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【映画感想】【ルックバック】黒歴史を思い出す。

スラマッパギ
マレーシア在住1年8ヶ月の駐在妻です。

今日はマレーシアの映画館で【ルックバック】を観てきました。

漫画の原作は読了済み。
展開がわかっている分、
観に行くのがちょっと気持ちが重い。絶対泣いちゃう。

原作を読んだ時は、
この作品はまるで一本の映画だと思った。
こうして実際映画になると、
原作の構成はそのままでも
映画としてとても自然に感じる一方で、
原作はやはり漫画の良さがあると思った。
藤本先生って漫画上手い〜!
と改めて感動した。
また、漫画をテーマとした物語であるゆえに
劇中劇というか、漫画中漫画という
入れ子構造がより世界観に入り込めて
良かった。
Sunway Velocity(ショッピングモール)の中の映画館。
「ルックバック」のチケットはRM22。

原作を読んだとき、私の脳内テーマソングは
Oasisの「Don’t look back in anger」だった。
劇場版のテーマソングとかになってたら激アツだな〜などと思っていたが、そんな事はなかった。

映画はとても良かった。
号泣して、隣に座っていたご友人を困惑させてしまった。

特に揺さぶられたのは主人公たちの地元の描写。
舞台は秋田県と思われるが、情景があまりにも我が地元山形と似ている。

田植えのトラクター、雪の日の長靴、蛍光灯みたいなのが3本ある電気ストーブ。
田んぼも無い、冬も雪もない常夏の国で過ごす身としては、まず郷愁で泣きそうになる。

作中で京本が入学した大学も、
山形にある「芸術工科大学」
という実際にある大学がモデルになっている。
これは原作者、藤本タツキ先生の母校でもある。
作中の大学の景観が実際の大学そっくりで、既視感が感情を刺激した。

そして、もう一つ主人公達への大きな共感ポイントがあった。
私は子供の頃から絵を描くのが好きだ。
アラサーになった今でも時々絵を描いている。

子どもの頃、少女漫画チックな絵を描いて見せつけると、滅多に褒めない母が私を褒めてくれたのが絵を描き始めたきっかけだった。

いちばん絵をよく描いていたのは中高生の思春期真っ盛り。
友達と絵や漫画、物語を描いて楽しんだ。
いわゆるオタクの黒歴史と呼ばれる時期である。


また、ルックバックの京本をみて1人の友人を思い出した。

京本とちょっと似てて
引っ込み思案でモゴモゴ喋る。
服装もダサく、コミュニケーションも苦手。

そして、思春期に一緒に黒歴史の創作を楽しんだ友人だった。


彼女は中学の同級生だった。

出席番号が私のひとつ前だったので、席が前後で隣になった。
彼女は休み時間などの暇な時、ずっと国語辞典を読んでいた。不思議な子だなと思った。

だんだんクラスの中でグループが出来て、私は彼女と同じオタクグループになった。
8人ほどのグループは仲が良く、メンバー内で交換日記を回した。
当時流行った「ひぐらし」や「ハルヒ」、「ニコニコ動画」のネタなど、思い思いにオタクのネタなどを描いていた。

