日常を創る人
私たちの生きる世界は高度にデジタル化が進み、日常に技術が溶け込んでいます。
TCP/IPが分からなくても、LINEやInstagramのようなアプリケーションが使え、OSが分からなくても、iPhoneやAndroidに代表されるようなハードウェアに触れ、先人たちの深い深い叡智により、発達した技術を手に取るように使えます。そこには「日常を創る人」という目に見えないクリエイティブな人達が多数存在すると考えています。
それは、動画などで目に見たことのあるスティーブ・ジョブズのような存在だけでなく、日々日常を支えている全ての人が、私は「日常を創る人」と捉えております。
「あー、仕事つまんねー!」と呟いている貴方の仕事に助けられている人も多くいて、仕事の分担をしながら、社会を構成しているのかなと私は考えており、社会的に「これあかん!」と言われる一部を除いて、社会に価値のない仕事なんて存在しないと思っています。
また、円安でより明白になってきているとは思いますが、個人的には社会的な支出に対する日本人の給与の比率は相対的に低いと考えており、節約意識というものが切って離せないとは感じています。こんな社会において、日本が比較的安全なのは、最低限が完全に保証されている社会保証と、値上がりは気になる所ではありますがそれでも高度なインフラと、一部モラルがという方もいらっしゃるとは思いますが高いモラル、そして多くの方が週5日8時間以上の労働を行い、社会を支えている皆のおかげなのかなと考えています。
何が言いたいのかというと、「日常を創る人」と言うとちょっと大袈裟な表現に感じるかもしれませんが、自分たちが今働いている仕事の上位の概念を捉えていくと、社会に対する還元や人の為になるサービスなどに紐付いているのかなと考えています。
レンガ職人の話を聞いた人は多くいると思います。
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中世のとあるヨーロッパの町。
旅人がある町を歩いていると、汗をたらたらと流しながら、重たいレンガを運んでは積み、運んでは積みを繰り返している3人のレンガ職人に出会いました。
そこで旅人は「何をしているのですか?」と尋ねました。すると、その3人のレンガ職人は次のように答えました。
1人目は、「そんなこと見ればわかるだろう。親方の命令で“レンガ”を積んでいるんだよ。暑くて大変だからもういい加減こりごりだよ」と答えました。
2人目は、「レンガを積んで“壁”を作っているんだ。この仕事は大変だけど、金(カネ)が良いからやっているのさ」と。
3人目は、「レンガを積んで、後世に残る“大聖堂”を造っているんだ。こんな仕事に就けてとても光栄だよ」と。
3人のレンガ職人は、それぞれ「レンガを積んでいる」という仕事は同じです。
仕事の内容や役割が同じなので、賃金もほとんど変わりません。
しかし、“動機”がまったく違います。働く意識、目的意識が全く違うのです。
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ここの本質は、目的に対してモチベートされるのかももちろん大事ですが、目的自体を俯瞰的に捉えられているかがポイントなのかなと考えています。
この高度に発達した技術が存在する社会において、ノーベル賞並みの素晴らしい発明が無い限り、一人で世界を変えるなんてことは難しいと考えています。
つまり、世の中を変える人も支える人も組織としての総力戦なのです。
その中において、個人として総数何千人、何万人の中の一人として捉えた場合に、今、自分がやっていることは何か?そして、それは誰を喜ばせているのか、誰を支えているのか、という視点は持っていて悪くないのかなとは考えています。
生産性が足りていないと言われる伝統的な日本企業が多い社会とは言われる昨今ではございますが、社会を下支えしているという点においては、価値があると考えています。
私も皆さんと同じく「日常を創る人」です。プロフィールに記載している記事以外に、現在は広告の未来を見据えて行動していると捉えています。
目の前の仕事は稀につまらない、大変だと考えてしまう時もあるかもしれませんが、ぜひ社会の一部としての「日常を創る人」という視点を持てば、仕事に対するスタンスも変わるのでは無いでしょうか。