介護日記2#13私の感じた在宅介護
私の母は介護5。
レビー小体型認知症。
2020年2月にデイサービスで転倒し、数日後意識不明で救急搬送。
十二指腸穿孔、腹膜炎、骨盤骨折、脳梗塞などの病名がつき緊急手術。
少し回復しリハビリの為転院したが、そのリハビリ病院でのコロナの集団感染発覚。
残念ながら母も罹患。
結果約1ヶ月間の隔離状態。
鼻腔栄養、寝たきりでの入院。
もちろん面会も一切出来ない。
結果
拘縮、認知症進行。
言葉もほとんど出ない、歩けない状態になってしまった。
それまでは介護1。
何とか歩行が出来ていた。デイサービスにほぼ毎日通い、食べたい物を食べたい時に食べ、私と一緒に通院やスーパーに時々行く普通の生活だったのに。
何もかもが変わってしまった。
リハビリのお陰で今は、座る事は出来るようになったので車イスで日中すごしているが、ベッドに横になると寝返りすらうてない。
有難いことに食欲がある。
しかし食べたくてもスプーンを口にまで運ぶ力も能力も無くなった。
全ての事が誰かに手伝ってもらわないと生きていけない。
認知症も進み、私の事が分かる時もあれば赤の他人と感じて反応されることもある。発声はあるものの話している内容がわからない。
しかし時々だが意識がはっきりしている時、私に対して「ありがとう」としっかりとした発語で言葉をかけてくれる。
病院を退院する時に家で看ようとは思えなかった。
私は腰や腕をコルセットやサポーターが無くては、物が持てない程痛めていたし。
ひどくはないが乳癌術後の皮膚のツッパリや痛みも続いていたり。
ホルモン剤服用の副作用で自律神経の乱れがあり体調も不安定だったから。
母には施設に入ってもらったほうがいいかもと考えていた。
誰もいない深い深い森に迷い込んだような感覚。
底なし沼で溺れているような感覚。
余り考えていると心が壊れそうな気がした。
もう既に病んでいたけれど。
一切考えるのを止め、なるようになると思うようにした。
すると…有難い事に、母の退院より少し後にはなるが看護小規模多機能である施設が車で5分程度の場所に新設されるという。
霧がはれてくるような感覚だった。
新設であれば、泊まりの希望も通りやすい。(本来であれば看護小規模多機能は、利用者の泊まりを均等化しなければならない取り決めがある為、泊まりの希望が他の利用者と重なる時は希望通り泊まる事が出来なくなる。)
退院日を少し伸ばしてもらい、開所と同時にお世話になることに。
退院後約1ヶ月はずっと泊まりのサービスを利用。暖かくなってから、時々帰宅し、現在は週に2、3日帰宅する生活ができている。
もしこの事業所がなかったらおそらく施設入所となっていたことだろう。
ショートステイも考えたのだが、世の中コロナ禍の真っ只中、当時担当だったケアマネが「なかなかショートステイの受け入れ出来る所が見つからない」と嘆いていた程だったから。
今私が感じている事。
まさに今直面して家族を看なくてはならなくなって、混乱している方へ。
もし、もし迷うことが何かしらあるのであれば。
迷いは大切。
きっと何かしら引っ掛かる事があるから悩むはず。
考える事も大切ですが。
考えるのを止めてもいいと思う。
私の様に流れに任せて。
そうすると向こうから大切な何かがやってくるかも。
考えがまとまっているのであれば良い。
正解・不正解ではなく、偉い・偉くないでもなく、一番今必要な決断。
後には違う決断をしても良いと思う。
私だって明日には違う決断をして母を施設にと考えるかもしれない。
介護は、在宅していても施設入所していても繋がる想いが大切。
もし悩みながらでも決断したことは、今一番必要な決断だから心配しないで前進あるのみ。
ぼちぼち介護できれぱ。
まずは自分が後悔しない決断を。
読んでいただきありがとうございます
今日も明日も良いことがありますように