彼女は物静かで聞き上手で、優しかった。
オタクジャンルの中では、特に「東方」が好きだった。

私は東方に詳しく無かったが、一緒に東方のキャラの絵を描いたりもした。

そして、彼女とはオタク趣味のウマが合ったのか、一緒にキャラを作って物語を考えたり、漫画や絵を描くようになった。

案外このオタクグループの縁は長く続き、何人かは去年の私の結婚式にも参列してくれた。
彼女は来なかったけれど。

また、メンバーのうち1人は今年出産した。
都合の合うメンバー3人で赤ちゃんを抱かせてもらいに行った。

中学の時は、このメンバーの誰かの赤ちゃんを抱っこするなんて考えなかったよね、と友人が運転する新車の中でしみじみ語り合った。

しかし、彼女とはもう長いこと連絡を取っていない。
彼女は今どこで何をしているのか、誰も知らない。


彼女は創作が好きだった。

確固たる自分の世界観を持っていて、特に文を書くのを好んでいた。
彼女の文には独特のテンポとセンスがあった。

彼女は絵も4コマ漫画も描いていたが、それは私の方が得意だった。
もちろん文は彼女の方が圧倒的に面白かった。

2人で作り始めた物語はどんどん大きくなり、設定資料を作ったり、ラストのセリフはこんな伏線回収にしようと話し合った。

彼女が作ったオリジナルキャラを私がイラストにしてくると、彼女は手放しで褒めてくれた。
自分の描いた絵を喜んでもらえるのは嬉しかった。

彼女は、私には到底思い付かないような意外性のあるストーリーを考えて文にしてくれた。
私もまた、彼女のストーリーにすごいすごいと興奮した。

創作の喜びと、それを共有する喜びだった。

彼女の家で2人で絵を描いていた時、
作家になりたいんだ、と彼女は言っていた。


彼女は面白い人だった。

オタクだけど走ると意外と早くて、体育祭では皆を驚かせた。

いつもモゴモゴ喋るけどカラオケだと腹から声を出すタイプだった。

筆圧が極端に弱くて、シャーペンで書いた字は指で擦ると消えた。

黒猫を飼っていて、名前は「ユートピア」から「ユト」と名付けていた。


高校はそれぞれ違う高校へ進んだ。

彼女は「家政科」という高卒すぐ就職しやすい学部のある高校に進み、私は県内では進学校と呼ばれる部類の学校へ進んだ。

私は高校でもオタク活動を楽しみたいと思い、漫画研究部に所属し、それなりに沢山絵を描いた。
絵は上手くなかったが、なぜか部長になってそれなりに活動した。

彼女は高校では文芸部に入り活動を楽しんでいた。
部名、いわゆるハンドルネームを決める時に、最初はゴリゴリの厨二ネームにしようとしたが、部活の人達から「もう少しリアルテイストにしてくれ」と言われ却下されてしまったらしい。
結果、普通っぽいけど読み方によっては「神の讃歌」となるようにした、と嬉々として語っていた。


別々の高校に進学した私達は、
毎週金曜日の放課後に、近所のスーパーのお菓子売り場で待ち合わせ、ちょっとしたお菓子を買ってイートインコーナーでオタク語りをした。

ある時彼女は
「自分が書いた俳句が、コンクールで話題になった」
と言って喜んでいた。
『時と共にくたびれる、合成皮革のスニーカー』
みたいな内容の俳句だったと思う。

「合成皮革」というワードがまずユニークでウケた。
色んな人が自分の意図とは違う、思いもよらない感想を持ってくれたのが嬉しかった。
と彼女は言っていた。

それを聞いて私は、
彼女の創作の目線は私よりずっと上にあるのだと思った。
私にとって嬉しい感想とは、自分の狙い通りの感想を貰えることだった。
彼女の方が創作を分かっている、と思った。


金曜日の放課後にスーパーのイートインコーナーで話してから、夜ご飯前には解散した。

彼女は母親を早くに亡くした父子家庭であり、彼女が食事を作っていた。

何度か彼女の家に遊びに行ったが、他に見たことがないほど汚かった。
大きなゴミ袋が何個も玄関やリビングに置かれていた。
ゴミ袋の中には納豆のパックが見えた。
猫のニオイがキツかった。

今だったら気にするが、当時はそこまで気にしなかった。

家の散らかり具合より、2人の物語を育てることが楽しくて大事だった。

彼女は身だしなみを整えることにも疎かった。
それゆえか、見ず知らずの男性から目をつけられて絡まれることもあった。

「前代未聞のブスって言われた。」
ある時、彼女はいきなり電車の中で知らない男性から突然囲まれ心無い言葉を吐きかけられた。
思春期の彼女は傷ついていた。

無論、人の外見に言及する事自体が最低の行為だが、
彼女は決してブスなんかじゃなかった。
輪郭のラインはシャープで、笑うと可愛くて八重歯があって、いつも俯いて猫背だけどスタイルだってよかった。

そんなこと言ってくるやつは最悪だ、あなたは悪くない、ブスじゃない、可愛い。
精一杯の言葉で知らぬ男を貶し、彼女を励ました。

自分がいくら励ましても彼女の傷が無になることはない、という無力感は感じた。
しかし、彼女が失った自信を取り戻して欲しくてとにかく励ました。

私もオシャレには疎いが、何かを変えたいと思って一緒に服を見に行ったり、アイプチを教えたりした。

彼女には、私にはない苦難があるんだ、
友人として役に立たなければと思った。

しかし、もともと人間不信気味だった彼女はどんどん他人との接触を怖がるようになっていった。


高校の途中くらいから、私は試験勉強や受験勉強で忙しくなり、彼女と会う機会が減った。

そしてこの時期から、自分と彼女の違いに嫌気がさすようになってしまった。

彼女は心霊的なものをとても信じており、むしろ現実の方がフェイクであるとすら考えていた。

彼女は自分には特別な霊力があり、その証拠に、
憎かった担任の先生に呪いのまじないをかけたところ、本当に怪我をした。
よって、自分の力が本物であると確信した。
などと話していた。

