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【消滅家族の記録 10】 新年あれこれ

 インフルエンザをはじめ、感染症の患者が増えていることもあり、巣ごもりをしているうちにお正月も過ぎていく。
 ボーっとして過ごすうちに、昔はお正月に何をしていたかに思いが巡った。

 まずは何を食べていたか(健康体維持には食生活が大事)。うちでは31日の大晦日に年越しそばを食べたことはなかった。31日の夕食から正月が始まっていた。
 夕食のテーブルはお年取りの御馳走でいっぱいだった。私の好物は鮪の刺身。小さい頃から生ものが大好きだった。羊羹のような赤身がきれいにスライスされて大皿にドーンと盛られているのを見ると、ワクワクした。それから鰤に酒粕のソースをかけたものも好きだった。海のない地方だったので、冬場、特に正月に、この時とばかりに魚を食べていた記憶がある。魚屋さんが丸々太った鰤と塩鮭を一尾づつ持ってきて、年明けから毎日食べていた。
 数の子は塩数の子ではなくて乾燥したものを戻していた。大きな数の子だった。昔はスルメも干し鱈も身が厚く大きかった。以前、ネット通販で大きな干物を探したら、あるにはあったが高級珍味扱いだった。
 干し柿入りの紅白なますも好物だった。干し柿も良品は昨今では高級品だ。やはり、今は大きなものは希少だし、干す手間がかかるし、魚介類でも果物でも価格が高くなるのだろう。
 しらたきがたくさん入った胡桃入りの白和えも好きだった。今だって自分で作ればよいものを、手間がかかるイメージなのか、つい敬遠してしまう。煮しめ、ごまめ、黒豆のほかに、うちでは数の子入りの青大豆の浸し豆をつくった。青豆さんが美味しかった。あぁ、食べたいなあ。
 
 商売をやっていたので、年が明けると、年始客が来る。寒いから祝い酒を一杯どうぞ、で居間の炬燵でおせちをつまんで男性陣は新年の酒盛り。女性陣は大晦日の夜のみ、酒屋さんが量り売りをしている甘口の赤ワインを飲んでいた。酒屋さんにデキャンタを持っていくといっぱいにしてくれた。
 お正月はお酒は一斗樽で買っていたが、松の内が終わるころには空になっていた。お正月にお酒を樽から瓶に移すお手伝いをしたりして、子供の頃からお酒に慣れていたせいか、お酒との付き合い方が身に着いた。

正月用のおめでたい徳利と杯、葡萄酒を買いに行くデキャンタ、お酒を注ぐ時「ピヨピヨ」と鳥の鳴き声がする鳴き徳利。内緒で、鳴き徳利でお酒を飲んでいた。

 3が日は毎朝、鶏肉、青菜、里芋、椎茸、人参、鳴門巻きが入った、典型的な東の方のお雑煮だった。
 仕切り役の祖母が健在の頃は、お餅は暮れの30日頃に家でついた。裏庭にキャンプのように薪を燃やせる穴を掘ってお釜をのせる枠を置き、お釜にお湯を沸かしてその上にもち米を入れたセイロを重ねて蒸し、蒸し上がったら臼に移し、杵でペッタン、ペッタン。つき終わったら、片栗粉を広げた大きな板に置いて伸し餅にしたり、お供え餅にしたり。これは、子供にとって、お遊びのようで、楽しかった。

曲げわっぱのセイロ。さすがの手仕事、メイド・イン・ジャパン。

 小さい頃は、お正月の3が日は着物を着ていた。祖母が着せてくれた。外で遊ぶときは寒いので、洋服に着替えていた。私は寒さに弱い体質で手足がしもやけになるので、外で遊ぶことはあまりなかったが、それでも凧揚げや羽根つきをした思い出がある。
 盆地だったせいか、寒いけれど殆ど雪は降らなかったが、一度、正月に雪がかなり降った記憶がある。近所のお父さんが箱橇を作ってくれ、皆で交代で橇を引っ張ったり乗ったり、雪国の子供の気分を味わったものだ。

左の写真:近所の女の子たち。左端が筆者。右の写真:凧揚げ。左端が筆者。

 小学校に入ると、元旦の朝は、冬休み中なのに学校で新年を祝う全校集会があり、寒い中いやいやながら登校した。 
 記憶にあるのは、張り切り屋の教頭先生が講堂の壇上で徳のある行いについて熱弁をふるっていると、生徒の一人が気を失って倒れたこと。その話は、賢人が堀の傍を通りかかったときに小銭を堀に落としてしまい、家来に堀の中に入って探すように命じたが、その理由は例え小銭でもそのままにしておけば損失になる、という内容だった。ふ~ん、そう思うなら自分で堀に入ればよいのに、水は冷たいから家来はかわいそうだと、私は話が早く終わることを願っていた。それから、寒さに震えながら、年のはじめの~ためしとて~♪ を歌った。
 高学年になってからは、そんな非合理なことは止めようということになったのか、元旦に登校した記憶はない。

 お正月でも、家にいるときはあちこちを開けて、あっ、こんなのがあったと、ものを引っ張り出すので、本格的なゴミの家の様相になってきている。
 祖父母が使っていた火鉢と鉄瓶が出てきた。お正月には餅焼き網を載せてお餅を焼いたり、スルメを焼いたり。鉄瓶には徳利を入れてお燗をつけたりしていた。
 埃を払って磨いたら、このまま使えそうだ。火鉢で暖を取り、鉄瓶でお湯を沸かしておけば、エアコンも加湿器もいらないかも。だけど、炬燵がない。

火鉢と鉄瓶と火箸

 和鋏もあった。これで「舌切り雀」のいじわるばあさんになれそうだ。チョキ、チョキ。

和鋏。紙を切ったら、よく切れた。

 昔はよかったとは、決して言わないけれど、ある程度巻き戻せば、気候変動が穏やかになり、原発が不要になるだろう。一言でいえば、ゆるい自然回帰で、皆が幸せになれる。なんだか新興宗教みたいになってきた。 
 そんなことに思いを馳せて、家の中を徘徊しているうちに、年明けからすでに一週間も過ぎてしまった。嗚呼。


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