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リュック・ベッソンの新作映画『DOGMAN』を観る

ガーディアン「今年中、いや今までにも見たことのないようなおかしい映画だ」

テレグラフ「あまりのひどさに信じられないと吠えた」

バラエティ「この映画がヴェネチアでプレミア上映されたことが不可解」

大作SF『ヴァレリアン 千の惑星の救世主』の大爆死、性的暴行の告発を受けるスキャンダル……。ネガティブな意味での注目度が高まった状況とはいえ、“恐るべき子供”リュック・ベッソンの新作にはひどく辛辣な評価が寄せられた。

さりとて、それほど変わった映画であれば、むしろ見てみたくなるのが人の性。いったいどんな仕上がりだったのか。

ダグラス・マンロー(ランドリー・ジョーンズ)が、血に塗れたマリリン・モンローの仮装で車の運転席に座すシーンから映画は始まる。どうやら彼はなにかの罪を犯したらしく収監され、精神科医のエブリン(ジョジョ・T・ギブス)から護送先を精神障害者向けの施設にするかどうか決めるための尋問を受けている。

この刑務所での取調べから、ダグラスの数十年におよぶ過去がフレームストーリーとして明かされながら描かれていくというのが『DOGMAN』の大枠だ。

犬小屋で育てられ暴力が全てだった少年時代。 犬たちの愛に何度も助けられてきた男は、 絶望的な人生を受け入れて生きていくため、犯罪に手を染めてゆくが、“死刑執行人”と呼ばれるギャングに目を付けられーー

枠物語のそれぞれは、あるときは家庭内虐待スリラー、あるときは甘ったるいメロドラマ、あるときは『ホームアローン』を薄味にしたアクション……という様相で、語り口がコロコロと変わる=「パルプもの」であることを意図的に打ち出す格好になっている。

それぞれの枠物語を貫通するのは、「神の遣い」による救済であり、それが映画のテーマを決定づけるラストシーンへと繋がる。

のだが、ーー寓話だからこその飛躍的設定は受け入れられてもーー映画内の細々が「いったいなんで?」の連続で形作られており、俺は置いてけぼりをくらった。

例えば、「過去の自分を忘れられる」からという変身願望でクィアなイメージを持ち込むのも、ダグラスが異性愛者である以上、アイキャンディ以外の意味を持っていない。女装させる意味は果たしてなぜなのか。

さらに、ダグラスが変身の対象としてアイコンに選ぶエディット・ピアフ、マレーネ・ディートリッヒ、マリリン・モンローというモデルも、なんら彼の内面性や映画の構造に関係しておらず、ただ起用されているだけに過ぎない。さすがにそこまでではないだろうが、「ま、この辺の人を出しておけばいい感じになるっしょ」レベルのチョイスに思えてもしまう。

また、(これは俺が野球好きであることからくるケッテンクラート症候群に違いない言いがかりだが)舞台はi-modeが普及したての頃の携帯電話が使用されている時代にもかかわらず、新井貴浩が25番を背負っていた時期の阪神タイガースのユニフォームを着た登場人物が劇中で二度も映る。いったいどういうことなのか。

そんな混乱が「ああ、それを(も)描かないで、それを描くのか」という意味で、落胆へと変わったのが映画の終盤のシークエンスだ。

ダグラスの元に、ラマルティーヌの詩
〈"Wherever there is an unfortunate, God sends a dog"ーー不幸な者がいるところには、神が犬を送る〉の通り、犬が天使のように寄ってくる。磔刑というわかりやすいモチーフも盛り込み、彼の死が示唆される。そのとき、精神科医のエブリンに「同じものを持っている」と語っていたダグラスは、彼女の家へ犬を送っていた。要は、白人男性から黒人女性へ神たる力を譲渡する格好だ。そして映画は幕を閉じる。

神を都合よく利用してきた白人男性社会の過ちを批判し、翻っては神の力を正しく扱う資格は黒人女性に(も)ある、というフェミニズム的な見立てを持ち込んでいて、この構造自体は“現代的な”巧みさがある。

が、いかんせん、リュック・ベッソン。彼女がその後どうしたのかについては一切描かない。解釈の余地を残してくれたのかもしれないが、エブリンが元夫にどう相対したのかを描かないのは、見捨てられた、痛みを知る弱者に対する責任放棄に思えてならず、この映画の根幹(見捨てられた、痛みを知る弱者が神の遣いによって救済される)の破綻に繋がっているように感じられる。権能を行使してこそのカタルシスでしょう……。

とにかく、なんとも「あれ? それは描かないの?
え? それは描くの?」のワンツーが続く。表面的で大味なのだ。

「ま、リュック・ベッソンの映画ってそういうものだよね、そもそも」

言ってしまえばそれまでではあるのだけれども……何度振り返っても、ラストの展開のその後を示唆すらしなかった点は『DOGMAN』における致命的な欠陥に感じられて仕方ない。

ただ、ーー誰もが評価するようにーー『二トラム』でも抜群の存在感を示していたケイレブ・ランドリー・ジョーンズの狂気と真摯さが混ざり合った魅惑的な演技は素晴らしいことこのうえない。『ドリーマーズ』だったり『ファニーゲーム U.S.A.』だったりで2000年代初頭のジャンル映画界に燦然と輝いた、マイケル・ピットを連想したのは俺だけじゃないだろう。

今作の第二の主役ともいえる“犬”、そして彼らを調教した15人にものぼるトレーナーの仕事ぶりもたまらなく見事。犬を見ているのはそれだけで楽しい(思えば、リュック・ベッソンは「そら、見てて楽しくなるっしょ」というモチーフが好きだな、女の子と殺し屋の組み合わせをこするなんてなかなかの芸当)。

なお、3月10に閲覧したIMDbによると、2100万ドルとされる製作予算に対し、現時点での世界興行収入は400万ドルに留まっているとのこと。映画の魅力と興行収入は比例するものではない。とはいえ、さもありなんという気持ちにもなってしまうのが正直なところだ。

ちなみに。帰り道では甲州街道をリードなしで散歩する犬に遭遇した。なんとも奇跡的なタイミングじゃねえの。


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