食べることの本当の意味を感じる
こんにちは、なよびかプロジェクトスタッフのまどかです
今日も感じたままに連ねていこうと思います✨
昨夜、平清盛のことを調べていて「平家物語」や「源氏物語」を改めて読んで琵琶を聴いたりしていました。
そして朝に瞑想をするのですが、その時に入ってきたイメージのままに最近は動くようにしています。
それは直感力を鍛える必要性が私の仕事にはとても必要なので今までは「していた」のですが、最近は不思議なことが思い浮かびます。
これは私が思いもしないことに出会うことになるので、自分の意識を超えているのだとはわかります。
そして今日は、朝からオペラを聞いた方がいいのだと感じて聞きながら朝ルーティンをしている時に
「食べること」の本当の意味はこういうことなんではないかと私の中で感じたのでシェアします。
先日、青山学院大学の福岡教授(生物学者)のお話で「動的平衡」ということを知ったのですが、それを本当に思考ではなく感覚的に解せたと思いました。
私たちは食べたものでできているとはよく聞きますが、これは健康になるということの意味を超えて「自然とつながる」ということです。
分子レベルでの科学的なお話はさておき、中に入ったものが自然との調和になってくる、つまり食物も香りも塩で浄化やお清めと言われるあらゆる行為も、それは自然を取り入れていくことで一体になると必要なものがわかる、それが健康という表現で表されるからです(表現がしにくいです)
そして我が家にはワンコがいるのですが、動物たちは完全にわかっていると思います。(なのに人間は感情複雑化して思考してしまっているのでわからなくなっている?)
それはマーキングの行為や糞などでも、動物は汚いと思っていないから触っても食べても舐めても何とも思っていない。(ちなみに縄張りというよりはお清めに近い行為なのかなとも最近思います)
自分の中から出たものも、つまり外も内もないのではないかということです
ここの部分だけを取り上げると、大変宗教的になるのですが
とても大事なことは
「自然と一体になっていく行為こそ生命であり、そのことが死への恐怖や何もかもの恐怖心や不安を和らげてくれて自分に必要なことがわかる」ということです
そう思うと自然にあることやものは全て、自分なのだとわかります。
生かされているということを伝えていた時期もあるのですが、共に過ごしているという流れている感覚なのですね。
何が流れているのか?
それを時間と捉えているのかもしれません。
ただ時計を見て進んでいるというのではなく、流れの中に進みを感じていくこと。
そしてその流れの中で合流していくことの素晴らしさ。
それが人間関係や出会っていく食べ物なども一緒なのです。
取り入れていくという感覚ではなく、流れていくという感じはどうしていくと伝わるのか私も流れの中でもっと感じていきたいと思います。
よくわからんな?というお話でしょうが、もし何かを感じていただいた方は、きっと不思議な体験を色々な場所でなさっていると思います。
ぜひ合流させてください✨
今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。
ちなみにオペラにはすごく清らかにしてくれる何かがあることがわかりました(このお話はここではあまりにスピリチュアルと言われそうなので控えておきます・・・^^;マリア・カラスの「椿姫」だったということが後から調べてわかりましたが、知らないのになぜ出てくるのかが不思議です・・・)