MBTI診断から自分を見直した話
少し前から若者たちで流行したMBTI診断をご存じだろうか。
簡単に説明すると性格診断のひとつで、質問に答えるだけで自身の行動傾向を客観的に知ることができる便利な診断だ。
前に診断をしたとき私はINFPとの表示が出ており、優柔不断なところや周囲の空気を早くに察知して調和を大切にするようなところは合っていると感じていた。
だが私にはこの性格診断が必ずしも正確ではないと思っている。
それは「理想の自分を反映してしまう」可能性があるためである。
例えば
「ものごとはうまくいくだろうと自信がある」
という質問に対し、
「謙虚な私」でありたいと思っている人は
「反対する」に近い回答するだろう。
実際私はその思考回路になっており、本当にそう考えていると思い込んでいた。
なぜ自然と正直な回答ができていなかったのか。
本当の自分自身を好きになれていない、心が安定していない状態が続いている、自分に対する理想が高いから、ではないかと考えている。
人にやさしい自分でありたい、誰かに愛され続ける自分でありたいと。
しかしいつの日か自分がわからなくなっていた。
理想の自分を演じることに嫌気がさし、
本当の自分ではない「偽りの自分」を好きになってくれる周囲の人に対して罪悪感を覚え始めた。
常に1歩下がって関わっているため、
踏み出して本当の自分を知られたときに周囲はどんな反応をするか、
期待を裏切ってしまうかもしれない、誰もいなくなるかもしれないと辛くなってしまう。
理想の自分であり続けることを否定したいわけではない。
ただ、その生活に疲れていないか。
毎日のように死後の世界のことを考えていないか。
自分に正直になることの全てが正義ではない。
自分を守るための演技かもしれない。
それでも毎日を生きづらいと感じているのなら、自分を好きになるために、
些細なことを楽しいと感じるためにも自分を甘やかしてみたらどうか。
5人に嫌われたとしても、
1人が好きでいてくれるならそれでいい。
自分もその5人を眼中から無くせば、
自分の世界には好きでいてくれる人しかいなくなるのだから。
自分が生きやすい環境をつくれるのは自分しかいない。
自分を高めるために厳しくすることも大切だが、
自分が自分であるために甘やかすことも時には大切だと思う。
一度深呼吸をして、周りを見てみるといい。
自分には何が足りないのか、
それは本当に足りないものなのか。
あったら便利なだけで、
なくてもいいのではないか。
もしそうなら無理をしないで、
自分のペースで進んでみたらどうか。
考え方は人それぞれ、十人十色なのだから。
理想の自分と診断されて安心するのではなく、
正直な回答をすることで自分を見直すきっかけにすると心が軽くなるのではないだろうか。
それは本当の自分を深く知り、自分を好きになるきっかけにできるから。
実際、今の私はINTPになっている。
周囲の調和を大切にしている自分を理想としていたものの、
改めて診断をしている最中に正直どうでもいいと思っていたことに気づいた。
一緒にいたいと思ってくれている人とだけ日々を過ごせばいい。
自分を嫌っている人と無理に深い付き合いになる必要はないと考えるようになった。
そしたら、悩みの種が減ったことに気づいた。
自分に正直になったことで気持ちに余裕が生まれた。
まだ自分のことを心から好きにはなれていないが、ほんの少しだけ自分を尊重できるようになれた気がしている。
そんな些細な気づきと心情の変化を繰り返すことで成長していくのだと私は考えている。