復活&再生の切っ掛けは、熱いシャワーを浴びることかな〜『スティング』で、“伝説の詐欺師”が体現した復活と、諦念
復活&再生の切っ掛けは、
熱いシャワーを浴びる
ことかな。
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この映画『スティング』で、ラグタイムという、それまでは、世間から完全に忘れ去られていた音楽を知り、スコット・ジョプリンという、この、差別意識がどっぷりと蔓延していた時代に、黒人の腕利きミュージシャンとして活躍していた作曲家兼ピアニストの存在を初めて知りました。
確か、何回目かのリバイバル上映の際に、FM東京の番組でスコット・ジョプリンのラグタイム特集が組まれ、インターネットがない時代にも情報のアンテナを常に立てていると、案外キャッチすることができたものです。
監督のジョージ・ロイ・ヒルの伸びやかな演出のお陰で、名優たちの演技とともに、あまりにも虚を突かれたエンディングのシナリオも見事でしたが、
私が一番感銘を受けたのは、ポール・ニューマンが演じた、凄腕の詐欺師という噂を頼りに、ロバート・レッドフォード演じる“フッカー”が、彼の根城としていた安売春宿を訪ねた時の情景。
“業界人”に流れていたその噂とは全く異なり、酒に溺れてやさ暮れて、まるでホームレスかと見紛うばかりの姿に、これが本当に伝説の凄腕詐欺師なのかと、劇中の“フッカー”だけでなく、観客である我々でさえも疑問が沸き上がったのですが、
“フッカー”から、人種の壁を越えた“仕事仲間”の敵討ちを兼ねた、今回の詐欺仕事の“オファー”を聞いた途端に元気になり、熱いシャワーを、ヨレヨレのシャツを着たまま浴びるとみるみる“蘇生”して、たちまちタキシードに身を固めた紳士に変身する。
そこに、新たな役割を与えられた人間が、これまでの情けない自分に別れを告げて立ち直る姿を鮮やかに見せてくれたのでした。
このシーンはものすごく印象に残りましたが、
たぶんこの男は、この一大プロジェクトを完成させて大金を手にしても、結局は、再びかつての自堕落な生活に舞い戻るだろうなという予感と諦念も感じさせる、非常にリアル感溢れるシークエンスでしたね。
そして、こちらの映画もオススメです。
ジョージ・ロイ・ヒル監督、ポール・ニューマンとロバート・レッドフォード共演という、『スティング』の前に、この“トリオ”によって製作された作品が、
『明日に向って撃て!』
しかし、この映画を、当初は、当時の映画評論家が酷評したというのが興味深いですね。
その後、一般大衆の圧倒的な支持を受けて手の平返し。
結局、評論家は、固定観念から逃れることができない堅物ということでしょうね。
そして、主題歌の「雨に濡れても:Raindrops Keep Falling on My Head」とともに、
当時の最新鋭ビークルだった自転車=Bicycleによる、
ポール・ニューマンとキャサリン・ロスとロバート・レッドフォードを巡るトライアングル・シチュエーションの中で展開される、切ないタンデムシートの想い出とともに…。
さて、先日、1999年に日本で初公開された後に久し振りにリバイバル上映された、1900年代初頭が舞台の『海の上のピアニスト~4Kデジタル修復版&イタリア完全版』でも、この頃に大流行していた、新興音楽だったジャズやラグタイムが演奏され、
さらには、実在した“ジャズの発明者”と自称する黒人ピアニスト“ジェリー・ロール・モートン”と、主人公である、国籍も身元も不明の白人である“1900(船内で“発見”された年に因み、ナインティーン・ハンドレッドと名付けられる)”とのピアノ演奏バトルが、往年のジャズやラグタイムの全盛期であったことを実感することができたのも、
この映画『スティング』(STING=チクリと針で刺すという意味から、騙す・ぼったくるという俗語になりました)のお陰といえましょう。
※※※
過日、『海の上のピアニスト』の4Kデジタル修復版を観たら、
1930年代のダイレクト・カッティングを再現しているシーンが登場して、スゴかったですね♪
原盤は、現在の高品質なラッカー盤とは異なるのかもしれませんが、主人公の海の上のピアニスト“1900”が、原盤がダイヤモンド針で削られていく様を見て、一言、痛い(T-T)と叫んだのが印象に残りました。
録音が進むに連れて、削りカスがどんどん原盤の上に降り積もっていくのです。
文字どおり、演奏者の命を削りながら録音されたのがアナログレコードの原盤なのかもしれないなと思いました。
しかし、それをデジタル修復版で観れるという、摩訶不思議でアイロニカルな世界であることよ。
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なお、この時には、世界に配給された、上映時間約2時間の『海の上のピアニスト~4K修復版』を、1999年に日本で公開されたヴァージョンを観ました。
その後、3時間にもわたる『海の上のピアニスト~HDレストア&イタリア完全版』を観たら、世界配給版は“ダイジェスト版”に過ぎないことがよくわかりましたね。
最初に観た“世界配給版”は、ところどころでストーリーが大幅にカットされていて、繋がりがよくわからなかった箇所が何ヵ所もありましたが、イタリア完全版を観て、なるほどここをカットしたのかというのがよくわかりましたね。
何しろ、40分以上もカットせざるを得なかったのですから、商売上で上映の回転率を上げることと、3時間の長丁場の映画だと観客が飽きてしまうだろうという判断から、そのような措置が採られたのだと思われますが、やはり、イタリア完全版を観ないと、ジュゼッペ・トルナトーレ監督が訴えたかったことの本質=何故、海の上のピアニストである“1900(ナインティーン・ハンドレッド)”が、この船の中で生まれ、この船が、遂に役目を終えて老いぼれ、廃船となってダイナマイトとともに海の藻屑となる運命を自身も受け入れたのか、を理解するのは、かなり困難だっただろうなという感想を持ちました。
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