私の独り言⑬その3 訪問ヘルパーをしていた頃の話~透析に通う利用者様~
訪問ヘルパーは約3年程登録ヘルパーとして活動していた。
とても忙しくなって1日の訪問件数が4~5件になった頃、運悪く自分の不注意で足を骨折してしまい数ヶ月休む事になってしまった。
これは地域の運営する図書館に行った帰り、余り足元を見ていなかったのがいけなかったのだが。
整備されていない図書館内の駐車場を通ってバス停に向かっていた。
大きな石をどけたような穴があったのに気付かず踏み込んでしまった。カキンと音がして激痛が足に走った。
実は高校時代体育の授業中だったがバスケットのボールを持って方向転換した際やはりカキンと音がして病院でレントゲンを撮ったら疲労骨折していたことがあり「あの時と同じ音が…ヤバイかも」と焦った。
病院でレントゲンを撮るとやはり第5中足骨骨折だと診断され全治約3ヶ月。
足の小指、爪先とかかとのちょうど中間あたり。高校時代の骨折と全く同じで反対の足。
笑うしかなかった。
家ではゴロゴロだらだら。歩かずにお尻をついて移動。買い物は宅配便。調理の時だけ椅子に座ったり片足で立ったり椅子に足を乗せたりしながら日々過ごしていた。
約3ヶ月がたちやっと完治してヘルパーとして復帰すると有難い事に新しい利用者様の訪問先が決まった。
以前のnoteで少し触れた事がある、今の母の自宅での介護の原点とでもいえるであろう利用者様。
透析に週3回通っており、体調は常に不良。体重も30kgあるのだろうかと思える程痩せて小さくなっておられる。
薬で排泄コントロールしているため、常時オムツをしていた。
ヘルパーの他にも訪問看護のサービスも。
訪問看護では体調管理や入浴、清拭など。
病院へはいつも介護タクシーで出かけ、車イスで移動。帰宅したらすぐにベッド。
私は主に透析から帰宅する時間から、約1時間のサービスに入るように計画されていた。
まず、時間通りに帰って来る事があまりなかった。30分~1時間遅れて帰って来ると連絡があればそのまま待機。
遅れて帰って来たらそこから1時間、オムツ替えなどの身体介護。
買い物、調理、掃除などその日によって違うサービスを行っていた。
透析が順調に進まず遅れたり、水を抜いたり、血圧が下がりすぎたり…
最悪、入院したと玄関先で電話連絡を受けてキャンセルとなる事も度々だった。
訪問ヘルパーは仕事を実施しなければ収入に繋がらない。
それでも退院が決まると継続して訪問させてもらっていた。
オムツ替えの時はいつもいつも「ありがとう」「すまないねぇ」など。
食事を作って食べてもらった時は「美味しい美味しい」などを必ず言ってくれるかただった。
声を荒げて怒鳴ったり、感情にまかせてクレームを言ったりが全くなかった。
きっと身体がきつかった筈なのにとてもやさしかった。
みたらし団子が食べたいと突然の希望。
当時は今のようにスマホで検索など出来ない。
お粥を食べているこの方には市販の団子は固すぎる。
自宅で子供のおやつでよく作っていた、白玉粉に豆腐を混ぜた柔らかいお団子をつくってみた。
餡は市販の物を思い出しながら醤油と砂糖を煮詰め片栗でとろみをつけてみた。
「美味しい美味しい」と食べてくれたことを思い出す。
訪問ヘルパーとしていつが最終となるか全くわからない。
ある日突然サービスは終了となる。
母が自宅で過ごす時、時々この方の事を思い出す。色々な事を学ばせていただいた。大変だったけれど、貴重な経験だった。
全ての事…無駄な事は無い。
時間がたって改めて感じる。
読んでいただきありがとうございます
今日も明日も良いことがありますように