弱くて、完璧からは程遠いから
最後に草むらの中に寝転んだのは
いつだろう。
私の記憶では
大学1年生の初夏だった気がする。
あのときを思い出すと
自然の中に身をあずける心地よさが
胸の奥に広がる。
この心地よさはどこからくるのだろう。
きっと
自然が私に何も求めてこないから。
私が母親らしく振る舞うことも
良き妻らしく振る舞うことも
優秀な社員らしく振る舞うことも
ただただ心のままに
1人の人間として横たわっている。
草は私のことなんて気にもせず
風にそよそよと吹かれている。
そんな受容感が
私を安堵させるのである。
生きている限り
求められているものを察知し
それ相応のものを
アウトプットしようと努力する。
それは人間が承認欲求を持つ生き物である限り
しょうがない事実である。
誰だってそんな性質があるのだけれど
わたしはこの性質を拗らせてしまい
燃え尽き症候群に陥りやすい。
責任感が強く、優秀でありたい願望が強いため
常に期待以上に応えようと行動し
身も心もボロボロになったときに
あ、もう無理だと気づいて前線を離脱する。
こんなパターンを何度か繰り返しており
ここにはまるたび自己嫌悪に陥る。
この性格を拗らせる原因が
完全であれ、強くあれ、完璧であれ
という過去の経験から植え付けられた
私個人の思想なのだ。
自己肯定感が低く
なかなか自分を認められない。
周りへの承認欲求は膨らむばかりで
その結果、
完璧になれば周りが認めてくれるだろうという
共依存的な生き方を繰り返してきた。
社会に出たら、認められることなんてほぼない。
自分で自分を肯定し
周りの声と自分の声を聴き分け
心に傷を負えば自分で手当てをする。
そんな自立が必要だ。
なのに、周りに依存して生きてきたんだ。
周りの評価に一喜一憂してばっかりだ。
こんな生き方はもう辞めたい。
人間なのだから
弱くて、不完全で、完璧から程遠い。
こんな自分を受け入れて
じゃあどうしようかね〜って声をかけてあげる。
肩に手を添えて
あたたかく寄り添って
これからの未来を考えていきたい。
自分を完璧に寄せるんじゃなくて
自分の周りを
自分に合うように
セットアップしていけたらな。
人間、不完全でちっぽけ。
それでいいんです。
だから、
こんな大きな脳みそを
神様は授けたのでしょう。
自分らしく生きるには
どうするべきなのか
知恵を絞れるように。
自分に寄り添い
知恵を絞ろう。
私もあなたも
自分に優しく寄り添う時間を
持てますように。