『福島見聞録』③ー小名浜編
昼すぎに目が覚めた。
酒の酔いと憂うつな気持ちが混ざった状態で。旅行前から行きたいと思っていた小名浜に行くと決めていたので、高揚してもいた。
分かる人にはどういった街なのか、すぐイメージが湧くだろう。いわき市内でアンダーグラウンドな地域だ。なぜあえてそうしたところに行くのか?
一人旅をする時にその土地の、暗い面も目に焼きつけておきたいからだ。
いわき市の駅周辺は、繁華街だ。「キレイ」なのだ。だが、表だけの旅はどこか、味気がない。
どうしても「裏道」に行きたくなってしまう。これは衝動的による行動なので、明確な説明はできない。
小名浜に向かう途中、バスから街並みを眺めていた。現地の方がたには大変失礼だが、特に何もなく、静まりかえっている。
もともとなのだろうか?それとも震災があってからそうなったのだろうか?
そんな思いがよぎりながら、気づいたら小名浜に到着した。何分だったろうか――30分ほどかもしれないし、60分ほどかもしれない。
時間の感覚がまひしてしまうのは、一人旅のいいところだ。スケジュールはない。思いに駆られて行動すれば満足できる。
時間に追われて生活する毎日から解放された気分。
着いた時、あたりを見渡しても、観光スポットはもとより、喫茶店もなく、どうしたらいいのか、分からなくなった。小さい時に迷子になった気分だ。
とにかくあてもなく、歩いた。目的地が小名浜なだけで、小名浜の「どこ」に行くかは、いっさい決めていなかった。
小名浜港へと進むと、商業施設のマリンパークが目に入った。「あそこへ行けば何かが分かる」と、前向きな思いで、歩を進めた。
がく然としたことを鮮明に記憶している。というのも、休日なのにもかかわらず、マリンパークの駐車場には、乗用車が3〜5台程度しか停(と)まっていない。
ましてや館内にはぼくをふくめて、3〜4人ほどしか、客はいなかった。
「まさか、そんなハズはない!!!」と叫びたくなった。客数の少ないショッピングモールで、昔はにぎわっていたと思われる、魚業の館内市場がある。
魚師は大声を張っていたが、その声は館内に、寂しくこだましていた。声量に反して、館内は孤独だ。
ひとまず館内を移動する。
上階に行くと、震災の「メモリアルルーム」のようなコーナーがあった。中に入ると、小学生が書いたとみられる、復興を願う習字作品が展示されている。「頑張ろう」「あきらめない」など。
見ていくうちに、違和感を抱いた。「福島県」という言葉が書かれていない。消えているのだ。
それを見、心の奥底で、悲しさを感じた。当時は「頑張ろう、福島」「頑張ろう、東北」といった応援のメッセージを関東圏ではよく目にした。福島県民に努力を、いっそうの努力を強いているのだろうか?
主語を「福島」にしているのは一都三県の人びとで、奢っていはしないのだろうか。関東圏と「現地」の温度差がじかに伝わってきた。
レストランにでも寄ろうとしたが、なかなか開いている店がない。かろうじて2軒のレストランが営業していた。
両方とも、店主か社員が声を張って、「ご来店ください」と言っている。
ぼくが入店したのは、魚類を中心とした料理を提供するレストランだ。店主は50代といったところで、夫婦経営をしているとのことだった。
接客慣れしているからなのか、嗅覚は鋭い。ぼくが関東圏の者だと瞬時に分かったようだ。
「今日初めてのお客さんです。ありがとうございます」と笑みを浮かべていた。食事より店主との会話に夢中だった。風評被害についても語ってくれた。
「ぼくたちの努力不足でもあります。誤解を解くのも仕事だと、『あの時』を境に気づきました」
ーー過度な責任を押しつける、社会の圧は容赦ない。
「恵まれているほうです、まだ。テナント代が払えず、行き先が不明になった同業者もいますし」といった具合に、暗い雰囲気になってしまった。
話題を変えようと気持ちが焦った。
観光地はどこか尋ねたら「あの桟橋(さんばし)ですかね。昔はよく船が着離港していたもので、迫力はありました」と、店主。続けて、
「当時、津波はこの建物(3階)の窓を割りました。それだけの勢いがあった、ということで、まあ、驚きましたよ」
笑顔を崩すことなく、凄惨な日の出来ごとを語る店主には、どこか、震災後のかなしみを背負っているように映った。返す言葉が見当たらない。
この切なさをどう受け止めるんだ?会話をすると「あの日」の話が尾を引いている。それにうまく応じられるのか?と、内省していた。
だからといって、好転させられるほどの力もない。
受け止めがたい現実に向き合うと、無力なのだ。
店を後にし、桟橋の輝きを待つことにした。それにしても喫茶店もないし、困ったものだ。小名浜港は海に面しているだけあって、風が寒い。
マリンパークの外のベンチで『路上』の原書を読んでいた。主人公の友人、ディーン・モリアーティが、放浪生活を送り、散々なムチャをする。その代償が自分にはね返ってくる。だんだんと狂ってゆくところだった。
そこまで読み進めたころには、もう夕方を過ぎていた。小名浜港は確かに明るく、イルミネーションに照らされているわけでもないのに、輝いている。
写真に収めてマリンパークを去り、カプセルホテルに戻ることにした。
小名浜といえば、だ。
分かる人はもう勘づいているかもしれない。水商売で有名な地域でもある。別にそうした店に行くのが目的で来たわけではない。
とある歌手の、「小名浜」という曲が好きで来た。理由はいたくシンプルなのだ。
夜になると昼どきに気づかなかった光景が目に入った。通りにスナックが並んでいる。
夜6時くらいだった。この時間帯になれば開店するのだろう、と思っていたが、店のネオンは消えたままで、孤独な海風が吹いていた。
きっと、昔はこうした店は繁盛していて、活気に満ちていたのだろう。
だが今は…と、思いを巡らせていると、一人の女性が寒い中立っていた。
呼び込み、あるいはキャッチだ。「お兄さん」と声をかけられた。適当にあしらうか迷ったが、少し話でもしようと思った。
「寒いでしょ?口に合うならコーヒーでも」と渡したら、素直に喜んでくれた。
「もうね〜。何時間も経ってもお客さんは来ないし、人も通らないんですよ」
「意外。ここはにぎわっているかと」
「『水』系はいわき市の繁華街に集中している『らしいよ』
「らしい?」。
何かがヘンだ。
話を聞いていくと、かのじょは東京から小名浜のほうにやってきたそうだ。
原発事故後、関東の「組織」が除染作業や復興事業にあやかった。一大ビジネスだったのだ。
必然的に関東圏から福島に人が流れる。
「水商売」も関東圏の勢力の「もうけ」にもなったとのことだった。「原発(裏)ビジネス」とも呼ばれている。
利便性から、関東圏の人間たちが、福島県の地政図を変えていったのでは?関東圏の人間を嫌悪する、福島の地元民もいるようだった。
かのじょは今、何をしているのだろうか?
あの旅行から数年経った今も、「小名浜」を聴くと、かのじょのことが頭によぎる。