各タイプの在り方を哲学に例えるなら 直観型の補助の違い ユング心理学タイプ論
感情型は実存主義的で、誰か(自分または他者)の「〜したい」が根幹にあるから、感情が行動原理にあるし、感情はそれぞれの自分のうちから自然と湧き出るものだと思っています。
思考型はモダニズム的で、世界の全てに根本原理があり、それらを解明して自分の支配下にしなければならないと思っています。
この合理型の感情型と思考型は意志論を信じているグループと言えます。
直観型は基本的にはポストモダン的で、補助によって多少異なり直観型補助思考は構造主義、直観型補助感情はフランス分析哲学のような在り方をします。
直観型補助思考の代表例として養老孟司とエマニュエル・トッド。養老孟司は知の在り方そのものや人体の構造に関心があり、エマニュエル・トッドは家族システムやマクロ分析を用いた共同体の動向分析を好みます。つまり、「システム」の分析し構築したがるのが直観思考です。
直観型補助感情の代表例は手塚治虫、ブッダ、宮沢賢治、藤井聡。手塚治虫は「火の鳥」で見るように根本的に「どうにもなんねえや」感が凄く、とんでもない投げっぱなしをして嘆きや諦めを描きます。補助思考と違って構築しようとはせずに、「その構築はなんか違くね?」と疑問を呈す感じですね。そして、その直観を還元する先は「組織」にではなく「個人」にです。ブッダや宮沢賢治も涅槃や世界主義を標榜しつつも、発想の出発点や還元先は「個人」であるのが特徴です。
あと、直観感情は嫉妬深さも特徴で、そもそも直観型は疑り深く、自分が見ている夢さえも疑うために明晰夢(夢の中で夢と気づくパターン)をよく見るそうです。その異常なレベルの疑り深さが個人に行くのだから、翻って嫉妬深さに繋がるわけで、手塚治虫は同業者や後輩に嫉妬したエピソードに枚挙にいとまがないですし、ブッダと宮沢賢治は禁欲の象徴みたいな存在でその嫉妬深さに向き合った感があります。
最後に、「表現者クライテリオン」の編集長藤井聡なんですが、この人はマクロ統計分析の専門家で興味対象がシステムに行ってるので、シャドーである思考型が大暴れしていろんな分野(心理学や文学)に逃げ回ってる感があって面白いです。この人の言動をチェックしていくと発想の根元や還元先が「個人」にあり、「本当は、わし、村上春樹やドラクエの世界に浸っていたいんや」などの発言からも根本的な発想は「個人」だってわかります。故に、マクロ経済や国際政治などの「システム」は必要だからと無理にやっている=シャドーになっている、という典型例で面白い対象でしょう。
感覚型は動物。この人達に思想はありません。強いていうならプラグマティズム。50円あげたら、50円分の仕事をきっちりやってくれる人達です。
この非合理型の直観型と感覚型は環境決定論だと思ってるグループです。
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