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日記#38医療事務コンピューター(仕事のはなし②)

約30年程昔

医療事務コンピューターのインストラクターとして働いていた頃を思い出して綴ってみている

2ヶ月に1度の割合で会場を借りて展示会を行っていた

ちょっとすまして私達インストラクターも参加

病院の先生や事務長さんに業務内容を説明したり、デモをしたり

もちろんそれまでの長い時間をかけて営業の方がアポを取っているからその展示会にきて下さっている訳で

上手くいけばその場で利用が決まる


決まれば私達の仕事が始まる

決まると医療機関独自の薬、注射、検査データーを作成し完成させて一覧表にする

コンピューターを納品してからはインストラクターとして医療機関の担当者と向き合う日々

その頃一番大変だったのは納品した医療機関の保険請求業務が、月末に全て印刷してしまわなければならないと決められている場合

医療機関のスケジュールはまちまち

事務担当が1人で受付の精算業務と保険請求業務をされている場合などは月末に全て終わらせて次の月を迎えたいと頑張っている事が多かった

なので月末の患者さんの診療が終わってから保険請求業務に入る

夕方から夜遅くに印刷ということになる

年末、担当した医療機関がそうだった

夜11時過ぎ真っ暗で雪がちらつく中やっと全てが終わる

それでも流石お医者様

夜食に、にぎり寿司を差し入れして下さったりタクシーを呼んで下さったり…

無事軌道に乗ったからとランチに招待して下さったり…大変な事ばかりでは無かった事を思い出す

新規オープンにも数多く立ち会った

コンピューターとは関係がないが、診察にきた若い男性が受付で熱を計る為に体温計を受け取り計る

計り終えて体温計を脇からはずしながら歩きながら見ているが…39度越えだったらしい

「39ど……」と言いながら膝から崩れ落ちる男性を目の前で見てしまったり

今では懐かしい事ばかり

私が大きな失敗をして、すぐに補修に走り回って下さった先輩男性社員さん

「大丈夫だから!」と励ましてくれたり、ビザをおごってくれたり

無力な私を助けて下さった事もあった


働き始めて暫くは居心地があまり良くなかった会社だったが、暫くすると慣れ

先輩が退職したり、社員が増えたり

目まぐるしく環境が変わっていった

あっという間に私がインストラクターの中では年長者となり、主任として働く事となる

専門学校や短大を卒業したばかりの若い新入社員も沢山入って来た

「先輩の決めた事に全て従います」と慕ってくれたり

みんなと意気投合してカラオケや飲み会にも行ったり

当時私は、仕事も遊びも楽しんでいたと思う

若かったし、笑顔で写っている写真が沢山残っている

すぐ結婚した子もいて結婚式に皆を呼んでくれたり


バンドが好きな子には色々教えてもらったり

X JAPANやLUNA SEA  この時に知った


XってLIVEの時に、Xって飛ぶんだよ~って教えてくれた

今でこそYOSHIKIさんといえばすぐ分かるけれど、当時は???だった


尾崎豊さんの復活LIVEにも

その彼女がチケットを購入してくれて…

なんと2列目!

彼女は

LIVE中近寄ってきた尾崎さんに他の観客に紛れて手を伸ばしたら手をタッチされていた   ラッキーガール

私は…びっくりしている間にLIVEが終わっていたって感じ


今でもその彼女とは年賀状のやり取りは続いている

色々なワクワクが沢山あったし、景気も良かったあの時代

四国、北海道、沖縄、台湾などなど

慰安旅行にも連れていってもらった

自力ではほとんど行けていないので有りがたかった


その当時皆様大変お世話になりました

会社の慰安旅行で行った秋の北海道も良かったけれど、今度は他の季節の北海道に是非行きたいなぁ


読んで下さってありがとうございます

今日も明日も良いことがありますよう(ニチニチソウ)


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