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【ep1】帰国子女の女性フォトグラファー 第5話(群像の中のプロフェッショナル)

皆さん、ごきげんよう。橘ねろりです。

高層ビルが立ち並ぶ都会の雑踏の中―。
人々が急ぎ足で向かう混み合った路上の真ん中で、
ふと立ち止まってみたことはありますか?

通りすがりの大人たちは、一体どこから来て、
どこへ向かおうとしているのか―。
地方から進学してきた人、都会で仕事に励んでいる人、
外国から研修に来ている人、
または旅の途中の人や、人生休暇中の人…。

いろいろな人が行き過ぎるも、
きっと誰もが、何かに向かって進んでいる途中なのだと思います。

だから、そんな通りすがりの人々を呼び止め、あえて尋ねてみたいのです。
「あなたの夢は、叶いましたか?」と。

理想の人生を追い求めて、今どんなステージで活躍し、
そして何を目指しているのか。
「その足跡」と「これから」をインタビューするシリーズです。

【episode1】 
人生は、なんという偶然の集まり!
~東京在住の帰国子女 女性フォトグラファーの場合~

<第1話~第4話はこちら>

第5話
フォトグラファーへの一歩

アメリカでは、11・12年生の高校生もカレッジのカリキュラムを無料で受けることができます。
カレッジは一般の人にも開かれていて、兄が通うカレッジには母もフラメンコを習いに通っていました。

12年生になった私も同じカレッジに通い、興味があったフォトグラフィーのクラスを受講することにしました。

趣味を深めるくらいのつもりだったのですが、一応カレッジなので単位を取ることができ、プロの技術を学べるというお得な授業内容でした。
そのクラスで、初めて「現像」の方法を知ったのです。
スチールカメラで撮ったフィルムを自分の手で現像する、ということが楽しくて、どんどんフォトグラフィーの世界にはまっていきました。

使用していたカメラは、長く使い込まれたペンタックスの一眼レフ。
写真を撮るきっかけをつくってくれた祖父の愛機でした。

私は週2回、2つのカレッジに通い、両方のカレッジでフォトグラフィーのクラスを受講しました。
カラー写真をマスターする前に、白黒写真の基礎を勉強するのですが、この当時撮っていたのは、花の写真や町の風景。

写真を撮ると、クラスメイトに発表し、それぞれ構図や光の当たり方などについてディスカッションします。
「この写真の構図はいいね。でも自分が撮るならこう撮る」など、
そんな意見に対して、先生がアドバイスしてくれるのですが、正規のカレッジ生と共に専門的な授業を受けることは、とても刺激的で興味深いものでした。

ダンスパーティーを楽しむハイスクールのプロム

そのうち、高校でも卒業準備の時期に入ってきました。
アメリカの高校を卒業し、大学に進むためには、大学でどんな勉強をしたいかという具体的なビジョンについてエッセイにまとめる作業をしなくてはなりません。
そのまとめたエッセイを、授業を担当した先生たちに提出し、それぞれ大学への推薦状を書いてもらうのです。

そこで私は、「フォトグラファーになりたい」という夢をエッセイに書きました。
すると一人の先生から、フォトグラファーといってもいろいろな種類があると指摘されました。フォトグラファーになれば何でも撮影できると思っていたのですが、プロのフォトグラファーは、それぞれ得意分野を持っていて、分野ごとに棲み分けしているというのです。

本当はファッションの世界に行ってみたかったのですが、海外のファッション界となると浮世離れしたイメージで、とてもハードルが高そうでした。
そこで、ファッション性が高いけれども、より生活に馴染みのあるウェディングフォトグラファーを目指すことにしました。

エッセイには、かつて横浜で空や雲を撮っていた中学生の頃のように、
・その瞬間しか撮れない写真を撮りたいという気持ちがあること、
・ だからこそ、幸せの絶頂の瞬間を写真に収めることができるウェディングフォトグラファーになりたい ――、­­
そんな熱意を込めに込めた文章を書き連ねました。
そして先生からの推薦状と一緒にこのエッセイを大学に提出すれば、入試なしで大学に進学できるはずでした。

ところが、アメリカの大学に進学するということは、簡単にはいかない状況でした。
私が高校を卒業したら、両親が日本に帰国するというのです。
アメリカは高校卒業までは義務教育なので、高校の間は両親の帯同ビザで通学できるのですが、もし両親が日本に帰国してしまったら、帯同ビザが使えなくなるため、自分自身で学生ビザを取らないといけないのです。

そうすると、高校時代にカレッジに通っていた経歴も抹消されてしまい、日本から来た留学生として一から大学に入り直さないといけないらしく…。
そうなってしまうと、今度はTOEFLも必要となってきます。
アメリカの高校を卒業するので、本当ならTOEFLもいらないはずなのですが…。

そんな情報に惑わされて、随分と悩んでいました。
たとえ日本に帰っても、たった2年間学んだだけの英語力では大学の帰国子女枠には入れないだろうし、日本の勉強も中途半端だから日本の大学を受験したところで受からないだろうし…。

とりあえず、アメリカに残って通い慣れた2年制のカレッジに行く方向で考えることにしました。
引っ越し準備では、両親の荷物と自分の荷物を分けました。


ハイスクールの卒業式

そして両親の引っ越しの日―。
このときに来た引っ越し業者のおじさんとの出会いが、実は運命的な出会いとなりました。
この人と巡り合わなければ、私は今の人生を歩んでいない、
といえるほど、偶然でありながら未来を決定づける貴重なきっかけをもたらしたのです。

<第6話へ>

>第1話~第4話


★橘ねろりの記事「Bitter Orange Radio」
「自己紹介 橘ねろり」
「コンテンツグループのメンバー紹介/ライター・フォトグラファーのプロフィール」
「群像の中のプロフェッショナル ーあなたの夢は叶いましたか?―」
「セラフィーナとエクリプサ ChatGPTとの秘かな戯言 【第1夜】」
「セラフィーナとエクリプサ ChatGPTとの秘かな戯言 【第2夜】」

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