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黒っぽい音楽には、それぞれ理由があった。「プレイ・ザット・ファンキー・ミュージック、ホワイトボーイ♫」

黒っぽいのがクセになる。
シリーズ

【ハードロック冬の時代に
悪戦苦闘編】

黒人じゃないのに
黒っぽかったのは
何故?

それぞれ
やはり
理由がありましたね。

【長文注意の趣味の世界ですので悪しからず】

***

Play That Funky Music
by WILD CHERRY
2020/04/24
Infinite Waves

説明
 ⬇︎ 
Description 
ディスコ時代にワイルド・チェリーのロックはマッチしていなかった。
演奏していたディスコで、ある日 黒人客が「ファンキーな曲をやれよ、白ん坊」と叫んだ。

これに刺激を受けた ヴォーカルのロブ・パリッシは、『その通りだ』と思い、この経験をもとに作詞した。

しかし”白ん坊WhiteBoy”という言葉は、黒人から白人を差別した言葉のため、どのレコード会社も録音を拒否した。

「その言葉を外すとこの歌を殺してしまう。それ自体がこの曲だから」と、ロブ・パリッシは通した。

1976年 曲の録音後 約数週間で この曲はヒットチャート1位となり、モンスターヒットとなる。

Wild Cherry was a hard rock band, and with disco big at the time, their sound didn't go over well.

Playing in a disco, one night, a black audience member shouted, "Play some funky music, white boy.”

This triggered the band’s vocalist Rob Parissi.
He thought they should, and wrote down the phrase, and wrote the song.
 
Everybody was worried about that “white boy”, and said “You gotta take that out”.

But Parissi insisted on keeping them saying ““No, if I take that out, it’s gonna kill it. That’s the song.”

The song was hit so fast.
In few weeks into it, it came out No.1 in 1976 became a monster hit.

Artist: Wild Cherry 
アーティスト:ワイルド・チェリー

※※※

曲想は、完全にファンキー&ディスコティックですが、間奏のギター・ディストーション・サウンドのみ、いわゆるロックとしての矜持を示していますね。

さて、個人的には、1990年代にファンだった英国のハードロックバンド、「サンダー THUNDER」が、1999年3月15日に、アルバム『Giving the Game Away』を発売して、

「CLUB CITTA'KAWASAKI」で、来日ライブを開催する時のオープニングが、このアルバムに収録されていたこの曲で、

英国の白人バンドが諧謔&自虐的な意味を込めながらグルーヴィーに演奏するのがカッコよかったですね。


この曲を日本人がカバーするとこうなる代表例

オリジナルのワイルド・チェリーのミュージックヴィデオ映像に被せて、

ダンス☆マンの音源がミキシングされているという、フェイク動画のような作品ですが、

オリジナルのライブ演奏風景がわかる、貴重な映像となっているのが興味深いですね。

「プレイ・ザット・ミュージック」が、どうして、

「よくある苗字、サイトウ」
と歌われたのかを、

ダンス☆マン本人により、フジテレビの女子アナ、大橋マキアナのインタビューに答える場面が収録されていますね。

なんと、
「プレイザット・ミュージック」が、
「よくある苗字(ミョウジック)」に、

「ホワイトボーイ」が、
「サイトウ」に、

空耳的には聞こえるという強引なマイ・ウェイ“Going my way”理論で、そのタイトルにしたそうです。

アッパレ♫

※※※

それでは、この曲以外でも、黒っぽいが、黒人以外が演奏しているものをピックアップしてみると…。

2020/04/29
スペンサー・デイヴィス・グループ - トピック
Provided to YouTube by TuneCore Japan

ギミ・サム・ラヴィン
スペンサー・デイヴィス・グループ

まるで、スクリーミング・ロード・サッチか、オーティス・レディングかと思わせるソウルフルなヴォーカルとサウンドが、白人中心のリバプールサウンドやビートロック全盛の1960年代にもかかわらず黒っぽかった理由は?

このグループの一員だったスティーヴン・ローレンス・ウィンウッド(通称スティーヴ・ウィンウッド、Stephen Laurence "Steve" Winwood、1948年5月12日 - )は、イングランド・バーミンガム出身のブルー・アイド・ソウル、ロック・ミュージシャン。

1960年代半ばにスペンサー・デイヴィス・グループのメンバーとして音楽活動を開始し、1970年代半ばまではトラフィック、ブラインド・フェイスなどロック史に残るバンドの中心メンバー、その後はソロ・アーティストとして、60年近く活動している。

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第33位

ウィンウッドの音楽は、リズム・アンド・ブルースやソウル・ミュージックなど黒人音楽に強い影響を受けている点に特徴がある。

主に歌手兼鍵盤楽器奏者だが、ギターやベース、ドラムスも演奏できるマルチプレイヤーである。

1960年代中盤にスペンサー・デイヴィス・グループの一員として「愛しておくれ(Gimme Some Lovin')」などで人気を博し、グループを脱退後はトラフィックのメンバーとしても成功を収めた。

