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「パパ、明日も生きてる?」
最近、息子は犬を飼いたがっています。
先日もテレビ に犬が出てくると、「わんちゃん、可愛い!」「わんちゃん、欲しい!」と言っていたので
「じいじとばあばの家にもわんちゃん居たんだよ!」と昔、飼っていた愛犬の写真を見せました。
そしたら、「僕、行った時いなかった!なでなでしたかった!」と怒り口調の息子
「笑夢(息子)が生まれる前に死んじゃったんだよ。その時じいじとばあばがとっても悲しかったんだよ。でもね、その後笑夢がママのお腹の中に来てくれたから、じいじとばあばが元気になったんだよ!笑夢、ありがとうね!」と伝えたのです。
「どうして死んじゃったの?」
「歳をとったからね。一生懸命生きてくれたんだけど死んじゃったんだ。」
「どうして歳をとると死んじゃうの?」
「誰でもいつかは死んじゃうんだよ!ずーっとは生きられないんだ。だから生きている間を大切にしていこうね!」
すると息子が泣き出したのです。
「みんなずっと生きてたらいいのに…そしたらいつでも会えるのに…パパもママも死んじゃうの?そしたら僕ひとりになっちゃう…死んだらどうなるの?」
「どこに行っちゃうのかな?見えなくなっちゃうからね!でもね、もしパパがいなくなって見えなくなっても、笑夢の側にいて笑夢を守るからね!覚えておいて!パパはいつでも笑夢の側にいるよ!」
「パパ、明日も生きてる?」
息子のまっすぐな思いを受けて涙が溢れてきました。
「まだまだ元気に生きてるよ!明日は何して遊ぶ?」
それからしばらくの間、息子を抱きしめて二人で泣きました。
ゲームなどで「死ぬ」という言葉は、子どもたちの中でも使われていることを耳にしていました。
その都度「死ぬって言われるとパパ悲しいよ!倒された!とかやられた!って言ってね。」と伝えていました。
まだまだ小さな子供です。
言葉の意味を深く理解せずに使っていることはわかっていました。
でも、今回「死」についての意味を想像する機会になったのです。
僕自身、誰にも平等に死は訪れることは理解はしているつもりです。
望みはしませんが、その日がいつ来ても受け入れられる生き方をしようと心がけています。
なんというか…どこかで死ぬことを受け入れている自分がいました。
でも、息子の立場になってみたら生にしがみついてでも生きていくことの大切さを考えさせられました。
息子が生まれて間もない時に病気が見つかった母が言ってくれた言葉を思い出します。
「大丈夫だよ!笑夢が二十歳になるまでは頑張るから!」
当時、73歳の母
あれから6年、大病を乗り越えて母も必死で生きてくれています。
大切な人のために生きていることも「愛」なのだと感じます。
僕も大切な家族や仲間の事を思いながら精一杯生き続けていきます。
あなたが誰かの事を思い生きる今日は確かな愛です。
今日も自分を愛してください!
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