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小説『ネアンデルタールの朝』⑦(第二部第2章-2)

2、
朝、目を覚ますと、カーテンの隙間から青空が見えた。数日ぶりに見る青空だった。
結局、今日の国会前デモには行かないことにした。
布団から上半身だけを起こし、民喜は山口凌空(りく)にラインを送った。

――ごめん、また風邪がぶり返したみたいで、今日の金曜デモ、行けなくなった。ごめん

追加で、涙を流している顔文字を添えてみる。山口はまだ寝ているのか、しばらく待ってみても既読にはならなかった。
体調不良と嘘をついてしまったからには、今日の授業も休む必要がある。大学で山口と顔を合わせてしまったらやっかいだ。今日は金曜日の第1回目の授業で、休むと困ることになるのは分かっているのだけれど……。
スマホの画面を見つめている内に、だんだんと不安が沸き上がってきた。
1回目の授業を休んでしまったら、もうその授業についてゆくことができなくなるんじゃないか。そうすると単位を落としてしまうんじゃないか。単位を落としたら卒業できなくなってしまうんじゃないか……。
スマホを布団の上に置き、カーテンから覗く青空に目を遣る。
それに、秋の定演も近いのに。
目を覚ましたばかりであるのに、何だか眠い。頭がボーっとして、どうもスッキリとしない。山口からの返信は確認しないまま布団に横になり、民喜は二度寝をする体勢へと入っていった。

再び目を覚ますと、昼の12時を過ぎていた。山口からはただ一言、
――りょ
と返信が来ていた。
上半身を起こしたまま、ぼんやりと前を見つめる。小鳥のさえずりの合間から、か細くツクツクボウシの鳴き声が聴こえてくる。頭がスッキリしない感覚は消えていたが、代わりに異様な心細さが民喜を捉えていた。
立ち上がり、台所に行って電気ケトルに水を入れる。まだ何も食べていなかったので、とりあえず何か腹に入れておこうと思う。食器棚から非常時のために買っておいたカップラーメンを取り出す。
麺がお湯でふやけるのを待っている間にパソコンを立ち上げる。Yahoo!のトップページを開くと、「**川の堤防が決壊」というタイトルが目に留まった。この2日間の記録的な豪雨により**市の川の堤防が決壊し、住宅地が浸水したことが報じられている。被害の全容はいまだつかめていない状況であるらしい。東京でもここ数日激しい雨が降っていたが、他県でこれほどの被害が出ていたなんて……。
記事には氾濫した川の水に流される住宅の写真も添えられていた。写真を見た瞬間、民喜はあの震災を想い起こした。
微かに動悸がしてきたので急いで別の記事をクリックする。心臓がドクドクと高鳴り、口の中に苦い液体を飲み込んだような不快さを感じた。
カップラーメンと箸を手に取ってきて、再びパソコンの前に座る。たわいもない芸能ニュースを読むともなしに眺めながら麺をすする。胸の内の不安をかき消すように汁も勢いよく飲み干した。
食べ終わるとお湯を再び沸かし、インスタントコーヒーを入れて飲んだ。
カップラーメンを食べ、熱いコーヒーを飲むと、民喜はようやくわずかに落ち着きを取り戻した心地になった。


*お読みいただきありがとうございます。

第二部のこれまでの連載はこちら(↓)をご覧ください。

第一部(全27回)はこちら(↓)。



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