1970年代後半以降はソロで活動。
主なヒット曲に「ハイヤー・ラヴ」「ロール・ウィズ・イット」などがある。

やつぱり、サンダー、カッケー♪

1990年代に、これらの古き善きスタンダードナンバーをハードロックに仕立て直す手腕が流石ですね。

2019/08/01  
#bluesbrothers #Thunder #coverversion
#Thunder #GimmeSomeLovin #BackstreetSymphony

Official music video for ‘Gimme Some Lovin’’ by Thunder

Listen to The Greatest Hits:

https://thunderband.lnk.to/TGHID

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Gimme Some Lovin’, a cover of the Spencer Davis Group hit, is taken from Thunder’s first album ‘Backstreet Symphony’.
Originally released by EMI on 5th March 1990 and produced by Duran Duran’s Andy Taylor.

Lyrics

Well my temperature's rising and my feet are on the floor

Twenty people knocking 'cos they're wanting some more

Let me in baby I don't know what you've got

But you'd better take it easy this place is hot

I'm so glad we made it, I'm so glad we made it

You've got to give me some lovin', gimme some lovin'

Gimme some lovin' everyday

Well I feel so good everything is sounding hot

Better take it easy 'cos the place is on fire

Been a hard day and I don't know what to do

Wait a minute baby it could happen to you

I'm so glad we made it, I'm so glad we made it

You've got to give me some lovin', gimme some lovin'

Gimme some lovin' everyday

Well I feel so good everybody's getting so high

Better take it easy 'cos the place is on fire

Been a hard day and nothing went too good

Now I'm gonna relax honey, everybody should

I'm so glad we made it, I'm so glad we made it

You've got to give me some lovin', gimme some lovin'

Gimme some lovin' everyday

#thunder  
#thunderonline #backstreetsymphony #gimmesomelovin #spencerdavisgroup
#spencerdavis
#coverversion
#bluesbrothers
 
彼らの代表曲「バックストリート・シンフォニー」

次に紹介するのは、

「サタデー・イン・ザ・パーク」
シカゴ

ブラス・ロックのイントロダクションから、

冒頭の歌詞が、

「Saturday(土曜日の)、in the PARK( セントラルパーク公園に於いて)、I think it was the 4th of JULY(それは、7月4日独立記念日のことだった)」

大事なことなので、
2回繰り返しますよ(笑)。

そして、

「みんながダンスを踊り、
みんなが笑い、
独立記念日を祝っていた」

と歌っているのが、この歌のキモですね。

しかし、サウンドがもろに黒っぽいのは何故だろう?

ひょっとしたら、リベラルな立場を打ち出したバンドならば、当然、当時の黒人の社会的地位向上や差別に対する抗議の意志を表明する、すなわち、公民権運動などの立場をアピールするために、そのような音楽的なスタイルを打ち出したかったのかもしれませんね。

***

「サタデイ・イン・ザ・パーク」(Saturday in the Park)は、ロバート・ラムによって書かれた楽曲である。
シカゴがアルバム『シカゴ V』収録の一曲として録音した。

ロバート・ラムは、ピアノとリード・ボーカルを担当している。

ピーター・セテラがベースとバッキング・ボーカルを担当している。

ベトナム戦争当時、シカゴはアメリカン・リベラルの有名バンドであり、それゆえに反戦的な意味合いも持っている曲である。

シングル盤はビルボード Hot 100で3位を記録した。

シカゴのメンバー、ウォルター・パラゼイダーによると、ラムは1971年7月4日、ニューヨークにおける『シカゴ V』のレコーディング中に、この曲を書く気になったという。

彼によると、「ロバートはセントラル・パークでスチールドラム、歌手、ダンサー、ジャグラーを見てからホテルに戻ってきて、興奮していた。僕はこう言った。おい、そのことを音楽にしないと。」。

歌詞「singing Itallian songs」の行の後にイタリア語の歌詞が続いた。

ピアノ・ギター・ボーカルの楽譜にはこの行の次に、即興で作ったイタリア語の歌詞と言う言葉が見られた。

ロバートはライブで歌う際、2番の歌詞'a man plays guitar'のところで、亡きテリー・キャスのことを思い天を見上げているという。

※※※

Three Dog Night
-Joy To The World
スリー・ドック・ナイト
「喜びの世界」
ジョイ・ツー・ザ・ワールド

この人たちの歌い方は、初っ端から黒っぽいですね。

 2022/08/09  
#threedognight #joytotheworld
#スリードッグナイト

Album Three Dog Night –
[Naturally ] 1970
日本盤シングル1971 
東芝HR-2775

3人の中心ボーカルと4人のバンドメンバー

スリードッグ・ナイトというグループ名は、オーストラリアの原住民であるアボリジニが、極寒の季節で眠る時には、3匹の犬と寝ることでサバイバルできるという故事に因むとのことで、てっきり、オーストラリア出身かと思ったら、みんな米国出身のメンバーだそうです。