一方で私は心霊的なものを心底嫌っていた。
心霊的なものを信じたり崇めることをバカのすることとし、心底嫌っていた。
母親が元来スピリチュアル趣味があり、長いこと霊感商法に金を溶かしていた為である。

私が高校生になり、色々なことに物心がついてからは母が良いカモにされている事実に嫌気がさした。
そして「霊力」とはなんたるかを語り、人の弱みに漬け込んで霊感商法で人を騙す詐欺師達を激しく憎悪していた。


私が大学受験をする頃、彼女は高卒で就活をしていた。
この頃から彼女とあまり関わらなくなった。
あまり近況を知らなくなってゆく。

彼女は神社の巫女になろうと面接を受けたらしいが、受からなかったようだ。

私が1年浪人して、大学生になった時、ほとんど連絡を取らなくなった。
私は地元を離れていたし、大学に慣れるのに精一杯だった。

彼女は高校を卒業後ずっと家に引きこもっていたようだ。
でも、文を書いたり物語を作ることは続けていたらしい。

彼女はTRPGのシナリオなどを作っていた。
中学の時の友達のグループLINEにはかなりの頻度でTRPGのお誘いが来た。


私が大学生の時、中学の友達メンツで一度飲み会をした。
久々に会った彼女はまるで容姿が変わっていた。

太っていて、服もシワシワで、清潔感がなかった。社会性が感じられ無かった。

かなり戸惑ったが、話せば彼女は彼女のままだった。
彼女が口を開くと歯の根元に溜まった大量の歯石が見え、その光景が脳裏に焼き付いた。


しばらくして、彼女から
「入院する」とグループLINEがあった。
病名は明らかにしてなかったが、聞いてはいけない雰囲気があった。

皆彼女を心配したし、退院の報告と共にTRPGのお誘いがあった時にはホッとした。

しかしLINEを見て
「自分の中学からの友達が、今後どうなってしまうのだろう」
と、心がザワザワした。

親しい仲であった分、彼女が私の理解の及ばない場所に行ってしまっているようで、
ともすれば私もその場所に引き寄せられるようで恐ろしかった。

私は彼女の連絡を疎ましく思うようになり、TRPGのお誘いも忙しさを理由に断るようになった。

私は大学を卒業し、地元を離れ関東で就職した。

中学の同級生と会うのは2-3年に一度になった。

絵を描かなくなり、週末に美術館で絵画を鑑賞するのみになった。

時折、「東方」のコンテンツが目に入ると彼女を思い出した。


しばらくして中学の同級生のLINEグループで、友人の1人が彼女に呼びかけた。

「彼女の実家が火事になったと新聞で報じられていたのを見たが、無事なのか。」
と問いかけるものだった。
彼女からの返事は無かった。

皆が彼女の安否を心配した。

その後、友人の1人が実際に実家に訪れた。
しかしもうそこには彼女の実家である一軒家は無く、新しいマンションが建っていたらしい。

彼女がどうしているか心配だ、誰か連絡を取っていないか、と友人は皆に聞いた。
誰も、彼女と連絡を取っていないし、彼女が無事かも分からなかった。

彼女がどうしているのか、今もわからない。

facebookも、LINEも何も動きがない。

どこにいるのかも分からない。
変わらず地元で暮らしてくれていたらと思うが、本当にわからない。

時々ネットで名前を検索する。
でも何もヒットしない。

ルックバックを観た後も検索した。
ヒットしない。


私は彼女に対して罪悪感を覚えている。

こんな事なら、高校生のとき、大学生のとき、私はもっと彼女に対してやるべきことがあったのではないか、
そして
自分はやってはいけないことをやったのではないかと考えては恐ろしくなる。

彼女の心霊の話がイヤで、大学生になってからというもの、彼女から連絡が来てもうやむやにして距離を置いていた。

当時の私にとってはそうするしかなかったが、
彼女からすると仲の良い友達から邪険にされて、裏切られたような気持ちになったのではと思う。

彼女はきっと私を恨んでいる。
私はそう思っている。

真に彼女を思いやれたなら、こんなことしなかったはずだ。
彼女の苦難を知りつつ、自分は距離を置いて自分を守ることしか考えられなかった。


ルックバックの作中で、
「漫画は描くのは面倒。
なのに、どうして漫画を描く?」
という問いがあった。

明確な問いの答えは無いものの、そこで藤野と京本の漫画を描く日々の様子が振り返られる。

なぜ2人は漫画を描き続けたのか?

