仏は平等です
仏の身体、言葉、心の働きである 『三蜜』は 伸縮自在です。
細かいちりの中に入っても 狭くもなんともありません。
また大宇宙いっぱいに広がっても それが精一杯の大きさということも ありません。
弘法大師空海
法身(ほっしん)の三密は繊芥(せんがい)に入れどもせばからず、
大虚(たいこ)に互(わた)れども寛(ひろ)からず。
『叶字義』
この次に、こう続きます。
瓦石(がしゃく)草木を選ばず、人天鬼畜を嫌わず。
いずれの処にか遍ぜらる。
なに物をか摂せざらん。
瓦や石、草や木を選ぶことなどなく、人、天、鬼であろうと、全ての生き物を嫌うことなどもしません。
どのようなところの、どのようなものでも、仏の三蜜(身口心)の届かないところはありません。
「仏は、万物に対してまったく平等です。
どのような物体でも仏は内在しています。」
これが大師の説く、仏の平等の本当の意味です。
無機質のもの、有機質のもの。
人工のもの、天然のもの。
思い、言葉。あの世、この世。
行動。しぐさ。風。光。見えるもの。見えないもの。
感じるもの、感じられないもの。
ですから当然、自分の中にも仏は内在しています。
内在どころか、自分自分自身が仏そのものです。
雲を取り除き、本来の仏の姿を取り出す。
それが生きる目的であり、生きるということ、です。
今日はお天気良いのかな。
どなた様も今日も笑顔でぼちぼちと。
より良い一日になりますように。😊
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?