この曲も、冒頭のシャウトから黒っぽいですが、このグループのレパートリーは、自身のオリジナルではなく、人の曲を採用する=カバーしかやらないことに特徴があるそうですので、たまたま採用した曲が、黒人が歌っていた曲だったのかもしれませんね。

※※※

One of These Nights
(2013 Remaster) 
Eagles
Legacy
℗ 1975 Elektra/Asylum Records.

イントロダクションの、ファンキーなサウンドとコーラスは、まるで、後の、「サタデーナイト・フィーバー」スタイルを打ち出して、それまでは、「マサチューセッツ」や「小さな恋のメロディ」という、ソフト・ロック路線でおとなし目の楽曲でしかヒットが出ずに、みんなから飽きられるのを一発逆転で、ディスコティックブームに乗って「サタデーナイト・フィーバー」や「ステイン・アライヴ」でカンバックを果たしたビージーズがやっているといわれても信じてしまいそう。

実際に、当時は、イーグルスのメンバーの1人(たぶんドン・フェルダー)が、

「ツッ、ダー、ツッ、ボーン♪
ツッ、ダー、ツッ、ボーン♪」

と、口真似(ヴォイス・パーカッション)してから、

ロックにディスコティックのリズムを採り入れたのは、俺たちが最初だぜ、
と自慢しているインタビュー(1980年代に一世を風靡した『USA LOVE MIRARGE アメリカ音楽地図』という、FM東京の番組内の、ダニー石尾による直撃取材)を聴いたことがあります。

***

「呪われた夜」 (のろわれたよる、原題: One of These Nights) は、1975年に発表されたイーグルスのアルバム第4作『呪われた夜』のタイトル曲。

作詞作曲はドン・ヘンリー、グレン・フライ。

イントロのベースとギター、ファンキーなリズムにアレンジしたのは、ドン・フェルダー。

リード・ボーカルはドン・ヘンリー。

1975年5月19日、シングルA面として発売された。B面はドン・フェルダーがリード・ボーカルをとる「ヴィジョンズ」。

「我が愛の至上」に続き、2作目の全米1位を獲得を果たした。

※※※

女性ロッカーの例を挙げてみると、

自由気ままにわがままに
今日の一枚
懐かしのシングル曲

『ママのファンキー・ロックン・ロール』
Your Mamma Won't Like Me

スージー・クアトロ
Suzi Quatro

1975年

1970年代初頭に、デイヴィッド・ボウイやTレックスに代表されるグラムロックに刺激されて、「キャン・ザ・キャン」や「ワイルド・ワン」などの女王様スタイルのサディスティック・ロックで人気を博した、スージー・クアトロ姐さんも、

1970年代後半に最盛期を迎えたディスコティック・サウンドには抗することができず、女王様ハードロックが飽きられてきたことに危機感を覚えて、完全にディスコティックサウンドを全面的に採り入れて、ロックシーンにおける生き残りを図りました。

アタイをアンタの家に
連れて行ってよ
ナナナナナナ
何故なら、
アンタのママは、
アタイのことが
気に食わないのよ

と、
曲の途中でシャウトする場面では、
何故か息も絶え絶えな
かすれ気味となっていて、
ちょっとイタい楽曲となって
しまいましたね^^;

※※※

ブリティッシュ・ハードロックの雄、ディープ・パープルも、世がディスコティックブーム最盛期となり、その風潮に嫌気が差したリッチー・ブラックモアが脱退した後の新ギタリストとして、

元、ジェームズ・ギャングにいた、初の米国人メンバーとなったトミー・ボーリン(Gt)が新たに加わり、

デイヴィッド・カヴァーデイル(Vo)、

グレン・ヒューズ(Base&Vo)、

という、元来からファンキー&ソウル好きが3人も集結して、最も黒かった時代の代表曲

「ユー・キープ・オン・ムービング」

世が世ならば、もっと高く評価されて然るべき音楽性があったとも思いますが、

Lyrics:

You keep on moving
Far away, far away
You keep on moving
Far away, far away
Everyday, wheels are turning
And the cry... still returning

Dawn will soon be breaking,
The day has just begun.
You put your arms around me
Like a circle 'round the sun.
Dance across the seasons
To a place that no one knows
Where angels fear to tread...

