40代正社員ワーママ退職⑧有給休暇1週間、休めない自分
引継ぎとメールでのあいさつが終わり、わたしは約2週間の年次休暇に入りました。
一般的な流れでは、最終出社日⇒年次休暇⇒そのまま退職となるのかもしれません。
わたしの場合、周囲からのご要望もあり、いったん引継ぎが終了したら年次休暇を約2週間取得し、その後、3月末に2日間出社してあいさつしてから退職することにしました。
前回までのお話はこちらをどうぞ
有給休暇1週間目にしたこと
わたしは二人の子どもがいて、春休み前には時間短縮授業となります。夫は多忙。自分が休みだからと言って子どもを置いて、ひとり旅に行くわけにもいきませんでした。
そして、4月以降、フリーランスになるため、収入が不安定になることがわかっているため、散財する気も起きませんでした。
「自分にご褒美をあげよう!」という気にならず、何も予定が決まらないまま休みに入りました。
有給休暇一週間でしたことを挙げてみます。
友人に会いに行く
学生時代の友人に、「久しぶりに会えないか」と声をかけました。「うん、どこで会う?」とフットワークの軽い返事がすぐに返ってきました。
前に会ったのはコロナ前。いつの間にか、彼女はとある会社の役員となっていました。彼女は前を向いて、自分の力で会社を動かしていました。経営者側からのお話は貴重で面白く、しばし自分が会社員であることを忘れられました。
彼女は前向きになれることばをたくさんかけてくれました。
「お疲れさまでした」
「18年間がんばったんだから、これでよかったんだよ」
「あのさ、今、この事業で人が足りてないんだけど、次が決まってないならうちで働ない?丸の内なんだけどさ…。得意分野はなに?」「もしえいこが仕事を選ばないのであれば、お願いしたい」
最初に彼女に会いに行ってよかった、と心底思いました。
韓国語の勉強を始める
実は、前々から韓国語を学びたいと思っていました。でもなかなか状況が許しませんでした。
多くの方がそうであるように、まず勉強すべきなのは英語だったからです。
日系企業グローバル部門に勤めているわたしにとっての英語は、必須ツール。半ば強制的に、そして実力が落ちないようにメール講座を続けていました。といっても長年続けていても大して上達を感じられず、英語そのものにも飽きていました。
そこで、一念発起して5年前に中国語を学びはじめました。
中国語は日本人であることを最大限生かすことができる外国語の一つです。発音さえできるようになれば、HSKだって会話だって、スルスルっと上達していきました。中国語はわたしの世界を広げてくれました。そのおかげで、中国語の仕事のチャンスも与えてもらいました。
有給休暇に入って時間ができ、ふと、中国語を学び始めるとき、韓国語と中国語どちらにするか迷ったことを思い出しました。当時は、会社で中国事業が拡大していたので、韓国語と中国語と迷い、中国語を選択したのですが、会社にも縛られなくなった今、韓国語にもチャレンジしてみよう!と思い立ちました。
全く初めてのハングル。丸と棒と四角にしか見えなかったハングルが、文字に見えるようになりました。
中国語と韓国語と日本語のいとこのような関係も感じることができ、韓国語にはまっていきました。
中国語の鼻母音は二つあるが、韓国語にはもっとたくさんある
韓国語にも日本語にも漢字をもとにした単語が多い
韓国語の動詞は日本語と同じく活用がある
韓国語の発音に英語と同じく発音変化がある
韓国語の語順は日本語とほぼ同じ
毎日が発見に満ちていて、韓国語学習に飽きることはありませんでした。
「平家物語」を見る
平家物語と言えば、「諸行無常の理」ですね。高校時代、冒頭だけ暗記しましたし、子どもたちも小学校で教科書で学びました。でも、なんとなく「悲しい物語」としか知りませんでした。
昨年、NHK大河ドラマで「鎌倉殿の13人」を見ていたとき、平家側から見た源氏と歴史がどのようなもののか気になったことを思い出しました。
