起業のエクイティ・ファイナンス―――スタートアップを成長させる「インセンティブ」の設計図の書籍解説
起業のエクイティ・ファイナンス―――スタートアップを成長させる「インセンティブ」の設計図の書籍解説
エクイティ・ファイナンスとは、企業が株式を通じて資金を調達し、投資家や従業員に対して経済的リターンを配分する仕組みを指す。通常の銀行借入と異なり、返済義務がないため企業のキャッシュフローを圧迫しにくいという利点があるが、同時に株主構成や経営権にも大きな影響を及ぼす。
スタートアップにおいて、エクイティ・ファイナンスは単なる資金調達手段を超えた存在である。創業時から優秀な人材や投資家を呼び込み、企業価値の上昇に連動してリターンを分配できるため、成長の原動力として機能するのだ。
本書「起業のエクイティ・ファイナンス―――スタートアップを成長させる『インセンティブ』の設計図」は、優先株式やストックオプションといった専門的な手法を実務レベルで解説しつつ、本質的には「いかにインセンティブを設計し、人を巻き込んで成長していくか」を徹底的に掘り下げているのが特徴である。初版から内容を大きくアップデートし、日本の最新事例も盛り込むことで、スタートアップ経営者や投資家にとってのバイブルとなっている。
具体的なスキーム:J-KISS・優先株式・リストリクテッド・ストック
本書の中心的トピックは、スタートアップの実務に欠かせないエクイティ・ファイナンスの具体的なスキームだ。代表的な3つの手法を挙げると、J-KISS・優先株式・リストリクテッド・ストックがある。
J-KISS
株主総会で発行する個数を決定し、投資家に割り当て、新株予約権として発行の登記する方法。J-KISS型の新株予約権は、シード期の企業が順調に成長し、シリーズAというステージに移行した時に、A種優先株式に転換される仕組み。よってバリュエーションが決めにくいシード期でも、一定の割引率や上限を設定して後で株式へ転換できるため、初期投資を受けやすくなる。数千万円から1億円前後のシード投資を引き出す際にも多用されており、日本国内での利用が急増している。優先株式(Preferred Stock)
普通株式に比べて配当や残余財産の分配で優先的な権利を得られる株式形態だ。シリコンバレーのベンチャーキャピタルは優先株式を使うケースがほとんどで、日本のスタートアップ投資でも近年広まっている。M&AやIPOの時点で投資家に一定の回収を保証しやすくなるため、シリーズA以降の大型調達では必須とも言える。リストリクテッド・ストック(RS)
譲渡制限付き株式で、幹部や従業員に付与しやすいスキームである。特定の期間や条件を満たさないと売却できないため、長期的な企業成長にコミットしてもらう上で有効だ。ただし、税制上の優遇を受けるための要件を満たしすぎると、将来の株価上昇時に大きな課税が生じるリスクもあるので、実務では最適な設計が欠かせない。
スタートアップのインセンティブ構造を変える資本政策
日本の企業が「失われた30年」を経て世界の時価総額ランキングで後れを取った原因として、エクイティと報酬を結びつけたインセンティブ設計の遅れが指摘される。本書では、アメリカの例を引き合いに、優秀な人材が挑戦に報われる仕組みがいかに大事かを繰り返し説いている。
アメリカの事例
1979年にERISA法の規制が緩和され、大量の年金基金がベンチャー投資へと流れたことがシリコンバレーの成長を一気に後押しした。GAFAのようにストックオプションが当たり前の企業では、社員一人ひとりが将来の企業価値を高めようとする意欲が強く、結果的に企業の時価総額が巨大化している。ストックオプションと経営の柔軟性
0→1のフェーズが得意な社員と、1→10を伸ばすのが得意な社員は必ずしも同じではない。株式報酬をうまく設計すれば、ある時点で経営陣が変わっても、早期参加者が株式価値の上昇を享受できる構造を作れる。結果的に「創業者や初期メンバーが退くことが企業価値を伸ばす」と判断される場面でも、適切なインセンティブが機能しやすい。
スピンオフ・MBO・dual classによる成長戦略
本書では、大企業発のスタートアップや成長企業がさらなる飛躍を目指す上での選択肢として、スピンオフやMBO、dual classといった資本政策にも触れられている。
スピンオフ・MBO
親会社の支配下にある限り、意思決定のスピードや株式上場の自由度が制限されがちだ。スピンオフによって事業部を分離独立させたり、MBOによって経営陣が株式を取得し、強いオーナーシップを確保することで、スタートアップらしいダイナミズムを取り戻せる可能性がある。dual class(複数議決権株式)
上場企業であっても、創業者や経営チームが議決権の多い株式を持つことで、買収リスクや短期利益至上主義から自由になれる仕組みだ。シリコンバレー発のユニコーン企業が相次いで採用し、上場後も強力なリーダーシップを維持している。日本版dual classの事例は限定的だが、法改正や証券取引所のルール緩和を通じて今後増える可能性がある。
社会とのインセンティブのアラインと未来ビジョン
スタートアップのエクイティ・ファイナンスは、企業と投資家、従業員だけでなく、社会全体を巻き込む可能性を持っている。本書でも、年金基金(GPIF)が国内ベンチャーキャピタルへ投資を始めたトピックが取り上げられ、「高齢者の生活を支える年金とスタートアップの成長がアラインすれば、日本の成長を押し上げる力になる」と論じられている。
GPIFの国内スタートアップ投資解禁
2023年7月、GPIFが初めて国内のベンチャーキャピタルファンドにLP出資すると発表した。このニュースは、高齢者を中心とした国民の年金財源がスタートアップ投資を通じて増えれば、世代間の利害対立をやわらげる効果があるという点で注目されている。
社会課題解決とエクイティ・ファイナンス
日本が抱える少子高齢化や気候変動への対応といった課題に対し、スタートアップが新技術やサービスで解決策を提示する例が増えている。インセンティブ設計によってリスクテイクを促進し、成功時のリターンを広く社会に還元することができれば、スタートアップは単なる「企業」ではなく「社会的仕組み」として大きな役割を担うだろう。今後10年の展望
日本のベンチャー投資額は2010年代初頭に比べ3倍以上に増え、ユニコーン企業も続々と誕生している。本書が提唱する「エクイティ・ファイナンスをインセンティブ設計として捉える視点」が、さらに多くの企業・投資家・自治体に浸透すれば、次の10年でグローバル市場を席巻する日本発のスタートアップ集団が生まれるかもしれない。
まとめ
本書「起業のエクイティ・ファイナンス―――スタートアップを成長させる『インセンティブ』の設計図」は、株式を使った資金調達のハウツー以上の価値を提供している。そこに貫かれているのは、リスクとリターンを巧みに設計し、人や社会を動かすインセンティブをどう生み出すかという経営の核心である。優先株式やスピンオフのような実務的ノウハウはもちろん、GAFAに代表されるアメリカ企業がいかに企業価値と個人のモチベーションをアラインさせているか、その事例を多角的に示している点が本書の最大の特徴だ。スタートアップ経営者や投資家のみならず、大企業で新規事業を推進しようとするビジネスパーソンにも広く学びがある一冊である。
エクイティ・ファイナンスは資金調達だけでなく、人・組織・社会を巻き込むインセンティブ構造としての本質がある。
J-KISS・優先株式・リストリクテッド・ストックなど多彩な手法を理解し、成長フェーズに応じた資本政策を行うことが重要である。
スピンオフ・MBO・dual classの活用や年金基金の参入によって、スタートアップが日本経済・社会全体を変える可能性が高まっている。