結局は、「ゲッティング・タイター」という、出だしのハードロックスタイルから、途中の間奏では、完全にディスコティック・スタイルに“変身”してしまう楽曲に象徴されるように、

もはやハードロックバンドとしての命脈が絶たれ、やがて解散の憂き目を見ることになりますね。

※※※

黒っぽさでは、日本人も負けていません。

世界的な視点で見れば、消極的で人見知りな日本人の中で、最もアメリカ人に近い感性=ファンキー≒ヤンキー的、すなわち、大阪のオバチャン的な性格を保持しているといわれている(笑)大阪人の矜持を示したファンキーバンドといえば、

トータス松本率いる
ウルフルズの
「大阪ストラット」

2012/05/21
ウルフルズ♪

ウルフルズ
- 大阪ストラット

大滝詠一「福生ストラット Part2」(アルバム『NIAGARA MOON』収録)のカバーである。

元歌の、大瀧詠一作詞作曲「福生ストラットPart2」

一方、ファンキーさで、

西のウルフルズに対抗できる唯一無二のバンドといえば、

東では、やっぱり
クレイジーケンバンドですね。

「タイガー&ドラゴン」

2024/03/01  
​​​クレイジーケンバンド  『タイガー&ドラゴン』

オリジナルバージョン
MUSIC VIDEO

2002年12月4日発売 マキシシシングル

https://www.crazykenband.com/posts/di...

7th アルバム「ソウルパンチ」収録

◯クレイジーケンバンド公式

http://www.crazykenband.com/​​​​​​​

#クレイジーケンバンド ​​​​​​​ 
#crazykenband ​​​​​​​ 
#横山剣

よくぞ、こんなにスゴくエロいプロモーション映像をリリースできたものです。

さすがは、任せて安心
クレイジー剣さん印の
賜物ですね。

※※※

和田アキ子「愛して」
(RCAレコード 現・Ariola Japan)

この曲を初めて聴いたのは、必殺シリーズの異色作、オカルトブームを反映した『翔べ!必殺うら殺し』のエンディングテーマソングとして流れた時で、

ドラマで、“若(わか)”という、男勝りの女性として出演した和田アキ子さんが歌った、非常にソウルフルな楽曲で、シビレましたね。

後年、作詞作曲は、まだメジャーになる前のハマショーこと浜田省吾とわかり、それも納得しましたね。

元々、和田アキ子さんは、デビュー当時、本格的なリズムアンドブルーズシンガーとしてデビューして、映画『野良猫ロック』シリーズにも出演して、劇中でソウルフルな英語の曲を歌ったりしたのですが、

https://youtu.be/mE_j8Wk2xkQ?si=VGreKiyWakdXuAUp

『女番長 野良猫ロック』1970年
監督:長谷部安春
出演:和田アキ子、他

まだまだ当時の日本ではそれを受け容れる土壌がなく、ヒットに恵まれませんでしたが、

バラエティ番組『うわさのチャンネル』のゴッド姉ちゃんとして人気を博すようになり、「笑って許して」がヒットしてから、ようやく人気に火が付きました。

その後は、「あの鐘を鳴らすのはあなた」で、ゴスペル調のソウルフルな歌唱でも知られるようになり、このようなスタイルの歌をオファーされるようになりましたね。

毎日放送系TVドラマ
『翔べ!必殺うらごろし』
のエンディングテーマソング 

作詞・作曲:浜田省吾、
編曲:井上鑑

1978年12月20日発売 32枚目のシングル「ひとり酔い」C/W

同じメロディで歌詞が異なる曲を、浜田が自身のオリジナル曲「愛を眠らせて」として歌唱している。

必殺シリーズで、レギュラー出演者が番組主題歌を歌ったのは和田が最初である。

レコード用のフルサイズは最後がフェードアウトするが、テレビサイズはフェードアウトせずに演奏が終わる形になっている。
通常はテレビサイズが使われ、最終話のみフルサイズが本編ラストシーンからエンディングにかけて使われた。

間奏のアルトサックスは、どう聴いてもデイヴィッド・サンボーンですね。

当時、野口五郎さんなど、洋楽に目敏いアーティストは、既に、自分のアルバムにサンボーンを起用していたので、この曲も、本物のサンボーンが使われていたかもしれませんね。

※※※

【番外編】
プリンスによる
「プレイ・ザット・ファンキー・ミュージック」

https://www.facebook.com/share/v/tjAjgyWfq3UrN9om/


※※※



黒っぽさも
いろんな
理由がありますが、

今日はこれくらいに
しといてやるぜ
 

https://www.facebook.com/share/p/TtncooPtmQqm9H71/


黒っぽいのがクセになる。 シリーズ 【ハードロック 冬の時代に 悪戦苦闘編】 黒人じゃないのに 黒っぽかったのは 何故? それぞれ、やはり 理由がありましたね。 *** Play That Funky Music by WILD...

Posted by 池淵竜太郎 Ryutaro Ikebuchi on Tuesday, September 17, 2024


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