「〈叱る依存〉がとまらない」を読みました。
こんばんは。
村中直人 著「〈叱る依存〉がとまらない」を読みました。
この本に興味を持ったのは、ときどきわたしの中に沸き起こる、ものごとに対しての批判的な態度、どうにかならんかなぁという思いを抱えているところから。
例えば調味料を使い終わったあと、分別をするのにめちゃくちゃキャップが外しにくかったりすると、「なんでこんな作りになってるの!こんなんあかんやん!□×&●*^%@$!#…」とイライラしてメーカーの問い合わせ窓口に苦情を送りたくなったりするのです。
SNSで人を非難する行為が問題視されますが、全然他人ごとと感じないんです。
応援していた人たちに、だんだんダメ出しのようなきついことを言うようになってしまったという、かなり苦い経験もあります。
そのときは「自分の今ある状態に不満を持っていて、それが相手への攻撃になっているんだ」と思い、そこから離れることができたのですが、その後も、同じようなパターンに陥りそうなことがありました。
カウンセリング講座などを通して、自分の心を整える、自分の幸せに責任を持つ大切さを学んでから、落ち着いてきたと思っていたのですが、体調や状況に影響されてか、ふとしたタイミングで「これはありえない」と思ったときに、つい相手にきつめの指摘をメッセージで送ってしまったりという失敗がいまだに起こります。
行動までいかない場合でも、頭の中で「批判」が渦巻いていることが少なからずあります。
そんな中、いろいろ検索していて出会った本です。
「処罰感情の充足」が脳の仕組みで「報酬」であるというのが、衝撃的です。
(その欲求が人間に備わっているのは、社会においてルール違反を相互抑止し、コミュニティを維持する役割を果たしているのではないかとされています。)
そして「叱る」ことに人の学びや成長、行動を変える力はない、ということ。
社会に存在する厳罰主義や理不尽の強要を支えている私たちの思い込みや価値観。
〈叱る依存〉から脱却するには、まず自身のゆとりを取り戻すことが最優先、とも書かれています。
世界の先進国で薬物問題が「非犯罪化」へシフトして、治療やケアにつなげようとする方向に動いているというのも、とても興味深かったです。
私の場合は、いま、日常的に叱ることがあるわけではないですが、自分の中に時折渦巻く批判的なもののこともあり、自分ごととして読むことができました。
自分の中にもある感情や思い込みに怖くもなったりしましたが、こういうメカニズムが働いているということを知っておくことは、大いに自分の助けにもなると感じました。
本の中では、現代社会のバッシングや炎上は、人のコミュニティが大きくなりすぎたことが関係しているという考えが示されています。
処罰欲求が人に備わった本能だったとしても、かつてそれが発揮されていたのは、相互に見渡せる範囲の小さなコミュニティであって、周囲の目や手や声が届く距離にあり、誰かの処罰感情が暴走してもお互いを抑制しあえた状況であったはず。
それがインターネットやSNSの発達で、物理的な距離を超えて処罰感情を充足させることが可能になってしまい、その変化は、処罰感情が暴走しやすい環境を生み、そこから抜け出しにくい状態でもある、という説明が、とても強く残りました。
リンク先の2つめの動画の最後にも言及がありますが、ちょっとでもこのテーマについて気になる人がどんどん読んでいけば、状況はいい方向に向かっていくんじゃないかなと、希望を感じる本でもあります。
以前読んだ「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」という小説。
英国在住の著者ブレイディみかこさんが、息子さんの話を中心に描いた作品です。
カトリックの小学校から「元底辺中学校」と呼ばれる中学校に進学した息子さん。人種の違い、貧富の差、EU離脱での離脱派と残留派の分断、自分のアイデンティティなど、彼がぶち当たって体感していく世界とそこに向き合う姿が描かれています。
その中で衝撃を受けたセリフがありました。いじめられている友人の問題に向き合っている息子さんが発したひとこと。
このセリフが、ショッキングで、でもその通りだとも感じて、ずっと私の中に引っかかっていたのですが、思いがけず今回読んだ本につながりました。
「処罰感情の充足」、そういう脳のメカニズムが私たちの中に存在しているということ。
そんな中であっても、自分たちが、自分たちの特性を知って、お互いに支え合うことができるとすれば、そんな未来、とてもいいですよね。