漫画が好きだから?
日々の生活を忘れ没頭させてくれるから?
自分には漫画しかないから?
褒めて欲しいから?
創作の喜びを共有できる友がいるから?

なぜだろう?


私と彼女は
2人で長い時間をかけて物語を描き広げた。

何のためでもない、オタクのありふれた黒歴史の物語だった。

彼女が文を、私が絵を。
あんなに熱心に描いていたのはなぜだったのだろう。


彼女の音信が途絶えてからしばらくして
私は結婚し、夫の仕事の都合でマレーシアに駐在することになり、仕事を辞め専業主婦になった。  

嫌々マレーシアに来た時、私は夫に
「暇な時間に漫画を描きたいからiPadとアップルペンシルを買ってくれ」
と頼んだ。
十何万もするシロモノだ。

今も時々マレーシアの日々を漫画に描いている。

私の漫画は別に上手くもないし、読んでも面白く無いし、誰からも評価されない。
でもそれで良い。

漫画を描くと疲れる。
時間はかかるしめんどくさいし、肩は凝るし、眼精疲労で頭も痛くなる。

でもなんだか描いてしまう。

異国の地の暮らしに疲れた時、漫画を描くと自分の時間を取り戻せているような気持ちになる。

でも
なんで絵を描いているのか、
なぜ絵を描くのが好きか、分からない。


自分が描いた漫画を、
面白くも無いのに何度も読み返してしまう。

むしろ、読み返すとき初めて楽しい。

このテーマは良かった、このセリフは蛇足だ、などと自己批評する。

読み返すと、下手すぎて本当に恥ずかしい漫画も多い。

でもその恥ずかしさを、
「今の自分はこの漫画を描いた時の自分より成長している、だから欠点が目に付くのだ」
と言い聞かせる。

そして漫画を振り返った時、
「次はもっと上手く描ける」と思い、次の漫画のテーマを考える。

自分の創作を振り返ることで、少なくとも自分はその時よりも前に進んでいるのだと思える。


最後のシーンで、
藤野が京本の死後も漫画を描き続ける後ろ姿が映される。
あのシーンで救われる。
あのシーンがなかったら完全なバッドエンドだ。

藤野が漫画を描き続け、前へも進み続けてくれたから、私は物語を振り返り、展開を受け止めることができた。

京本の死後の展開は、大学で習った
「キューブラー=ロスによる死の受容過程」
を想起させた。

これはキューブラー=ロス氏が唱えた理論で、死期を目前とした人が経験する5つの感情的段階である。

・否認
・怒り
・取り引き
・抑うつ
・受容

一般にこの5段階を一通り経験し、人は死を受容してゆく。という理論だ。

藤野は事件のニュースを見て、まず京本に電話を掛けた。
京本は無事だ、生きているはずだ、と死を否定したかった。
これは『否認』。

京本の死後、藤野は京本の自室の前で絶望し、喪服姿で膝から崩れ落ちた。
これは『抑うつ』。

そして
「私が京本を連れ出したから死んだんだ、
私のせいで死んだんだ」
と自分を責めた。
これは自分に対する『怒り』。

そして、藤野は京本が死なずに済んだ世界線を夢想する。
2人が小学生の時出会わず、その後大学生で合流し、一緒に漫画を描くという世界線である。
この世界線なら、悲願である2人で一緒に漫画を描ける、しかも京本も死なずに済む。

しかし、この世界線には小中高、2人のきらめく創作の時間は無い。
つまりこれは『取り引き』。
かけがえのない2人の青春の時を天に返すから、それと引き換えに京本の命を返してくださいと懇願している。

そしてラストシーンで藤野は京本の死を受容し、また漫画を描く日々に戻る。

漫画を描いているからと言って京本の死を完全に受容出来たと言うわけではないが、受容出来てなかったら漫画は書けないだろう。


あの時に戻れたら、あの時こうだったら。
人生には振り返ることばかりだ。

過去に対して怒りを覚える時もあれば、
きらめく思い出を振り返った時、それが自分の財産であると認識させられる時もある。

彼女との創作の日々はオタクの黒歴史であり、同時に罪悪感と後悔の残る思い出でもある。
でもそれが私の財産でもある。

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