歴史は勝者が残すものと言われています。「鎌倉殿の13人」は、勝者側の源氏や北条氏をもとに脚本が書かれています。それも面白かったけど、敗者側の平家から描いた景色を知れば、もっと歴史が理解できると思ったのです。
平家物語はあまりに悲しく、あまりにつらい出来事も含まれています。一方、軍記物ですから、創作も含まれています。琵琶法師が語り継いでいった音や文字に想いを馳せながら平家物語を見るのは、会社という組織を去る自分の無常観と重なり合い、何とも言えない気持ちになりました。
スーパー銭湯に行く
デスクワークも15年を超え、ひどい肩こりと首こりに悩まされていました。毎日ヨガはしていましたが、ほんの少し楽になるだけで、日々たまっていく凝りや疲れは取れませんでした。
スーパー銭湯の回数を買って通うことにしました。スパやマッサージよりも格段に安いです。それに、自転車で片道20分、往復40分。家にこもっているより、各段に健康的だと思いました。
毎日、薬草風呂に入り、ジェットバスでマッサージし、畳の部屋で音楽を聴いて寝て、ひたすら体と心を休めました。薬草の香りで気持ちよくなってそのまま寝てしまい、お掃除の方に話しかけられることもありました。よほど疲れがたまっていたのだと思います。
平日の昼間、スーパー銭湯に来ているのはおばあちゃんとおじいちゃんだけではありませんでした。親子連れやカップル、スーツ姿の会社員の方もいらっしゃいました。人それぞれに、この場を楽しんでいるんだな、と感じました。
両親に退職を伝える
これまで両親に会社を辞めることは言っていませんでした。
会社員となり、役員まで上り詰めた父親。
パートから正社員の座をゲットして今も現役の母親。
就職が決まったときに大喜びしてくれたことを思い出すと、なかなか言えませんでした。
それに「もったいない」
「どうして辞めたの」
そういわれると思って、怖かったのです。
でも、実際は拍子抜けのメッセージと誕生日プレゼント(なぜかぬいぐるみ)が届きました。
「お疲れ様でした」
義母に退職を伝えたところ、喜んでくれました。
「えいこちゃん、今まで頑張りすぎたのよ。やせちゃったんじゃない?今度買い物か食事に行こうね」「これからは自分のために時間を使ってもいいんじゃないかしら」
温かさに涙が出ました。
そして、わたしの誕生日にケーキとイチゴを届けてくれたのでした。
休暇1週間目に気が付いたこと
「休む」ことができない
せっかくの有給休暇。好きなことをすればいいじゃない、休めばいいじゃない、といっても、予定がないことに罪悪感に襲われました。必要もないのに会社支給スマホを見てしまったり、無理やり銀行に行く用事を作ってみたり、何か予定を埋めようとしている自分がいました。
まるで、適応障害で休職し、何も仕事ができないと壁に向かって泣いていたかつての自分や、一人目の産前休暇の時に手持無沙汰になった過去の自分と同じでした。わたしは何もしていないことに対する罪悪感は消えなかったのです。
好きなことしかできない
休みに入ったら起業準備しよう!と思っても、なんだか心がざわついてできませんでした。
宙ぶらりんの気持ちで起業準備をするより、今、会社員の立場でできることをしようと決めました。今までできなかった平日に人に会うことや、語学学習、疲れを取ることに集中することにしました。
ただただ時間は過ぎていく
ついつい会社のスマホを見てしまったり、ツイッターをだらだら見たり、引継ぎできなかったことを思い出して悔んだりすることもありました。でもお休み中、会社のみなさまに連絡してしまうと迷惑になります。
なんだかもやもやしているうちに1週間が経ってしまいました。
わたしは確かにここにいる
子どもを塾に送り、買い物途中にふとスマホを見ると、上司からLINEが入っていました。
「お休み中失礼します。次の出社について相談があります」
頭がぐるぐると周り始めましたが、「役員の方からのご連絡であれば、出社いたします」と返信したところ、すぐに電話がかかってきました。
次に続く
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