テクニックではない読書
読書の秋ですね。今でこそ私は読書が好きになりましたが、
高校まで本は国語で点を取る為の道具のように考えていました。
私は中学受験をしようとした時期があり、
経済的な理由で断念した経緯があるのですが、
受験で言うところの国語って結構テクニック的な要素が強いのです。
接続詞を見れば、どこに筆者の主張があって、
どこが本当に言いたい事かといった事はだいたい分かるのですが、
これが出来てしまうと、大学受験の手前までは点が取れたりします。
極論を言ってしまうと、読まなくても答えが分かる状態になります。
でも、このテクニックに頼った本を読むやり方は、正直な所、
後に何も残らなくて、意味のない行為に近いと考えています。
読書で大事なのは、言ってしまうと
「自分に響いて影響を与える言葉」を見付ける事だと考えています。
主体的読書こそ意味のある行為で、そこにはテクニックは不要です。
筆者の意見を聞く事はもちろん重要なのですが、
ただ受け身で理解をするだけなら、要約サービスで良い訳です。
(ちなみに、本の要約サービスを否定する訳ではないです。)
それ以上に大事なのは、筆者と頭の中で対話しながら話す事です。
よく私は頭の中で関西弁で「なんでやねん!」とかツッコミを入れています。笑
主体的読書や上記のツッコミ読書術(術なのか?!)をする事で、
書籍の内容が「自分事」になると考えていて、
「自分ならどうなのか?」「自分の状況ならどう考えるのか?」という
既存の読書体験の域を越える事ができると思っています。
それは、「自分にとってどう言葉が響くのか」という
言語センスだと思っていて、このセンスを磨くことで、
長い人生の数億以上聞いて話すであろう言葉のセンスが変わってきます。
それは人間としての知的体験を楽しむのに大変面白い経験だと思っています。
そして、読書は生涯の趣味にもなり得るので、
「本が好き」という人は生涯の趣味を既に見つけているとも言えます。
読み方は人それぞれです。
私みたいに赤線いっぱいで本にツッコミを書きまくりな不思議な人もいると
思いますし、まとめが得意な人、傷つけずに読みたい人、速読ができる人や
フォトリーディングをする人など、様々です。
どんな読み方があってもいいと思いますし、どんな本が存在してもいいと思います。
私は読書は現在、実用書に偏り過ぎていますが、
それもまた面白く、その人なりの個性だと考えています。
本を読める機会や時間に恵まれているのであれば、
読書をしてみると、明日の見える景色が変わってくるかもしれませんよ。