感情が突出するのがこわい
8月は戦争の話題が増える。
いくら避けていても、ふと気を緩めるとどこかで触れてしまう。なかでも映像は手ごわい。視覚と聴覚、両方の刺激はつよくて、数日身体から離れないこともある。
戦争のことは、でも知っていないといけない、と思う。しんどくても、目を背け続けることには罪悪感や、ある種の無責任さを感じてしまう。
けれど、拒否反応を示すほど苦手なものは仕方ない。自分の余裕のあるときに、自分のタイミングで情報を選び、取り入れるようにする。取り入れ終わるタイミングも、自分で決めるようにする。
戦争についてのテレビ番組には、特有のパワーがある。
まず、モノクロ映像というのがわたしは苦手だ。あんまり意識してこなかったけれど、たぶんそうだ。たまに「夢はカラーですか? モノクロですか?」という質問を見るけれど、カラーの夢しか見たことのないわたしにとって、モノクロの夢というのはかなり想像しがたく、異様だ。わたしのなかで夢は現在の人生の一部であって、過去に関する内容であっても同時並行して進んでいるわたしの一部である。
話が逸れてしまったが、とにかくモノクロというのはそれだけで異世界で、内容がどうあれ薄気味悪い感覚を持ってしまう。
内容がどうあれ「薄気味悪い」映像なのに、さらに戦争という、深く重いテーマである。多くのひとびとを巻き込んだ耐えがたい殺戮、いまの日本では考えられないような思想統制、絡まり合う各国の政治。
視覚的な刺激、胸をえぐるような内容、それに追い打ちをかけるようなナレーションに音響効果…「主体的に選択して観た番組」と思っていても、いつの間にか心身は暗闇の方へ導かれていて、ぱちんとスイッチを切っても辺りは真っ暗であったりする。
そうやって刺激を受けてしまうと、楽しいことや感動することさえ、少しこわくなってしまう。
戦争の情報に触れることで、おそらく耐性領域が狭くなるのだろう、感情が突出するハードルがいつもよりぐんと低くなる。わかりやすく言えば、些細なことで驚きやすくなったり、涙もろくなったりする。
負の感情が突出してしまうのはもちろん恐怖だが、そのようなときは正の感情が突出することにも恐怖を感じる。(ここではいったん、負の感情は悲しみや怒り、憎しみを指し、正の感情とは喜びや嬉しさ、楽しさを指すこととする。感情に良いも悪いもない=正負はない、という議論はここでは置いておく。)
そうなることで不便なことは、「耐性領域を広げるために好きなこと・やりたいことをしよう」と考えても、その好きなことややりたいことに制限がかかってしまうことだ。自分で制限をかけている、と言うほうが正しいかもしれない。
例えばわたしの場合、好きな音楽を聴くことがこわくなってしまう。音楽を聴いてこころが揺さぶられること=感情が突出することであり、しんどいことだ、と心身が反応しそうになるのだ。なかなか寝つけない夜、何度、YouTubeで楽曲検索をしては、再生ボタンをタップする前にアプリを消去したことか。
ピアノを弾くのもそう。とある場所にわりと居心地の良いストリートピアノがあることを発見して、何度か触ったのだけれど、そういうときは避けてしまう。そして、ああ、わたしピアノも弾けないや…と勝手に身の不安を感じてしまう。
じゃあ、そういうときは何をしたらいいのか?
今月、うんうん唸りながらも、いくつか方法を編み出した。
①料理をする
手を使うし、いったん始めたら終わるまで作業がある。少なからず作業工程を考えるので頭も使う。行為自体にほぼ害がなく、達成感を感じられることもある。何より自分の体のためになる。
葱を刻んでいると落ち着いてくる。香味野菜の心理的作用?
②空や植物を眺める・写真を撮る
いかにもストレスホルモンが軽減しそうな行為だけれど、本当にそうだった。
空も植物も、いまこのときにしか見られない状態なんだな、と思うと「いまここに生きている」感を実感しやすくなる気がした。
写真はあんまり得意ではないのだけど、「きれいな写真を撮ろう」と思うとそれはそれで集中できるし、あれこれ工夫して加工するのも楽しいなと思った。
③安心できる文章を読む
安心できる文章とは、美容雑誌や、読み慣れているひとのnoteや、内容のわかっている本などだ。特に有効なのは、小説の再読だったかもしれない。そういう状態のとき、結末がわかっていることは退屈ではなく安心材料だし、たとえ何かを感じても「これは小説だから」と線を引くことができる(ような気がする)。
ヘッダー画像は、夜に散歩した公園の池。水面を眺めるのも心身によかった。
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生きていくのが大変だな、と感じることもあるけれど、それはきっと、センサーがちゃんと働いているということでもある。
センサーの感度を上げたり下げたり、そんなことができたらいいのだけど。…ま、そんなに器用になったら、わたしらしくないかも。