引き出しに何が入っていますか?
今、神戸に帰省していて、旅先より記事を書いています。
先日、以前の職場の同僚とご飯に行く機会がありました。その会食の中で、元同僚の方に「〜さんは、引き出しの数が多過ぎるし、常に開いている。それだと長期で働く場合に消耗し過ぎてしまう」的なコメントをもらいました。
私は、突き詰めることや掘り進めること、つまり引き出しの奥深さや量、質を増やすことに価値を感じていたのですが、そのフルパワーの生き方は続かないという話です。
正直、最初言われた時は何を伝えたいのかよく分からなかったです。
しかし、このnoteを使って、自分なりの解釈を書いてみたいと思います。
まず「引き出しとは何か?」についてですが、自分が持っている知識、情報、経験、ノウハウ、能力や思考も含まれていると思っています。私は、仕事やビジネスで学んだことは転用できるように常に様々な事を蓄積しています。その残し方も再現性が高いように、可能な限り形式知化して、可能ならドキュメントに落とし込んだりしています。
メモやノートは数えきれないほどありますが、どこにだいたいどこのデータがあるのかは大方分かっていて、引用できる状態を作っています。
例えば、転職活動。自分の行動は後からトレース(追跡)できるようにして、失敗も成功事例もまとめて、脳内のメモリには保存場所と経路だけ保存されていて、いつでも利用できる状態にあります。
このように、大方大切なことは、パックとしてフォルダ化しており、残している事を「引き出しの数が多過ぎる」と言われるのかもしれないと感じました。
自分としては、引き出しを常に開けているつもりはないのですが、よく見ていただいている元同僚兼友人なので、指摘を受けたことはあながち外れていないのかなと考えていて、自分としては理解して活用の方向を模索していたりします。
私は脳内各所にあるデータに対する経路を保つことにメモリを相当数使っていて、更に仕事でも創造性高いスケールする仕組みを作らなければならないので、確かに考えていない時間が無いほど、大方人と会っている時は脳がフル回転しているのかなと考えています。
その為、ある程度考え過ぎたりすると、自分の中の思考がショートを起こしてしまって、疲れて動けないと言った現象が起こったりする場合があります。
これが力の使い過ぎ。つまり、HUNTER×HUNTERでいうところの「メモリの無駄遣い」が生じている場合があります。容量限界まで非効率な使い方をしていると言いたいのかなと感じました。
パックをして経路だけ認識しているとはいえ、膨大な情報量とそれに伴う思考を抱え込むと、自分の能力の限界値まで引き出し続けなければならないので、友人が言っていたのは、この容量の使い過ぎによる疲労を加味した発言なのかなと考えています。
これからの対応として必要なのは、使わない引き出しはいつでも取り出せるようにしておくのではなく、引き出しの奥にしまって、一旦忘却をすることだとアドバイスをもらいました。
知識、情報、経験は常に取り込もうとしているので、同じ容量の内容を一旦排出する作業が必要ということと個人的には捉えました。
自分は、転職したばかりで、嫁も娘も支えなければいけない父ちゃんとは言え、全てを抱え込む必要はなく、メモリ不足を起こしているなら助けてもらったり、アラートを用意することも大事なのかなと感じました。
そして、その前提には私の絶え間ない飽くなき上昇志向が関係しているのかなと感じていて、ヒエラルキーの最下層から頂点まで目指す旅は一旦、止めた方がいいのかなとも考えています。
では、この文章をここまで読んで頂いた方にも考えていただきたいのは、どこが自分の限界で、どこまで一時的にメモリを拡張できて、どの段階まで進むとショートを起こすのかということです。
引き出しの中に詰め込むことももちろん大事ですが、人生は短くて長いので、長期目線で、持続可能な生き方をするのが大切なことなのかな、と改めて考えさせられました。
そういう意味で、ある種、余白を用意しておくのは大事なことかもしれません。
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