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ピアノの手放しは、自己責めの手放しだった

保育士なのに、ピアノが弾けない自分が恥ずかしかった。

子供の頃、ピアノの練習が嫌で、毎週、先生の前で気まずい思いをした。

だから、大人になった私は、去年、ピアノを買ったのだ。

ピアノが弾けるようになったら、いいな、と思った。

ピアノを弾けるようにならないといけない、と思った。

ピアノが弾けるようになったら、自分に自信を持てるようになるんじゃないか、と思い込んだ。


きっと、素敵な先生になれる。

恥ずかしくない自分になれる。

頑張れば、過去の怠けていた自分を消せる。

心の下では、そんな風に思っていた。


もうちょっと、心の下の下をのぞくと、

自分に自信がなくて、自分のことが好きじゃない。

お前は、いつまでたっても、だらしない怠け者だ。

そんな気持ちがドロドロと黒く私を責めていた。


だから、ピアノに希望を託した。

苦手なピアノに、あえて挑戦する自分を、まず褒めたりもした。

でもね、弾けなかったよ。

3回くらいは、重い腰を上げて弾いてみた。

指を動かしながら、弾きたくない気持ちが止まらない。

だって、私にとって、ピアノの練習は、苦しいんだもの。

自分に自信をもつために、やりたくないことを頑張ってやる。

こんなに苦しいのに。


もう、頑張らなくていい。

やりたくないこと、無理してやらなくていい。

罪悪感は、持っていていい。

私は、この世に存在していていい。

誰かに認められなくていい。

お母さんのこと、嫌いに思ってもいい。

お母さんのこと、本当は大好きだって、甘えたくなってもいい。

大人でも、ワンワン泣いてもいい。


片付けがすすんだ後も、ピアノを手放せなかったのは、

「また、辞めるの?もっとガンバレよ。さもなくば、お前は一生、ダメな奴だ。」

そんな自己責めの言葉を、ずっと聞いていたからだ。

私が脳内で、自分に言っていた言葉。


もうね、これ、要らないんだ。

自分を責めること。

歪んだ思考は、気づいて、修正していくよ。


自己責めを手放す、と決意したその日、

数日前に取った見積もり査定は、2000円だったけど、

2回目の査定では13000円です、という結果になった。


何かを手放すと、何かが入ってくる。

本当にあるんだ。


物の片付けは、心の何かを片付けてくれる。

全て物よ、ありがとう。合掌。




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