥乃湯泉に朝風呂へ。
朝なので人は少なく湯船には私だけという状況が生まれるほど空いていた。本館よりまったりしてしまった。
身体が目覚めると同時にお腹が空く。普段の自宅じゃ朝起きることすらできないのに、空腹を感じれるなんて。旅の高揚感と、沈鬱な空気を感じる自分の街から離れてきたことで活力を取り戻している気がした。

道後温泉駅舎が望めるカフェで朝食を摂る。いい眺め。夕方や夜にくるともっと素敵なんだろうなと思った。

路面電車で愛媛県立美術館へ。
「本館改築130周年 道後温泉ものがたり―湯のまちの歴史と文化」を観る。

帰りの飛行機まであまり時間がなかったけど、どうしても一目だけでも海が見たくなり悩んだ挙句電車に乗り込んだ。車窓から海が見える景色は私の街にはない。クリアな青緑色の海に日差しが注いでいて、水面に反射した光が波に揺れ、煌めく様子が街と一緒に流れていく。特別な風景だった。

マリンスポーツや釣りをする趣味はないので正直海でやりたいことは無かったりする。でもふとした時に海に行きたいなと思うことがある。行っても遠くを見ながらぼーっとしたり読書する程度。ただ近くに海はないので、気軽に海にいける生活をうらやましかったりする。日常に組み込みたいと思ってしまう。
帰りの飛行機の時間もあるので長居はできず、すぐ市街地に戻った。次来る時は、マジックアワーを観に行きたい。

全体的に満足度の高い旅行だった。素直にまた来たいと思えた。
少なくとも旅行は行けたし別の街にきたからか活動的になれた自分がいた。これまでだいぶ休んだことと旅に専念したからだろうか。所詮は現実逃避なのではと思う自分もいるが、ストレス耐性がつく、対処法が身に付くと思えばやっぱりいけてよかったと思う。

振り返ると、関わる人が良いと充実に繋がるのかもしれなかった。暖かく出迎えてくれるお店の人たち。すれ違う人も旅行者だからぴりぴりした人はいなかったと思う。幸いにも迷惑な客もみかけなかった。
そういえば職場では事務的な会話や仕事に関する(仕方ないけれど憂鬱だった嫌気がさすような)内容を話すことばかりだった。
休職してからはそもそも会話が減ったし、あっても体調だったり今後のこととかやっぱり陰気な話題だったから、明るいコミュニケーションで社会が回っている雰囲気を感じとれたのがよかったのかもしれない。
暖かい大人も、ちゃんといる。

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